メイクは隠すためでなく

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 貴女は、高校一の有名人。  入学式の日から、ずっと。  新入生、在校生、先生達の視線すらも独り占めにしていた。  沢山の男子から求められ、女子にとっては理想の女子。  誰もが貴女を持て囃し、誰もが貴女を讃えて敬う。  貴女の美貌、貴女の迫力、貴女の魅力、貴女の纏う力は、それほどに規格外。  誰もが貴女に憧れる。  高校という小さな箱、その中では、尚更に。  無論、私にとっても……。    ※  スマートフォンのアラームに叩き起こされない起床。素敵だ。  どうしてかといえば、それが休日であることの裏返しだから。  ベッドから起き出して、洗面台へ向かい、顔を洗う。  廊下を歩いてリビングに入る。お母さんに、おはよう、の挨拶。お父さんはお仕事。土曜日なのに大変そう。  朝はブラックコーヒーだけを飲む。ご飯はいらない。お昼までお腹が空かない体質だから。  洗面台へ戻り、歯を磨いて、服を着替える。着るのは上だけ。下はまだ。  お母さんからは、また中途半端な着方して……とたまに指摘されるけど、上だけは先に着ておかないと、今からお化粧をするのだから効率が悪い。メイクを終えた顔でキャミソールやタイトなインナーを後から着たら、あちこちに付いてしまう。それがイヤなのだ。むしろ、お母さんは気にならないのかと、私は毎回それが気になる。  自室へ戻り、鏡をデスクに立てて、メイク開始。  髪を上げて、日焼け止めを塗って、下地を作って、お化粧をする。  コンセプトはその日の気分で決める。流行りのメイクをする時もあれば、単純に自分がやりたいメイクをする時もある。V系みたいに攻めたメイクをする時もあれば、化粧道具が減っている場合は省エネなメイクに留める。ようするに手抜き。自分の顔なんだから、好きにして良いよね。  化粧が終わった後は、ヘアメイク。  アイロンでストレートにして、前髪だけ作って、ヘアスプレで固める。長さはセミロング。色は黒。赤とか緑とかに染めてみたいけど、高校の校則的にNG。だから、髪型も含めて、どうしても地雷系に寄ってしまう。ただ、私は地雷系のメイクやファッションが嫌いではないから、特に困りはしない。別系統がやりたいな、と思った時に多少、苦労するくらい。  髪型も完成したので、ようやく服を着る。  今日は、可愛い系の上に、短めのスカート。最近お気に入りの組み合わせ。  小さなリュックにお財布とスマートフォンを入れてから自室を出る。  リビングに居るお母さんに、街へ遊びに行ってくるね、と伝える。  お母さんはこちらを向き、あなた、またそんな短いの履いて……と片眉を上げてくる。  お小言が始まる前に、と小さく片手を振り、私はそそくさと玄関へ移動してショートブーツを履き、外へ出た。  マンションの階段を降りて、表通りへ出る。  その通りをひたすら真っ直ぐ歩けば、街に到着。時間にして二十分ほど。近くて助かる。  目的地は行きつけのカラオケ店。目的は一人カラオケ。学校では内緒にしている、私の隠れ趣味の一つ。  フロントで受付を済ませて、すぐにボックスへ移動。部屋を確認して一度中へ入り、すぐに出る。通路の中間地点に設置されたフリードリンクの機械でメロンソーダを注ぎ、部屋へと戻る。  マイク音量、BGMの調整も済ませて、採点機能もON。すっかり手慣れた事前準備。  デンモクを操作し、マイクを握って。  さあ、歌うぞ、と息を吸った。  そんな瞬間に。  何の前触れもなく、個室の扉が開いた。  息を吸ったその姿勢のまま、私は固まる。  入ってきたのは、若い女の人だった。 「ごめんなさい、本当にごめんなさい。少しの間でいいの。匿ってください。お願いします」  その女の人は切羽詰まった声で言うので、私は瞬きを繰り返しつつも頷き、片手で扉を閉めた。  座っているソファの場所を移動して、擦り硝子付きの入口扉から見えない位置へ、女の人を誘導。  女の人は終始、ごめんなさい、ありがとう、本当にごめんなさい、と繰り返している。  座る場所を代わり、腰を落ち着けてから、私はその女性の顔を正面から捉えた。  そして。  飛び上がるほどに驚いた。 「えっ? 桜ノ宮(さくらのみや)さん?」  思わず名前を呼んでしまった。  