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丈が目をつけたエリアは高級住宅街で、ライバルは意外にも少なかった。駅の近くには高そうなレストランやチェーン店が集中していて、ほとんどの店が配達に加盟しているので受け取りの効率が良い。さらに住宅街はけっこう広範囲で、配達距離が長くなるほど当然報酬も上がる。また、戸建てばかりじゃなくて、低層マンションも点在していて戸数も稼げる。おまけに、見栄っ張りの金持ちが多いのか知らないが、チップも気前よく払ってくれるし、防犯上、置き配指定が多いのもありがたかった。
新エリアで配達を始めると稼ぎは順調に増えていった。
二週間ほど過ぎたある日、いつも置き配指定のお宅が珍しく対面配達になっていた。伊勢谷という、このエリアの中でもひときわ広大な邸宅だ。
まるで刑務所のように圧迫感のある鉄扉を抜けて十メートルほど石畳を進むと、ホテルのような豪華な玄関があった。左右のギリシャ神殿みたいな太い円柱に「すげえな……」とため息が漏れた。
呼び鈴を押してしばらくすると重厚な扉が開いて、スラリとしたイケメンが現れた。キリッとした眉と目力の強い大きな目。いかにもやり手な感じだ。
「やあ、いつもありがとう。このチラシ、キミが作ったんだよね?」
伊勢谷はA4のチラシを掲げて見せた。
「はい、オレが作りました……」
「僕はこうした工夫をする人好きなんだ。どんな人か興味が湧いてね」
「あ、そうでしたか」
クレームかと思っていたので拍子抜けしたが安堵した。
チラシは丈がスマホで作成したものだ。配達は人気店に注文が集中し、昼と夕方が最も混む。当然、客の待ち時間も長くなる。丈は駅近の店のなかで、そこまで人気ではないが美味い店をネットで調べて、和洋中別の穴場リストを作成した。それをコンビニでプリントして、配達のついでにポスティングしていたのだ。リストの店を使えば客の待ち時間が減るし、丈の効率も良い。伊勢谷はこれが気に入ったようだ。
「キミ、丈さんだっけ、配達も丁寧だしすごいね。これ良かったら」と、冷えたスポーツドリンクをくれた上に、チップも上限額一杯でつけてくれた。
デリバリーなんて腰掛け仕事だと内心軽くみていたが、評価されるのは悪い気がしない。その後も金持ちエリアでデリバリーに励んだ。
伊勢谷からはその後も注文が入ったが、置き配指定で顔を合わせることはなかった。しかし、一ヶ月ほどして、再び対面配達の指定が入った。
丈が注文の料理を届けて帰ろうとしていると「ちょっと頼みたいことがあるんだ」と、玄関先で待つように言われた。
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