やまはあるかときみにとうよ

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 山を登っている彼がいて振り返る。そこには同年代の女の人がいて顔を向けると笑っていた。しかし二人はまだ今のところは単なる知人と言うくらい。 「懐かしいな」  小学校の隣に新しいスーパーができて、その特売目当てではないけど彼はその店を訪れている。駐車場から見えるのは自分が昔通っていた学校。だから彼はそんな言葉を吐いていた。  懐かしさの風が乾いた冷たい風と一緒に吹いて。彼の心と世界をもう夏の華やか過ぎる季節が終わっていたことを知らせる。  ついふと幼少期の思い出に腕を引かれて彼が駐車場から校門のほうに移動した。普段ならそんなに気にならないだろうに、なんだか今は呼ばれたような気がして近づく。 「あれっ? 誰かと思えば」  門の前では絵にもなるような雰囲気で、その静かに佇んでいる休みの日の校舎を眺めている女の人が振り返った。多分彼の足音に気が付いたのだろう。  しかし、彼女は驚いた印象で彼の顔を見ると、朗らかな顔になって少しお茶目そうに笑う。 「なんか、見覚えあるな。えーっと、誰だっけ」  真剣な彼の言葉、なんかではない。彼だって少し楽しそうなにこやかなかおになっている。 「君は、煌びやかな思い出の中の可憐な女の子を憶えてないっての?」 「煌びやかでも可憐でもなかった思い出に女の子はいたけどな」  彼は微笑みではなくて、その時はもクスッと笑っていた。  それで彼女のほうも存分に笑顔になり「久し振りじゃん」と言うけどこの二人はこんなに簡単に言うほど久し振りなんかではない。「十年振り?」なんて彼の言う通り顔を合わせたのはそんな年月がある。 「あのねー、十年前に本屋で偶然会って挨拶もしない程度じゃ、会ったとは言わないでしょ」 「となると、中学卒業以来だから、十三年か。おばさんになったなー」  ちょっとした彼の言葉の選び間違い。華麗なる後ろ回し蹴りが炸裂していた。 「それはさておき、小学校なんて懐かしいねー。あの山憶えてる?」  彼女はなにくわぬ顔をして門に縋るようにして校庭の向こう側を見る。 「あんなのを山とか言うのはこの学校の出身者だけだ」  脚に手を当て痛そうな顔をしながらも彼は並んで見つめる。  そこには学校の遊具としてコンクリートでできた山がある。しかし、あくまでそれは滑り台なので山と呼べる高さのものではない。 「あたしらには山でしょ。あれってもうなくなるって知ってる?」  全く彼は知らなかった様子で「そうなのか?」と驚いて彼女のほうを見て聞いた。 「老朽化もあるんだろうね。なんか残そうと署名活動もしてるらしいよ」  確かに二人が通っていた頃から古かったのを思うと彼は寂しくなったが「俺たちも歳をとったな」と話してまた彼女から攻撃があったが、軽やかに躱している。  今の話には彼女も思うところがあったから発言したみたいに、少し笑みを残しながらも彼を見つめて「署名する?」と聞いてみる。 「元からそのつもりだったんだろ。だけど、小学校に侵入するみたいで気が引けてたんだろ」 「なんか見透かされた気分。だけど、ハイ。その通りです。この門って子供の時はそんな風に思ってなかったけど、関係者じゃなくなると通りにくいんだよね」 「地域の住人じゃないか。それも用事があるんなら問題ないだろ」  語ると彼は悠々と人が通れるくらいは開かれている門を通り歩く。彼女は直ぐにその後を追った。  普段なら休みの学校でもクラブ活動や遊んでいる子供たちもいるのだが、今日はその姿も見えなくて、学校は閉ざされている印象が漂っている。  昔、むかし通っていた学校が懐かしい。それでも今はもう違う世界みたいに思える。それは多分学校じゃなくて自分たちが昔とは違っているんだろう。そんなところもちょっと寂しい。 「山、じゃなくて滑り台の保存に関する署名活動があるって聞いたんですけど?」  二人は懐かしい学校ながら配置は憶えているので昇降口ではなくて直に職員室から校庭に出入りできるようになっているサッシを開いてその場にいた先生に聞いた。 「それなら正面玄関に設置してるんで、ご自由にどうぞ」  年老いた先生が直ぐに近寄って教えてくれる。その顔にはちょっと見覚えがあって、彼は少し首を傾げたが、彼女が肘で小突く。 「君たちは今も仲が良いんだね。あの頃と一緒だ」 「あー! 先生じゃないですか!」  やっと彼が思いだしたようだが、先生のほうが先に気付いていた。  先生は彼ら二人が在籍していた頃にもこの学校にいた人物だったのだ。かと言え同じ学校にいたけど担任でも授業の受け持ちもなかったので彼は忘れていんだ。 「お久し振りです。彼とは学校の前で偶然再会したんですよ。先生もまだ現役だったんですね」 「いやー。老いぼれも昨今の教師不足で非常勤として働かせてもらってるんだよ。久し振りでもそうして二人でいると懐かしいよ。これからも仲良くなさい」  やはり歳をとっても先生と生徒の関係はそう簡単に崩れない。一言にこやかに言われてから彼らは署名のある所に移動する。  懐かしさにまた懐かしさが重なる。セピア色の思い出がとても美しく彩色されてく。あの楽しかった昔が戻る。  彼女は署名台を見付けると「あったー」なんて楽しそうに小走りで向かう。その姿を見ていると彼は昔の彼女を思い出してしまうが、それは学校という空間も理由になるのだろう。  普通に署名をしているだけでも楽しそうな彼女は「はいどーぞ。次は君の番だよ」って振り返って笑顔を見せている。  彼が署名用のノートの前に立つと、彼女の綺麗な字が並んでいる。その次に自分の名前を記すのは嬉しいような、悪いような不思議な気分になる。  それと一緒に彼女の名前に疑問を持ったけどそれは一度心にしまう。 「ちょっと、山も確認しとこうか。あたしらが残したい景色ってのを知らないとだよ」 「なんでも楽しそうにするんだな。昔のまんまだ」  少し呆れた印象を含めた言葉に「だめ?」と聞くが「懐かしくて良いな」と彼ははにかんでいた。  これからは山登り。当然人工の遊具でしかないけど、二人にとっては山だ。  少しだけ冷たい風が羽織っているジャケットをなびかせている。前を見ると楽しそうに駆け上っている女の子。悪くない風景でいつまでも見ていたい。 「結構高いな」  直ぐに登り終えてしまったが、彼がそこからの眺めをみて話すと「視線が違うねー」と数メートルの違いを思い知っていた。 「はしゃいでると落ちても知らないからな」 「落ちたところで元々滑り台じゃん。問題ないよー」  はしゃぐような会話。彼女は軽いステップで低い頂上を楽しむように歩いている。周りに遮蔽物もない学校の校庭とその先には田んぼや住宅で遠くの本当の山と重なり、彼女は巨人、でなければ天使だ。 「良い機会だからお喋りとかもしてひうまつぶしでもどうかと思うんだけど忙しいかな?」  山の頂上になる場所にぺたんと座り込んでずっと今日は楽しそうな顔をみせてそんなふうに聞いてる。
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