桜ノ宮さんもこちらへ顔を向けて目を見開き、どうして私の名前を知っているの? と聞いてくる。  私は、同じ高校所属の同じ一年生であり、クラスは別だけど同級生で、名前は薗紗季(そのざき)だと自己紹介をした。  桜ノ宮さんは安堵した表情になって、ああ、良かった、そういうことね。ありがとう、それなら尚更に安心だわ、と溢した。  対して私は、まったく安心ではなかった。  貴女は、私の憧れの人だから。  入学式で初めて目にした時から、ずっと大好きで、貴女の話を聞くたびに、貴女の全てに想いを馳せてしまうほどに、貴女に魅せられている。  気安く話しかけることが憚られるほどに格が違う。少なくとも私はそう感じている。  そんな貴女と、しかも唐突に、こんな狭い空間で二人きりだなんて正直パニック。  普段であれば、間違いなく取り乱していた。  もしくは、緊張のあまり、何も言葉が出てこず、口が聞けなくなってしまっただろう。  ただ今回は、切迫した、ただならぬ事情がありそうな状況だったので、どうにか勢い任せで対応することができた。  それで、何があったの? と私は小さめの声で聞いた。  彼女はそれに、同じく小さめの声で答えてくれる。  曰く、桜ノ宮さんも、私と同じように、朝からカラオケに来ていた。ただし、私と違い、クラスの女子二人と一緒に、つまり計三人で来ていたが、その二人がカラオケ店のすぐ隣のコンビニへ買い出しに出かけた。個室に一人になってすぐ、知らない男性二人が勝手に部屋に入ってきて、強引に相席しようとしてきた。怒り、断わり、出て行ってと告げると、今度は自分達の個室へ連れて行こうとしてきたので逃げ出して、ここに転がり込んだ、という経緯だった。  私は、事情を話してくれる彼女の言葉を真面目に聞きながらも。  どうしようか、店員さん達のところへ行って、事情を説明して対応してもらおうか、いきなり警察を呼ぶよりは、その方がいいよね、と現実的な会話をしながらも。  彼女の表情の変化。  彼女の声。  彼女の魅惑的な口元に。  魅了され続けていた。  やはり、貴女は美しい。  艶やかな長い黒髪。  透き通るほど白い肌。  すっと通った鼻筋。  真横からが映えるフェイスライン。  座る際に伸びた背筋。  困ったように笑う、その表情変化も。  とにかく全てが美しい。  違いなく、私は貴女に、恋をしていた。  でも、これは、好意としての恋とは少し違う。  好きとしての好きではなく、欲望としての好意でもない。  もっと純粋で、もっと透明で、もっと綺麗な、透過感情。  私は、貴女のようになりたい、という恋。  人らしさ、憧れの人、理想としての像。  掲げる目標としての恋、が適当だと思う。  それでも、こうして、お話できたこと自体は、やはり嬉しい。  初めてここまで近づけた。顔を合わせて、言葉を交わすことが叶った。  この事実は、たまらなく幸せ。  せめて、これだけでも、感謝の言葉だけでも伝えようと、懸命に頭を働かせていると。  先程と同じように。  個室の扉が開いた。  デジャブ。  異なるのは、顔を覗かせたのが、知らない男の人だったこと。 「あっ! 居た!」  その人は大声で言うと、廊下へ叫ぶように声をかける。  すると、すぐに男性がもう一人やってきた。  私は、この二人が、彼女が言っていた、失礼な男性達だと、すぐに理解。  許さない。  近づけさせない。  渡すものか。  お前等などに。  男性二人が個室内へと入ってくる前に。  これ以上、失礼な言葉を発するより先に。  私は、彼女の隣まで素早く移動して。  彼女を自分の両腕の中に抱きしめてから。 「出て行ってください!」  叫んだ。  大声で。  睨みつける。  これ以上ないと自覚できるほどの剣幕で、私は続ける。 「この子は、私の彼女です! 汚い手で触らないで! 店員さんを呼びますよ! それとも警察がいいですか? 」  そう怒鳴った。  男性二人は、あっけにとられた様子を見せた後、あの、じゃあ、すみませんでした、帰ります、と呟きながら出て行った。  個室の扉が閉まった後、私はすぐに彼女から手を離し、座る場所も離してから、ごめんなさい、勢いで、こんなことして、あんなこと言って、と謝罪をする。  告げる私に向けて、桜ノ宮さんはふき出しながら、私達、付き合っていたのね、と可笑しそうに言った。  