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旅立ちの日
昨日は、母が腰につける短剣をこしらえてくれて、明日持ってゆくリュックには、野宿をする為のテントと寝袋を入れてくれた。母は僕があの旅人に憧れているのを良く知っていてその憧れに応えてくれたのだと、そう思うと背を熱く押されたように思えた。昨日の夜にはうちの家で旅立ちを祝う宴もしたのだ。父は今日少し顔が赤かった。昨日の酔いもあるだろうが夜な夜な泣いたせいなのもあった。僕はきとにぃに貰ったネックレスを今日も首からぶら下げて、父と母に別れを告げた後、商店街にも港にも行って、神社の宮司さんには旅の安全祈願をしてもらった。
僕もきとにぃと同じ道へと進んで行った。
石のレンガで出来た一本道をまっすぐ行くと、他の町と私たちの町を繋ぐ運河が見えてくる。運河では行き交う船が互いにぶつからないように慎重に運航するのだ。そこに掛かる橋を渡れば小さな島へと渡ることができる。
橋は大きなアーチを描き、船の邪魔にならないように橋の柱の間隔は広く設けられている。私は海の方をゆっくり眺めながら橋を渡ってゆく。でも、町と町を歩きで往来する者は少ない、いや、全くと言っていいほどいなかった。
僕が歩いているこの道もいずれは誰も歩かなくなるのではないだろうか。良く詩でも耳にするものだ。道は歩く者がいるからこそ、時が経ちやがて踏み固められた立派な道になるのだと。この舗装された道でさえも、踏むものがいなければ雑草が生い茂り道があるようには到底思えないような姿へと変わってゆくのだ。そう思いながらも僕はこの道を強く踏み固め一歩ずつ歩いていくと、一時間ほどで横の町へと着いたのだ。
ここは僕たちの町からも見える小さな港町なのだ。今日はここへは泊まってゆく。出発したのは四時前だったもので、これから先の町へ行くのは厳しいと感じたのだ。多分、きとにぃも同じようにここで泊まって行ったのだろう。きとにぃも僕と同じように四時前に僕たちの町を出たのだから。
一泊するついでに良く子供の頃に日帰りで父に連れて行ってもらった町の漁師さんの家と町で唯一の食堂に寄っていくことにした。
漁師さんの戸馬さんの家へ向う途中で一人の少年と出逢うのだ。名前は颯渡といった。どうやら戸馬さんの孫らしかった。彼に今から戸馬さんの家へ向かうと告げると、俺も付いていくと一緒に家へ向かった。
家のチャイムを鳴らせば、前とは変わって少し痩せたおじいさんがでてきた。
「あんたは誰じゃ?」
「お久しぶりです。僕は岳です。富野目 岳です」
「あんた、がっちゃんかい。よう背が伸びたもんじゃ、なんやあれは…八歳ぐらいの頃か、その頃からぱったり顔見せんくなって。積もる話もあるだろう、さぁさぁ、入れ。おう、なんじゃわしの孫ともおうとったんかい。さぁさぁ、颯渡も入れ」
おじいさんに家の客間まで案内してもらって、そこの座布団に二人共ちょこんと座った。おじいさんはお茶を淹れるから待ってなさいと少しの間沈黙が続いた。次に沈黙を制したのはおじいさんが襖を開けたときだった。
「がっちゃんや、ほんでまたなんでここへ来たんや」
「昔からの夢やった旅人になってみよう思いましてね。今日町を出たばっかりなんです。」
「そう言う事かいな。がっちゃん、昔からでっかくなったら旅人になる言うとったらかな、ほんで遂にその夢を叶えようっちゅうわけやな」
話をしていると、今まで黙りこくっていた颯渡が口を開く。
「なんで、お兄さんは旅人になろう思たん」
そう無邪気に聞くので今までの事の経緯を説明した。
「そうか、旅人ってかっこええよな。俺も旅人なってみたい思とってん」
そう言う颯渡におじいさんが、そういやそうやったなと、口を挟む。聞けば、昔おじいさんがきとにぃの話を颯渡に一度聞かせたことがあったらしい。その時からずっと旅人になりたいと言っていたそうだった。
その時に、颯渡は明日家へ帰る予定だと聞かされ、颯渡の家は二個先の町だったので、僕とも行き先が同じであった。颯渡は一人でこの町に来ることが多いらしく、今回も一人で自分の町から歩いてきたらしかった。そこで、僕と颯渡は一緒に二個先の町を目指すこととなった。おじいさんに、夢が同じ者同士仲良くできるはずじゃとくっつけられたのが現実だった。
夕食の時間になったので食堂へ向かおうとすると、俺も行くと、颯渡も付いてきた。おじいさんも行ってらっしゃいと颯渡に小銭を持たせてやっていた。夕食時の食堂はあまりにも繁盛し過ぎていたので、おじいさんを一度呼びに行って。先にお風呂を済まそうと言う話になった。
ここの町は備え付けの風呂がない家が多く。逆に備え付けの風呂なんていらないと言う人がこの町には大勢いるのだ。町の人たちは銭湯へ出向き、近所の人と友だちと長話をする為にここへやってくる。なんともその雰囲気が僕はたまらなく好きだった。
今は夕食時なので銭湯の利用客は多い時の三分の一程度だった。久しぶりの銭湯に心の中ではしゃぎつつも変わらないその内装が昔を思い出させた。そこにいるはずの父が今回はいないのが、旅人としての人生の幕明けをより強く思わせた。
風呂を上がれば颯渡が瓶牛乳を腰に手を当てながら飲んでいるので、僕も飲もうと一本買って颯渡と同じようにして飲み干した。おじいさんは長風呂なので先に二人で食堂へ向かうことにした。
食堂へ向かう際に銭湯へ足を運ぶ町の人たちとよくすれ違った。夕食時を少し外れた食堂の店内は人がぽつぽつといるだけだった。僕が食堂のおばさんに挨拶をしに行くと、おばさんはすぐに僕だということに気づいてくれて、おじいさんと同じ話を繰り返した。
そうして食堂のおばさんに注文をして、おばさんが食事を持ってきてくれたときに僕の夢が上手くいくようにとお祝いをしてくれた。
「あんたが頼んだカレーライスのおまけとして、ラーメンと牛タン、メンチカツに豚汁。これ全部で九百八十円だよ。その代わり、頑張りなよ」
おばさんはそう言って、強く背中を叩きながら笑った。
僕はありがたく受け取りながらも、こんな量を食べきることは出来ないので半分は颯渡に食べてくれないかいと言うと、颯渡は無言ながらもぺろりと食べきってしまって、僕も少し年を取ったのかと思い知らされた。おじいさんも食べ終わった後に食堂へ来たが、うどんの一番小さいのを食べて腹がいっぱいだと言うので少し心配になるところもあった。
そうして、おばさんに明日の昼頃にまた挨拶しに来ますと言っておじいさんの家へ向かった。今日の夜はおじいさんの家へ泊めてもらえることになった。おじいさんはあんた、ここへ泊まって行きなさいと快く、いや、それどころか泊まっていって欲しいと言わんばかりだった。せっかくひいてくれた布団が客間にあったものなので、断る理由もなく甘えさせてもらった。しかし、颯渡の布団も横にひかれているので、年頃大丈夫かと思いながら颯渡の方を見てみても嫌な顔ひとつも浮かべてはいなかった。
おじいさんは漁師の仕事をするために夜は海へ出るので、二人でもう寝てしまうことにした。時刻は十時だったが明日を考えれば早くもなかった。
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