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 悔しいけれど、桐生には感謝しなければならない。なぜかと言うと、水鳥が素晴らしい弁護士だったからだ。  偉そうに『素晴らしい』なんて、上から目線で思ったけれど、真里也が抱えていた問題を水鳥は見事に短期間で片付けてくれたからだ。  高校生の分際で、しかも他に弁護士も知らないと言うのに、誰と水鳥を比べているんだって話だけれど、博の残してくれたこの家で変わらず過ごせるのは優秀な大人達のお陰だった。  高校の学費も奨学金の手続きができた。これは實川のアドバイスで。  生活費は、博の保険金と遺族年金で何とかなる。 「父さんの保険金は、大学費用の足しにしろってじいちゃん言ってたしな」  中学生の時に不慮の事故で父を失い、手元に振り込まれた保険金は手付かずのままある。ちゃんと、真里也名義だ。もちろん、博からの贈り物も真里也の名前で振り込まれている。  博が生前に彫り上げていた仏像は、行き先が決まっているものを除いても、五体はあった。  遺言では真里也の好きにしろとあったけれど、博が心を込めて作ったものを売るなんて絶対にしない。 「仏像がいくらするかなんて、わかんないし。俺にとっては大切な形見だってことだけだ」  博の部屋で遺品の整理をしていた真里也は、仏像を一体ごと柔らかい布で拭きながら、一生懸命彫っていた博の姿を思い出していた。  博はよく言っていた。  神や仏を信じる信じないよりも、心の拠り所にしておくことが大切なんじゃないのかと。  腹が立つことや、うまくいかない時でも、仏像に手を合わせる──いや、ただ見つめるだけでも、人は心が綺麗になっていくと思える。反対に、邪なことやズルすることを考えると、そこにたまたま仏像があれば、後ろめたさを感じて直視できない人は多い。  誰が見ていなくても、他の目が見ているのだと無意識に感じるからだ。  懐古に浸りながら、五体ともケースに入れて箪笥の上に飾ると、また涙が溢れそうになる。  葬儀の間は不思議と涙は出てこなかった。  喪主だったし、気を張っていたからだと思う。  それでも、式を終えて家に帰ってくると、『おかえり』と言ってくれる博がいない現実が、一気に襲って来た。  博を永遠に失ったのだと実感すると、もう涙は止まらなかった。  堰を切ったように泣いていたら、羽琉がホットミルクを作ってくれた。  湯気が甘く香るのは、蜂蜜入りだったから。  羽琉の心のように温かくて甘いミルクが、全身に染み渡ると、深く眠ることができた。  静かな日曜の午後、ひとりでいると思い出ばかりをよぎらせ、ふいに、羽琉の顔を見たくなった。  羽琉は夕方までバイトだから、今日はいつもより早く帰ってくる。学校帰りのシフトだと、営業時間終了まで働くから、そこからの羽琉は慌ただしい。  夕食を食べて風呂に入って、宿題をする。土日はモーニングの時間から働くから、バイトは夕方までと決まっている。時にイレギュラーもあるけれど、今日は十七時までだ。  仏像を全部飾り、博の遺品もあらかた片付いた。真里也はよいしょっと、立ち上がると、思いっきり伸びをした。 「さあ、後は掃除機をかけたら終わりだな」  体を動かしていると、家族を失った悲しみは誤魔化せる。ここ最近の真里也は、手馴(てなら)しの彫刻をする以外はほとんど家事をしていた。  頭の中でこの後にすることを時系列で並べていると、インターホンが鳴った。  真里也は手にしていた掃除機を壁にたてかけ、廊下に出た。すると、インターホンが連打され、次にこぶしで扉を激しく叩かれた。  随分とせっかちな来客だと思い、鍵を開けようとして、はたと気付く。  ひとり暮らしになったんだから、用心しろと實川が言っていた。  真里也の家は古いから、モニター付きのインターホンなんて洒落たものはない。音だって、ドラマなどでよく聞く軽快なものではなく、押す度に、ビービーと振動するような、犬を飼っていたら確実に吠えてしまう音だ。  それが連打されているのだから、早く扉を開けて音を止めたくなる。  新聞の勧誘か何かだろうか……。  この家を訪ねて来る人間は限られている。だから顔見知りの来客はこんな風に、来訪を知らせてこない。  ふと、音を鳴らしたり扉を叩いて来るのは、古い家で年寄りが住んでいると思っているのかもと考えた。  それでも、すりガラスの向こうにいる来客はやり過ぎだと思う。  はいはい、今開けますよと口にしながら三和土に降りて、真里也は鍵を開けた。  内側から扉を開けようとしたら、外から物凄い勢いで全開されたから、思わず足を一歩後ろへ後退させてしまった。  目の前に現れたのは、派手な柄のシャツを着た坊主頭の男と、サングラスにスーツといった、いかにも真っ当な職についてなさげな男達が玄関を塞ぐように立っていた。  中肉中背で背もそれほど高くはないのに、醸しだす雰囲気に気圧されていると、坊主頭の男がズイっと足を三和土に踏み込んで来た。 「ど、どちら様ですか」  上擦った声で尋ねると、坊主頭が(いや)らしく口元を歪めて見てくる。 