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 どれくらいの時間、同じ場所で座っていたのか。玄関の扉をガタガタさせる音で我に帰った真里也は、またさっきの男達が来たのかと身構えた。  そろりと廊下を歩くと、すりガラスの向こうに見えた人影に安堵し、三和土に飛び降りて鍵を開けた。 「ただいま——ってか、珍しいな真里也が鍵をかけてるなんて。いつもは開けっぱ——」 「羽琉っ!」  おかえりを言う前に、羽琉の体に抱きついていた。 「ど、どうしたんだよ、熱烈な出迎えだなぁ。何かいいことあったのか」  勢いよく飛びついたものだから、羽琉がバランスを崩し、よろめいている。  どうした、どうしたと宥めるように背中を撫でてくれるから、さっきまで抱えていた不安が、氷のように溶けていった。  で、何があったと羽琉に聞かれ、さっきの男達のことを口にしかけたけれど、すぐに噤んでしまった。  ——だめだっ。羽琉に言えばきっとおじさんを問い詰める。  そんなことになれば、玉垣のことだ。羽琉にどれほどの暴力を振るうか、容易に想像できる。  言えない。羽琉には今日来たヤツらのことは絶対に言ってはダメだ。  何とか借金のことを伝えないで、羽琉にバイトをしばらく休んでもらう方法はないか。  玄関で羽琉に体を預けたまま、思考を張り巡らせていると、 「なあ、本当に何があった。教えて欲しいから、顔を上げろ。じいちゃがいなくなって寂しくなったのか」  真里也はじいちゃんっ子だもんなぁと、羽琉が名案をくちにしてくれたから、それに乗っかることにした。 「そ、そうだよ。ひとりで、こ、心細かったんだ。けど、もう平気だ。こんなのすぐに慣れる。腹減っただろ、飯にしよっか」 「本当に平気か?」  心配げに言う羽琉の視線が背中に刺さっていたけれど、わざとらしくスキップなんかして、台所へ行き、鼻歌もおまけに披露した。ここまですれば、羽琉はきっと疑わない。  如何わしい男達が突然やって来たものだから、つい、羽琉に頼ってしまったけれど、自分のところで止めれば、あの男達の存在を羽琉に知られることはない。  親子丼の仕上げをしていると、「真里也っ」と叫んだ声と同時に羽琉が台所にやって来た。 「び、びっくりした。何だよ、羽琉。もうちょっとで出来るから待って——」 「今日、この家に男が来ただろ。二人組の男だっ」  スマホを握りしめた羽琉が、怒っているような、泣きそうな顔をして真里也を凝視している。 「ど、どうしたんだよ。何をそんなに怒って——」 「男が来たんだろっ、ガラの悪そうな男だ。何かされたのか、何を言われたっ」  血相を変えた羽琉の顔は、怒りに満ちている。初めて見る幼馴染の態度に一驚し、真里也は持っていたおたまを床に落としてしまった。 「あ……ご、ごめん。俺……。真里也、ごめん、俺、心配で……」  スマホを持つ手がまだ震えている。その原因は、怒りなのか恐怖なのか。  確かめなくてもわかる、羽琉は聞いたのだ、今日、この家に来た人物のことを。 「羽琉……電話、おじさんからか?」  真里也の質問に、羽琉がピクリと反応した。 「そっか。……羽琉、取り敢えずご飯にしよう。食べながら話せばいい。な?」  宥めるように居間まで背中を押してやると、羽琉は身体中の骨を抜かれたように脱力して座り込んでしまった。  マッハで作った親子丼と味噌汁を並べ、昨日の残りのきんぴらも用意した。  とにかく、腹が減っているとイライラするし、余計なことを考えてしまう。 「さあ、食おう。急いで作ったから自信ないけどさ」  無理やり羽琉の手に箸を握らせると、先に真里也が食事に手をつけた。いつもは羽琉のいただきますを聞いてからだけれど、今日はこの方がいいと思う。  出汁が薄かったかなぁと言いながら、丼を掻き込んでいると、ようやく羽琉も口をつけてくれた。  黙々と食べ進めていると、向かい合う羽琉の口から、美味いと聞こえてきた。  丼の中身を半分ほど食べたのを確認して、「今日来たのはさ」と、真里也が口火を切った。 「おじさんを探してるって言ってた。で、息子がお前と仲がいいなら、何か知ってるかなって聞きに来ただけだよ」  敢えて軽口風に言ってみた。  羽琉の居場所を探してる——この部分だけは伏せて。 「……親父に聞いた——ってか、あいつのせいだ、この家にサラ金の奴らが来たのって」 「おじさんがお金を借りてるのって、違法? 的な会社からってことだよな」 「ああ。親父(あいつ)、きっとこの街にはいないと思う。ほとぼり冷めるまで隠れてるつもりだ」 「隠れてるって、お金を返さないとまたあの人達は来るよ」  自分で言って怖くなった。羽琉も自分も何も悪いことなどしていないのに、非常識な大人ひとりのために怯えて暮らさなければならないのかと。 「なあ、實川先生に相談しようか。そしたら、あの水鳥って弁護士さんに打開策を教えてもらえるかもしれな——」 「いいっ! 俺が……自分でなんとか……する。もう、真里也には迷惑かけない。お前、本当は怖かったんだろ? 帰ってくるなり俺に抱き付いて来たくらいなんだからさ」  被せるように言ってくる羽琉の顔は、今の自分よりも怯えているように見える。  真里也は反省した。誤魔化したつもりでも、抱き付いたのは不味かった。あれじゃ、めちゃくちゃ怖かったと言っているようなもんだ。 「でも、高校生がどうにかできる相手じゃないと思うんだ。だからやっぱり水鳥さんに相談して——」 「いいって言ってるだろっ。親父のことは俺がなんとかするし、真里也だって俺が守る。こんなこと、きっとなんでもないって。それに、大人なんだ、話せばきっとわかってくれる」  わかって——はもらえないと思う。そう言いたかったけれど、父親のことは息子である羽琉が一番わかっている。他人の自分が口を挟めない。ましてやお金の問題だ。  博が死んでから、真里也もわからないことだらけだった。  實川や水鳥、おまけで桐生といった大人がいなければ、どうしていいかわからなかった。だから羽琉も彼らに協力してもらって、煩わしいことから解放されて欲しい。でないと——彼らは羽琉のところに行って金をせびるかも知れないのだ。 「……悪いけど、今日はこれ食ったら自分の家に帰るよ。心配しないでくれ、な」  最後の一文字の音だけが優しく聞こえた。それ以外は、立ち入ってくるなと言わんばかりの拒絶だったように聞こえる。  引き止めても、ここは羽琉の家ではないし、帰りたいって言う相手を無理やり引き止めることはしたくない。  丼を綺麗にすると、ひと言、じゃあなと言って帰ってしまった。  玄関まで見送った後、しばらくの間、真里也は動けずにいた。  子どもの時から羽琉に頼ってばっかりで、弱い自分が恥ずかしい。  怖そうな男達が来たからと言って、バイトで疲れている羽琉に感情を投げようとした。  母親から受けたトラウマなんて、微々たるものなのに、いつまでも羽琉を求めて縛り付けていたのかもしれない。だから、肝心な時に、羽琉は支えにもならない真里也を突き放したのだ。  羽琉、お前に俺はやっぱり必要じゃないのか……。
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