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ダイエットする山
「ねえ、ねえ。今週の日曜、山登りに行かない?」
山登り? アンタ、まだその趣味続いてたんだ。
「いや、全然。登山用に買った靴、どこにしまってあったかしら」
そんな調子で山登りなんて、本当に大丈夫なの?
「ほら、前にも一緒に登ったあの山。あそこなら大丈夫でしょ」
ああ。初心者向けの低山だっていう?
「そうそう。あの太っちょ山なら、ブランクがあっても安心よ」
ひどいあだ名を付けるわね。
「可愛いじゃない」
じゃあ、これからアンタのこと、太っちょチャンって呼ぶわ。
「やめて、お願いだから」
何か準備しておくものとかある?
「太っちょ山なんて、大層な準備の必要もないでしょ。ヒールでだって登れるわ」
わざわざ自分でハードルを上げんでも。まあ、適当に動きやすい格好ならいいか。
「うんうん。晴れるといいなぁ」
天気予報を見る限り。問題ないでしょ。
「山を甘く見ちゃ、ダメよ」
アンタが一番、甘く見てそうな気がするけど。
◇◇◇
・・・ねえ、ちょっといい?
「言いたいことは、なんとなくわかるわ」
あの山、なんだか少しスリムになってない?
「あんなの、私が知ってる太っちょ山じゃない」
アンタがそんなあだ名付けるから、対抗して痩せたとか。
「私のせいにされても」
なんだか、登山客も少ないわね。
「登りやすい山じゃなくなっちゃったから、初心者が来なくなったんじゃない?」
なるほど。そういう見方もあるか。
「上級者には、高さが物足りないだろうし」
帯に短し襷に長し。色々と中途半端になってしまった、と。
「どんなにデブでも、個性は無くしちゃダメね」
私の親友のノンデリが過ぎる。
「さて、どうしよう? 私たちの格好で大丈夫かな」
うーん、ちょっと厳しいんじゃない? 街歩きの格好とあまり変わらないし。
「仕方ない。日をあらためて、再チャレンジといきましょう」
ずいぶんとやる気ね。
「私、一度決めたことはキチンと果たす女なの」
十年以上一緒に居て、初めて知ったわ。
「そんなこと言う子は、前にした奢りの約束を果たす必要もないかなぁ」
ごめんって。よっ、律儀な女。そこに痺れるあこがれるぅ。
「ふふん、じゃあこれからスイーツめぐりといくわよ」
この格好なら、少しくらい食べすぎても問題なさそうね。
◇◇◇
・・・ねえ、ちょっと。
「うん。私も言いたいこと、ある」
あの山、この前よりもスリムになってない?
「あんなの、私の普通山じゃない」
アンタが個性がないとか言うから、さらに細くなったとか。
「私の求める個性じゃない」
でもほら、登山客が前よりもたくさんいるわよ。
「あれだけ急斜面になったら、さぞかし登りがいがあるでしょうね」
登山ルートによっては、ほとんどボルダリングみたいになりそうだけど。
「それだって、登山の一種でしょ」
私たちの格好じゃあ、到底無理そうね。せっかくそれなりに準備をしてきたっていうのに。
「ちぇー、今日もおあずけかぁ」
またチャレンジするつもりなの?
「もちろん。さあ、今日も街へ繰り出すわよっ」
この格好で、あまりおしゃれな街中をうろつきたくないんだけど。
「最近見つけた、全席個室のお店があるの。なんと、三千円で無制限食べ放題、飲み放題なのよ」
アンタ、初めからそっちが目当てだったんじゃないの?
「あくまで山登りの帰りに行こうと思ってたんだってば。ご褒美がわりにね」
登山してないのに、ご褒美をあげてもいいの?
「たまには自分にも、甘くしなきゃ」
この前のスイーツめぐりで、甘いものは当分勘弁だけどね。
◇◇◇
・・・ねえ、
「言わなくても、わかるから」
あの山、いつの間にか元に戻ってるわね。
「むしろ、前より太っちゃってるかも」
アナタの好きな、太っちょ山が帰ってきたじゃない。
「うーん。あらためて見ると、やっぱブサイクで微妙かも」
私の親友がノンデリすぎる件について。
「私たち、浮いてるね」
まわりは軽装の初心者ばかりの中で、これだけ重装備なら、そりゃあね。
「さあ、行くわよ」
え? 帰るんじゃないの?
「別にどんな格好でも、この山なら問題ないじゃない」
それもそうだけど。
「そんなことよりも、重要な問題があるのよ」
問題?
「今日こそはしっかり運動しないと、正直、お腹がヤバくて」
・・・ここのところ確かに、少し食べすぎたわね。
「少し、なんてものじゃないわ。体重計に乗ったときに味わった絶望は、これから何度も夢に見そうなくらい」
いいえ。私はまだ、自分の体重を知らない。わからない。確定しなければ現実じゃない。いまの私は、シュレーディンガーの猫。
「あの山を見てると、嫌なイメージばかり思い浮かぶわね」
やめて。私も嫌なイメージを連想するから。
「さあ、にっくきアイツをやっつけるわよ」
この重装備も、かえって好都合かもね。
「急なダイエットは、リバウンドにも要注意だけど」
――あの山みたいに、ね。
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