「にいちゃん、この家のもんか」  耳障りの悪いがらがら声を聞いた途端、頭の中でサイレンが鳴った。  人を見かけで判断してはいけないと教わっていたけれど、目の前の二人には瞬時に本能が判断した。  彼らはヤバい(﹅﹅﹅)と。 「な、なんの用ですか。あ、あなた達は誰ですかっ」  腹に力を入れて声を出してみたけれど、震えていたのが自分でもわかる。 「あんた、玉垣って家を知ってるだろ。家に行っても誰もいないんだ。にいちゃん、どこに行ったかしらねぇーか」  羽琉……に用事があるわけないよな。ってことは、おじさんに会いに来たのか。  羽琉の父親と同じ雰囲気がする二人だけれど、きっと友人とは違う。彼らと、羽琉の父親の関係性を考えていると、玄関の内壁をバンっと坊主頭が殴ってきた。  威嚇するような男の行動は真里也を確実に怯えさせ、震えが一気に全身へと駆け巡った。  真里也に恐怖を植え付けたと思ったのか、坊主頭がほくそ笑んでくる。 「おい、やめとけ。学生さんが怯えてるだろ。ところで、君はこの家の人間か?」  スーツの男が静かに聞いてくる。坊主頭より声は優しいけれど、サングラスをかけているから表情がわからない。  恐怖で声も出なくなっていた真里也は、こくこくと頷くことで肯定を示した。 「そうか。俺らはな、玉垣に用があるんだ。にいちゃん、あいつがどこに言ったか、息子から聞いてないか」   息子——。羽琉のことだ。こいつら、俺と羽琉が親しいって知ってるのか?  羽琉と真里也の家の間には二軒の家がある。けれど、ニ軒とも博は回覧板の受け渡しくらいで、立ち話すらしない付き合いだった。それも仕方ない、一軒は、共働きの家庭で子どもはいないし、もう一軒は一年ほど前に空き家になり、どこかの不動産屋の看板が立ててある。  要するに、売りに出ている物件だ。  羽琉の居場所を真里也に聞いてくる。考えられる理由は羽琉の父親、玉垣から聞いたとしか思えない。 「息子はどこにいるんだって聞いてるんだろぅがぁー」  巻き舌で坊主頭が怒鳴ってくるから、不本意ながらもビクリとしてしまった。  大声で怒鳴られると、話したくても怯えて言葉がでないことを、この男はわからないのだろうか。  もちろん、何も答える気はない。  真里也は思いっきり首を左右に振って、知らぬ存ぜぬを貫いた。 「本当に知らないのか? 隠しておいても君のためにならないぞ」  スーツの男が静かに脅してきたけれど、真里也は無言のまま首を左右に振って抵抗した。 「ガキがっ! お前が玉垣の息子と親しいってこっちは知ってんだっ! さっさと言えっ!」  見るからに警戒したくなる相手に、羽琉の居場所なんて言うわけないだろっ。  坊主頭に恫喝されても、真里也は唇を左右に固く引き結んだまま、男達をジッと見据えた。  父達が言っていた、玉垣が何者なのかがよぎり、報復が怖くても絶対に喋らないと腹を括っていたのだ。 「——まあいい。見つからなけりゃ、親子共々片っ端から街を探せばいい」  薄ら笑いを浮かべながら、スーツの男が真里也を凝視してくる。恐ろしくて、つい目を逸らしてしまった。  行くぞと、顎で坊主頭に指示して玄関から去って行こうした革靴がふと止まった。 「にいちゃん、俺らは玉垣に金を貸してる。だから息子に会ったら言っとけ、親父が返せないならお前に払ってもらうまでだってな」  脅しのように言い捨てると、二人組の男は家の前に乗り付けてあった車に乗り込んで走り去って行った。  玄関扉を開けたまま、男達の乗った車が去って行くのを見届けると、急いで扉を閉めて鍵をかけた。そのまま居間に向かい縁側の雨戸を閉めると、家中の窓に鍵をかけた。  陽の光を遮った闇に電気を灯すと、座卓に置きっぱなしにしていたスマホを握り締め、羽琉の名前を画面に表示した。  羽琉に知らせようかと思ったけれど、バイト中はスマホを身につけていない。  鳴らしたところで、羽琉が着信に気付くのは仕事が終えてからだ。  どうしよう、バイト先にアイツらが行ったら……。  玉垣が借金をしていた。それも真っ当じゃないところからだ。  羽琉の母親が出ていく前も、出て行った後も、玉垣が働いていた雰囲気はなかった。  ほとんど家に帰って来ず、たまに戻ると酒を呑んで羽琉に暴力を奮っている。  家族を大切にしてるなんて、あの男からは微塵も感じなかった。  そんな男が借金取りから逃げ回れば、男達は必ず羽琉のところへ行ってしまう。  どうしよう、どうしたら羽琉を守れる。  学校にいる間は安全だ。生徒も大勢いるし、何より教師が守ってくれる。  問題は学校を離れてからだ。バイト先がバレれば、深町や客にも迷惑がかかる。それは絶対に羽琉が避けたいことだ。  しばらくはバイトを休めればいいのだけれど、今日のことを話さないままでは無理だろう。  羽琉は、絶対に理由を聞いて来る。そして、父親に挑んで、また体を痛めつけられるかもしれない。  じいちゃんなら、こんな時どうするだろう……。  仏壇に飾ってある博に救いを求めるよう、真里也は電池が切れたおもちゃのように動けずにいた。
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