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第37話
その頃、麗華は一人鼻歌交じりに廃校舎の廊下を進む。あの三人と行動を共にするのはもううんざりだった。冴えない顔の初心者プレイヤーに、ちょっとしたことで泣き叫ぶオカルト女。その中でも一際麗華の癇に障るのが常勝無敗のプレイヤー、常磐怜央である。
未開発エリアを取り仕切る常磐零の弟。親の七光りならぬ、兄の七光りで周囲にもてはやされるいけ好かない男だ。
「注目されるべきは私の方ですのに……!」
怜央が参加したゲームはほぼ全て、彼を中心として動き出す。今回もそうだ。怜央が指揮を取れば、そこに麗華が介在する余地はない。なぜならば、怜央はミスをしないから。あらゆる状況が怜央に味方し、どんな窮地に陥ろうとも自身の運と勘のみで乗り越える。天才と呼ばれるタイプのプレイヤーだ。
だから麗華は今回のゲームを好き勝手に引っ掻き回してやると決めた。あの男の思い通りになど決してさせない。そのためにまずは先回りしてアイテムを集めることにしたのである。麗華は音楽室の扉を開けた。
天井から滴る血液がピアノの鍵盤を叩き『エリーゼのために』を奏でている。かのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した有名なピアノ曲だ。麗華が天井付近を見上げると、ベートーヴェンの肖像画が血の涙を流している。それに構わず、麗華はアイテム探しを始めた。
音楽室で手に入るアイテムは呪われた楽譜。花蓮ならば何か知っているのかもしれないが、オカルト関連の話に微塵の興味もない麗華は首を傾げる。だが音楽準備室にて、麗華はあっさりとそれらしきものを発見した。
ベートーヴェンの交響曲第九番。中学校を卒業するまでピアノを習っていた麗華は、この曲が彼の作った最後の曲であることを知っていたのだ。そしてこれは麗華の知る由もないことだが、シューベルトやドヴォルザーク、ブルックナーといった名だたる音楽家たちも九番を最後に死を遂げている。よって、第九が呪われているというエピソードはクラシック音楽界では非常に広く知られた有名な都市伝説だ。
何はともあれ、アイテムを無事入手した麗華は意気揚々と音楽室を後にする。はずだったのだが、廊下の曲がり角からわずかに人の気配を感じた。
「あら、どちら様?」
あくまでも余裕の態度は崩さず麗華が問う。
「私だよ」
気配の主も怯んだ様子はなく、簡単に姿を現した。
「楽譜は見つけられたみたいだね」
麗華の手元に視線を向け、結月は言う。
「えぇ、あなたはどうしてここに? 他の二人はどうしたんですの?」
「怜央と花蓮には先に美術室に向かってもらったんだ。麗華は私一人で十分だと思って」
「あなた程度に私の説得ができると思って? 言っておきますけれど、楽譜は渡しませんわよ」
相手が初心者プレイヤーだと侮っている麗華は警戒する素振りすら見せず、結月に近づいてきた。だが、麗華は知らない。眼前のプレイヤーが初回のゲームで人一人を刺し殺した、化け物であることを。
結月の背後には二階に降りるための階段がある。先ほど結月が息切れを起こしながら上がってきた階段だ。
「私も麗華が素直に渡してくれるとは思ってないよ」
「あら、ではどうするおつもりで?」
「うん。だから、こうする」
言うが早いか結月は麗華の後ろに回り込み、身を屈めると彼女の膝裏を蹴り抜く。そして麗華が体勢を崩した隙に、今度は背中を狙って回し蹴りを放った。当然の結果として麗華の身体は空中に投げ出され、結月が最後に軽く突き飛ばすだけで階段を転がり落ちていく。
「か、はっ……」
全身に衝撃が走り、麗華は咄嗟に楽譜を手放した。その楽譜を拾い上げ、結月は笑う。
「悪いね。どんな手を使ってでも奪い取ってこいって、怜央が言ってたんだ」
正確には怜央はそこまで口汚い言い方はしていないし、絶対に殺すなという指示付きだったのだが、そんなことを麗華が知る由はやはりなかった。
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