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「悪くない。俺も暇だからな。まずちょっと聞きたいことがあるんだ」
それは署名の時に気付いた彼の疑問。
彼はその言葉を話しながら彼女の横に座るが、彼女はキョトンと「なんですかいな?」なんて冗談を含めた返答になっている。
「君ってもう直ぐ結婚するって噂があったんだけど、苗字が昔のまんまなのは、どういうことなんだい?」
冗談を伝染させている。楽しい会話になるように。それは両方が望んでいた。
「えっと、ねー。本来ならもう結婚している予定でした。が、婚約すらしないで別れましたー」
「どこまで明るく話すんだよ。全く。それで? わけを聞いても?」
呆れた言葉を返してる。だけど彼も一応遠慮していた。それでも聞きたい気分。別に興味本位ではない。切実な理由があるんだ。
例え相手に呆れられても彼女はあっけらかんと「高いよ」とまだ冗談を含めて楽しそうにしている。
「まあ、旧友割引でダタにしてあげよう」
「それはどーも。んで? 正規の浮気事件でもあったのか?」
「無いよ! そんなドラマチックなことはあたしの人生にはなーい! ただちょっとさ、結婚する相手として、違うかなって思ったんだ」
どこまでも明るく話そうとしていた。君との古い思い出は楽しいものだらけ。今更哀しい思い出を作りたくない。それなのに流石に声が沈む。海はとても深いけど、今は暖かい。
「ある意味でドラマ以上の展開だと思うんだけどな。それで? 婚約破棄したのはお前のほうからなのか?」
「んー、そう言われるとそうかも。でも、ロマンチックであってドラマチックではない。あたしがこの人じゃないって思ったのには理由があるんだ」
少し彼は考えた。ちょっとだけ。わからない。
「相手の彼はさ、あたしのことを好いてくれてたんだよ。だから、結婚しても構わないかなって思ったんだ。だけどさ、あるとき言われたんだ」
また彼女の声のトーンは低空飛行している。それでも話をやめる雰囲気はない。
そんな彼女を見ていると彼はもう言葉もなくなっていた。今は彼女が語る番。
彼女が横の彼をすんなりと見詰めて「君は僕のことを愛してないでしょ」と語った。多分それは彼女の恋人が語った時を再現しているんだろう。
「そんなことはない。って言えなかったんだ。好きと言われるのは嬉しかったし、キライな人じゃない。でも、キライじゃないの反対は好きじゃなかったんだ」
「少しわかりにくいな」
「そーでもないよ。ならもっと簡単に言おう。あたしには好きな人がいた。そんだけだよ」
急に明るさを取り戻した顔になっている彼女と対照的に、彼は眉間にしわを寄せている。
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