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ルーデンヴェルナ国第2王子レナード・ヴァン・フリードリヒ。御年20歳。
類まれなる知性とずば抜けた身体能力を買われ、16歳の頃より常に前線で指揮する。その戦の才能をいずれの戦いにおいても如何なく発揮し、いつしか軍神と称されるまでになった。
長い漆黒の髪からのぞく深いブラウンの瞳。吸い込まそうになるくらいに美しい切れ長のその瞳に射竦められたら、敵も味方も時を忘れその場に立ち尽くしてしまう。
一見すらりとして見える長身の肢体は服や甲冑の上からでは分からない。しかし、筋骨隆々としたその固く引き締まった身体は、日頃厳しい鍛錬に勤しむ精鋭の騎士達も羨む程の造形美だという。
そんな圧倒的ともいえる強さと恵まれた容姿を兼ね備えた持ち主は、社交界においても常に注目を浴び続けていた。
特にレナードが出席した舞踏会においては、貴族令嬢達がこぞって彼の周りに群がった。どの令嬢においてもそつなく丁寧に接する紳士な態度。流れるような美しく優雅なダンスの所作は、更に彼女達の妄想欲をかきたて虜にした。
レナードの人気は日を追うごとに高まり、由緒ある家々からレナードへ向けて釣書が大量に送られてきた。レナードの噂を聞きつけた隣国の王家からも輿入れさせたいとの打診まであった。
そんな人気絶頂とも言える色男の王子レナードと公爵令嬢のリリィシュの間に婚約が交わされたのは2年前のこと。レナードが18歳で、リリィシュが16歳の時だった。現国王の王妃とリリィシュの母親が仲の良い学友だった縁でリリィシュが選ばれた。
後日、両親に呼び出されそのことを知ったリリィシュは大いに戸惑った。
当の本人はそれまで1度も誰かに対して恋らしい恋をしたことがなかった。そして、本を読むことが何よりも大好きな平凡な少女だった。しかも、それまで何かに理由をつけて舞踏会行きを断っていたリリィシュは、レナードに会ったことがなかった。
見た目も性格も平凡だと自分の兄に言われていたリリィシュは、綺麗なドレスに身を包んで舞踏会に行く自分が想像出来なかった。
そんなリリィシュは、レナードの妹フィオナのお茶会に招かれた。本当は断りたかったものの、王家直々の打診とあっては従いざるを得なかった。そこでレナードと初対面したリリィシュは、レナードの態度に凍りついた。
フィオナの友人である他の貴族令嬢達の前ではにこやかに接していたレナードだったが、リリィシュと2人きりで庭園を散歩することになった途端、態度が一変したのだ。
『綺麗なお花達……花束にしたらさぞ綺麗でしょうね』
『それは俺に花を贈れと強請っているのか?』
『え……いえ、決してそんなつもりは』
『花を携えるなど到底考えられない……女性に花を贈るなど軟弱者のすることだ』
『…………』
『リリィシュ嬢。先に言っておくが、俺は君と結婚する気はない。俺は次の戦争が終わって帰ってきたら婚約破棄を打診するつもりでいる。母上達の手前もあるから現時点ではすぐに取り下げることが叶わない。だが、俺に結婚の意思はない。だからその心づもりでいろ』
『……わかりました』
あれは完全に拒絶した表情だった。
リリィシュ本人も結婚に元々興味はなかったけれど、婚約者と決められた相手に自分だけ何故かそんな風に冷たい態度をとられたことが衝撃的だった。
しかし、リリィシュからしてみれば、あとで冷静になって考えると願ったり叶ったりのことではあった。
あの調子なら、戦から戻ってきたらその足で国王夫妻に婚約破棄の申し入れを本当に行うことだろう。
そうなれば正妃としての忙しいお役目に励むことなく、本の虫である自分を止めずに気の済むまで読書に没頭出来る。それに、婚約破棄された令嬢をわざわざ好き好んで娶ろうと積極的に動く相手は今後そうそう出てこないだろうから、心ゆくまで我が家で悠々自適に暮らせる。
自分を嫌う相手の元へと嫁いで気の重くなる毎日を過ごすくらいなら、嫁ぎ遅れる未来の方が断然ありがたい。
それくらいに思い、レナードへの手紙はこれまで1枚も送ったことのなかったリリィシュだったのだが。
あてが外れたとは、正にこのことである。
「確かに、あんなレナード様は無しですよねぇ。何と言いますか、今までのクールな雰囲気とはまるでかけ離れていると言いますか言動が軽いと言いますか……リリィシュ様に対しての態度がかなり軟化されましたね」
侍女のモリーナが、入浴後のリリィシュの髪を梳かしながら後ろで苦笑する。それを鏡越しに見ながら、リリィシュは大きく溜息をついた。
「変わり過ぎでしょ。だってあの人、どう考えても戦争に行く前まではわたしとの婚約を嫌がってたじゃない。帰ってきたら婚約破棄するからって堂々と宣言までしておいて。それなのに帰ってきた途端、あんな甘々な態度とってきて……まるで、わたしにと、とり、とり……」
「虜みたいな感じでございましたねぇ、あれは誰がどう見ても」
「!」
鏡越しにクスクス笑うモリーナを見つつ、リリィシュは顔を赤らめた。
リリィシュの邸宅に居座り夕食まで共に過ごしたレナード殿下は、リリィシュとの別れを惜しみつつ、先程やっと帰って行った。
帰る間際には、油断していたリリィシュを軽やかに抱き寄せて額にキスを落とした。
『ひゃぁああっ!』
お陰でリリィシュは人生で1度も出したことがないような裏声が出てしまい赤面する羽目になった。
悪戯っ子のように微笑み、慈しむ眼差しを向けて髪を撫でる姿は、リリィシュが知る冷たいレナードではなかった。
――一体、何が彼をあんな風に変えたのかしら?
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