私は自分の顔が熱くなるのを感じつつ、ごめんなさい、咄嗟のことで、許してください、と謝罪を続ける。  桜ノ宮さんは、そんな私の隣へ移動してきてくれて、私の片手を握ってくれた。 「いいのよ、怒ってなんかいないわ、むしろ、ありがとう、追い払ってくれて。大事にならなかったのも助かったわ。こちらこそ、ごめんなさいね。あなたの楽しい時間を邪魔してしまって、おまけに、面倒事に巻き込んでしまって」 「そんな、邪魔だとか、面倒だなんて思ってない。頼ってくれて嬉しかったよ。突然のことだったから、びっくりはしたけど、嫌だとかは全然思ってないし、私、こうして桜ノ宮さんとお喋りできたこと、本当に嬉しくて、だから……」  ここまで一気に告げて。  勢いを失い、言い淀む。  伝えたい気持ちは沢山ある。  誰にも負けないくらい、大きくて純粋な感情が。  でも、これを本人へ余すことなく伝えたとして、それにどれだけの価値があるだろう?  そこに意味は宿る?  それはエゴではない?  いきなり押し付けてしまったら、それこそ、桜ノ宮さんを困らせるだけでは?  たった今知り合ったばかりの人間から向けられる好意、しかも大袈裟で複雑な感情など、とても手に負えるものではない。気持ち悪いと、恐いと、困ると、そう思われて、押し返されてしまう未来が視える。  貴女は、持ち前のコミュニケーション能力の高さを発揮して、口下手な私とお喋りをしてくれた。立場や状況が原因で、そうする必要があったから。  でも、言ってしまえば、それだけなのだ。  狭い選択肢しかなかったから、追い詰められていたから過ぎない。繋がりは希薄。彼女本人の意志ではなかった。そもそも彼女は私の存在を、これまで認知してすらいなかったのだから。  言い淀んだまま静止していると、彼女のスマートフォンが鳴った。 「あっ、友達、個室に戻って来てるみたい」  画面をちらと見た桜ノ宮さんが、ぽつりと言った。先程話していた、コンビニへ買い出しに出かけた友人達が戻ってきたらしい。 「ごめん、私、戻らないと……匿ってくれて、庇ってくれて、助けてくれたこと、本当にありがとう」  微笑み、丁寧に礼を述べる彼女に対して、私は、ああ、とか、うん、とか、気の利かない返事しかできない。これ以上の言葉が出てこない。  なんて失礼なんだろう、私。  勝手に不貞腐れ始めている。  最低だな……。  そんな自省を始めているうちに。  ぽつり、と涙が零れてしまった。 「えっ? あっ」驚く彼女。 「やだ、うそ……」目を擦る私。  勝手に病んで。  勝手に泣いて。  もう、やだ。  何やってるんだろう。 「待った。ダメだよ、擦ったら」  桜ノ宮さんが手を伸ばして、私の両手を掴む。  私の前まで来てくれて、私の顔に触れる。  テーブルの上にあったペーパータオルを一枚取って、それで丁寧に涙を吸ってくれる。 「良かった。ほとんど落ちてない」  桜ノ宮さんが微笑みながら言う。 「今日、メイク直しの道具、持って来てる?」 「ううん、持って来てない」  私は首を横に振る。 「そっか。もし必要になったら、私へ気軽に連絡してね。私、メイクポーチ持って来てるから。ということで、連絡先、交換しておこう?」  その気遣いに。  その提案に。  私は息を飲む。  まさか、と思う。  驚きばかりで心臓が限界。 「どうして、そこまでしてくれるの?」  思わず聞いてしまう。 「そうだなぁ。理由として挙げるとね、いくつかあるわ」  桜ノ宮さんは笑いながら応える。 「それだけのことを、さっき、してもらったし、あなたが私のことを想って、助けてくれたことも分かった。さっき言いかけた内容、言うのを止めたこと、それでも、ちゃんと伝わったから。それと、あとは……あなた、メイクが崩れちゃったら、お店出てからとか、帰り道とか、困るでしょう?」  彼女は言った。  私の顔を、じっと見つめながら。  えっ。  えっ?  うそ。  まさか。 「最後のは、その、どういう意味……?」 「あなた、男の子でしょう?」  聞かれた瞬間。  背筋に悪寒が走った。  終わった、と思った。  嫌われる。気持ち悪がられる。学校で言いふらされる、と。  でも、桜ノ宮さんは、私の絶望と不安の先手を打ってきた。 「大丈夫、心配しないで。私はあなたに対して嫌悪感情や拒否感を持っていないし、学校で言いふらしたりしてやろう、なんて考えない。