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重厚な黒の扉が開くと、そこはまるで別世界だった。クリスタルシャンデリアが放つ光が漆黒の壁に反射し、幻想的な空間が広がる。ベルベットのソファが置かれたエントランスには生演奏のジャズが流れ、大人の雰囲気が漂う。丈は目がチカチカして薄目で伊勢谷の後に続いた。
メインフロアへ進むと、天井まで届くワインセラーが目に入った。高級そうなワインボトルがずらりと並び、バーカウンターでは熟練のバーテンダーがカクテルを振る舞う。壁一面には、現代アート作品が飾られ、洗練された空間を演出していた。
「伊勢谷様、いつもありがとうございます」
黒服に案内されたVIPルームは、落ち着いた色合いのインテリアと柔らかな照明で、芳醇なアロマの香りがした。窓からは東京の夜景を一望でき、丈は自分が成功者になったような錯覚を覚えた。
肌の露出が多めのドレスを纏ったホステスが四人、丈と伊勢谷を囲んで座った。
思わず伊勢谷に耳打ちした。
「美女ぞろいすね……」
「全員芸能人のタマゴだからね。モデルや女優。美へのこだわりが一般人とは違う」
左隣のホステスが話しかけてきた。
「お客様は伊勢谷さんのご友人ですか?」
「あ、いや、仕事の関係者です」
「そうなんですね。みずきです。左隣がえりちゃん、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく……」
みずきのラメで輝く胸の谷間に吸い込まれそうで、つい目をそらした。Gカップはありそうな小玉のスイカくらいのパイオツだ。小顔で手足も細長く、丈が見てきた女たちとは異次元の存在だった。
テーブルの上を、つやつやの鮨、肉汁の浮いたローストビーフ、フルーツ盛りなどが彩っている。大トロを口に入れた瞬間舌でとろけた。ローストビーフも肉の旨味が口いっぱいに広がり、噛むたびに牛肉の香りとペッパーのピリッとした辛味が鼻を抜けていった。
「うま……みずきちゃん毎晩こんな上手いもん食ってんの?」
「お客さまによります。伊勢谷さんは気前よくご馳走してくださるので。ウチの料理長はミシュランの二つ星で腕を磨いた方ですから、どれもとても美味しいです」
「へえ、どうりで……」
たしかに美味いしホステスも品があって美女ぞろいだが、世界が違いすぎてケツの座りが悪かった。
伊勢谷の右隣のホステスが訊いた。
「伊勢谷さん、清華ちゃん辞めたのご存知ですか?」
「え、そうなの? 僕しばらく顔出してなかったし知らなかった」
「そうですか。なんか田舎に帰るってオーナーに連絡あったって……急だったから送別会もできなくて」
「そうだね、彼女はいつもテーブルに着いてくれてたし、会いたかったな……」
しんみりした空気が流れたとき、みずきが突然言った。
「伊勢谷さん、わたし明後日バースデーなんです!」
「それはおめでとう。ごめん、明後日来れないから前祝いしようか、リストもらえる?」
伊勢谷は黒服から革張りのメニューを受け取り「アルマンドのこれ二本」と指さした。
氷を張ったシャンパンクーラーでシルバーのボトルが運ばれてくると、満面の笑みのみずきが一本づつ胸のあたりに持ち、えりが何枚も写メを撮っている。
「映えるー」ときゃっきゃ盛り上がり、丈も一緒に撮ろうと誘われて、しぶしぶ一緒に写ったが「こいつら何が楽しいんだ?」と、理解できなかった。
二時間ほどで店を変え、ポールダンスショーを観て、十一時過ぎにお開きになった。
「伊勢谷さんご馳走様でした」
丈が地下鉄の入口に足を向けると、
「迎車呼んでるから」と、伊勢谷が指差した。見ると、六本木通りに黒光りするレクサスが停まっていて、蝶ネクタイにベストを着た運転手に会釈をされた。
「いいんですか? なんかすいません」
「ご遠慮なく。僕はこの後もう一件あるからここで。じゃあ明日からもよろしく」
伊勢谷は踵を返すと右手をあげて、六本木の雑踏に消えていった。
レクサスは氷の上を滑るようななめらかな乗り心地で、生あくびが止まらなかった。
女も異次元に綺麗でメシも舌がとろける美味さで、ポールダンスには放心状態で見とれた。でも、ずっと居心地が悪かった。開放された安堵のあくびだ。
一軒目の会員制ラウンジの伝票がチラッと見えたが、二百万を超えていた。ほんの二時間でオレの借金の三分の二が胃袋に消えた……。伊勢谷は身体も鍛えていて、総合格闘技も習っていると言っていた。井上尚弥の世界戦をラスベガスまで観に行ったらしい。いわゆる超がつくリア充だ。
だけど、うらやましくなかった。金持ち連中はしょっちゅうこんな金の使い方をしているようだが、その先に何があるんだ? 結局虚しくなんねえのかな。貧乏人の負け惜しみか? そうじゃない。直感的に思った。
ラウンジの女も隙がない美人ぞろいでオッパイも凄かったが、作り物みてえで体温を感じなかった。オレが好きなのは、温かくて強い女だ。それが真実だった。
真実はいい女だった。居心地が良かった。オレが追い出したようなもんだけど、バカなことをした。四つ歳上で面倒見がいい分、だらしないオレに気を揉んでたんだろう。借金のことがバレて口論になったが、全部オレが悪い。なのにオレは怒鳴って誤魔化した上に、真実の気持ちを踏みにじった最低のクズだ……。
「お客様、こちらで宜しいですか」
運転手の声に目を覚ますと、アパートの前にビタどめされていた。
部屋に戻っても気持ちがもやもやしていた。丈は玄関に立てかけてある金属バットを手に取ると表に出て、無心で素振りを繰り返した。これでも甲子園を目指して野球に打ち込んだ時期があったが、二年のときに肩を壊して夢が潰えた。それから十年たった今もずっと挫折の中で足掻いている。いつからこんなになったんだ?
丈は飲んだ酒ともやもやを振り払うように、汗を飛ばしながらバットを振り続けた。
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