夢から醒めても。

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 気づくと那月は駐車場の片隅で穂積に抱きしめられていた。  自分の意思とは無関係にはらはらと流れ落ちる涙を穂積が長い指で拭う。  「那月、我慢しないで泣いていいんだよ?」  いつのまにか日が短くなって、駐車場はオレンジ色の夕陽に染まっていた。  まもなくあたりが暗くなる。  那月は母が亡くなった瞬間もその後もあまり泣けなかったことを思い出す。  容体が一気に悪化してあまりにもあっけなく逝ってしまったから、呆然としてしまったのだ。  この世にひとりきりの家族を突然失くしてしまったから。  葬儀と散骨、引越しと新学期。  バタバタと過ごすうちにまるですべてが夢だったような気さえしていた。  今やっと、那月は母が亡くなったこと、もう2度と会えないことを実感した。  自分が置いて行かれたことを。  もっと優しくすれば良かった。  もっと話をして、もっと近くで、もっと……。  「……もう少し一緒にいたかった」  「うん」  「ほんとはもう少し……甘えたかった」  「そうだね」  穂積は自分の胸に顔を埋めて肩を震わせる那月を強く抱きしめ、その髪に頬を寄せた。  「心の底から湧き上がってくる悲しみと寂しさと涙を押さえ込んじゃだめだ」  耳元に優しく囁く美声に那月は目を閉じて意識を集中した。  涙が後から後からとめどなく溢れてくる。    「我慢して溜め込まないで胸の中にあるものを全部出し切るんだ」  穂積は通行人の目から那月を庇うように自分が盾になりながら囁く。  那月は穂積のシャツを握りしめながらひとしきり泣いた。  抱きしめてくれる穂積の体温が心地良いと感じるほど寒くなっていることに気づき、那月は蒸し暑いタイのスコールを懐かしく思った。  南国の楽園。  非日常の甘い生活。  母と過ごした最後の短い夏が逝き、もうすぐ冬が来る。  まるで夢から醒めるような気がしてひどく寂しかった。  「……穂積さん、そばにいて……俺のこと、離さないで……」  ーー例え夢から醒めたとしても。  「それについては心配いらないよ。君が嫌だって言っても、もう絶対離すつもりはないから」  穂積はそう言うとさらに強く那月のことを抱きしめた。  
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