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それは、冬の到来を告げる雪が舞い散る頃のことだった。
公爵令嬢のリリィシュは、自宅前にて出迎えた戦地帰りの婚約者の相手を目の当たりにして固まっていた。
寒いと言えば寒いものの、固まっていたのは決して寒さのせいではなかった。
「ただいまっ、僕の愛しの子猫ちゃん!あぁ相変わらずなんて愛らしい瞳なんだ。最高に形の良いアーモンド型の枠の中に収まった宝石のようなエメラルドの瞳。その瞳に見つめられると冬なのに僕の心は熱くて蕩けそうで切なくて悶え死んでしまう。それに相変わらず豊かで艶があって美しいブロンドの髪。今日は編みこんでるんだね。とても似合ってるよ。でも無造作におろした君の髪を早く見たいなぁなんて気が早すぎるか今のは忘れて。やはり君は最高に可愛い世界一いや宇宙一だ。戦地にいる間寝ても覚めても君のことばかり考えていた。あぁリリィシュ、僕のリリー!」
馬車から降りてきた瞬間、終始この調子である。
もしや戦地から新種の熱病を持ち帰ってきたのではないのかと疑ってしまうくらいの、この熱っぽい浮かされようといったら。それに、聞いてはいけない心の声まで駄々漏れていた気がする。
「で、殿下……息継ぎ、出来てますか?」
お陰で、呆気にとられたリリィシュの婚約者に対する第一声がそれだった。
そんなリリィシュの様子などどこ吹く風といったかのようにレナードはリリィシュに近づくと、手に携えていた薔薇の花束を差し出した。
実はその薔薇の存在でさえも、レナードが馬車から降りてきた時に目視確認していたリリィシュは驚いていた。あれだけ花を携えるなどまっぴらご免だと言っていた人が。女性に花を贈るなど軟弱者のすることだと冷徹な瞳で毒づいていた人が。
「マイスイートハニー。殿下だなんてそんな寂しい呼び方はなしだよ。レニーと呼んでくれないか」
いつから、私はあなたにとってマイスイートハニーと呼ばれる程の近しい中になったのですか?
戦地に行く前までは、手を繋ぐことはおろか愛を囁かれたことなど1度もなかったのですが。
「き、綺麗な薔薇の花束ですね。ありがとうございます…………レナード、様」
「レニーでいいのにぃ……あっ!徐々に距離を縮めていくということかな?確かにその方がより恋も燃え上がるというものだね。楽しみだなぁリリーがレニーと呼んでくれるの。その日は記念日として書き留めておかないとね」
「そ、そうですわね……」
戸惑いがとめどなく脳内を周遊する中、引き攣った笑みを浮かべつつリリィシュは花束を受け取った。
そこまでのやり取りをした時点で、スススと静かに斜め後ろから近づいてきたメイドのモリーナが、リリィシュを呼び耳打ちしてきた。
「リリィシュ様。まずはおかえりなさいませ、でございます」
分かってるわよ。分かってるけど…………
「レナード様。おかえりなさいませ。無事のご帰還、大変嬉しく存じ奉ります」
「うんっ!ありがとうっ!さぁ、無事に帰ってこれたことだし早速結婚しようか、リリー!」
「え…………」
――ある日、塩対応の婚約者が激甘になって戻ってきたら、あなたはどうしますか?
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