私は、そんな人間ではありません。まず、これを伝えておきます」  私の手を優しく握りながら、真面目な顔で彼女は言った。 「本当に……?」  私は聞く。  また一筋、涙が流れた、と分かった。 「本当に」  彼女は頷く。  笑顔のまま。  嫌悪や拒否の感情など微塵も感じさせない、爽やかな表情で。 「だってね、あなた、とっても可愛いわよ。そのファッションも、メイクも、似合ってる。今度、一緒にお買い物行きましょうよ。私、あなたが着ているその系統の服に興味があるのだけど、おすすめのお店とか、全然分からないの」 「ありがとう。うん、行こう。私も、一緒に行きたい。ああ、嬉しい。夢みたい」  私は笑いながら頷く。  ようやく笑えた。  彼女の前で。  互いにスマートフォンを取り出して、連絡先を交換する。 「いつ、私が男だって判ったの?」私は聞く。 「個室にあの二人が入ってきた時、あなた、私のこと抱きしめて、あの二人から庇ってくれたでしょう? あの時の腕の力の強さとか、身体の固さとかで、あれ、もしかして、って思って」  桜ノ宮さんは悪戯っぽい表情を浮かべながら答えてくれる。 「そっかぁ。そういうのでバレるのか。ああ、でも、良かった……本当に良かった。私、自分のこと【私】って言うし、貴女と違って、目立つタイプじゃないし、コミュニケーション能力だって低いし、趣味も一人カラオケで暗いし、何より性別真逆の男だから、こんなの、嫌われる理由しかないと思ってて、女装した男だってバレたら、こうして匿ったのも下心があったんじゃないかって思われちゃいそうで、さっき庇った時の言葉とか、全然意味が変わってきちゃうから、私、貴女に最低なことをしたと思われたくなくて、でも、騙した事実は変わらないから、って色々思いつめちゃって」 「ああ、そんなに沢山、一度に悩むから、涙が出ちゃうのよ」  彼女は笑いながら、私の頭を撫でてくれる。 「そんなに心配しなくても大丈夫。私はあなたに騙されたとは思ってないし、あなたは純粋に私を助けようとしてくれて、実際に助けてくれた。最初から今に至るまで、真摯に対応をしてくれてる。これだけでもう、あなたが良い人だって分かるから、だから私も、あなたが秘密にしておきたいことは言わない。約束したことは守る。立場とか、カーストとか、そんなつまらないことは気にしなくていい。私はそういう変な肩書きやカテゴリ分けみたいなのは嫌いです。私は、同じ空間に居て楽しいな、と思える人と仲良くします。分かる? これからは、お友達として、一緒に遊びに出かけましょう? いい?」  彼女の提案に、私は素直に頷いてみせる。 「分かった。ありがとう、桜ノ宮さん」 「こちらこそ、色々とありがとう。これから、よろしくね……あっ、そういえば」  桜ノ宮さんは少しだけ硬直して、改めて私の目を見つめる。 「ねえ、初めに名乗った、薗紗季(そのざき)って、あれ、本名?」 「ああ、うん。本名」私は頷く。 「じゃあ、学校とかはともかく、こうして街に出かけてる時は、他の人に聞かれるとまずいから、呼び方変えた方が良いよね?」 「あっ、そうか。うん、そうかも」  彼女の指摘に、私は頷く。  まったく考えていなかった。この格好とメイクをした状態で他人と会うことが、これまで基本なかったからだ。知っているのはお父さんとお母さんだけ。あの二人も、よく何も言わないよなぁ、と思うけれど。 「下の名前はなんていうの?」彼女が聞く。 「秋人(あきひと)、なんだけど、男っぽいから、あまり好きじゃなくて……」私は答える。 「じゃあ、二人で出かけた時は、あきちゃん、って呼ぶね」  そう宣言して、桜ノ宮さんは微笑んだ。  爽やかな笑顔。  私とは正反対な性格と性別。  それでも、こうして歩み寄ってくれる。  理解し、共感し、笑いかけてくれる。  本当に素敵で、眩しいくらいの純粋さ。  これまでは、目を細めながら眺めるだけだった。  でも、これからは違う。  変わりたい、と思った。  変わろう、と決意した。  自分を変えていこう。  彼女のような人に成れるよう。  覆い隠すばかりでなく、卑屈に伏せるでもない。  踏み出す勇気と、その転機を魅せてもらったのだから。
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