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 大学もバイトも休みで暇を持て余していた真里也は、普段手が回らない場所の掃除に精を出していた。  体を動かさないと、ぐちゃぐちゃと余計なことを考えてしまうし、下手したら泣きそうにもなるからだ。  洋食屋で見かけた姿は、真里也の知っている羽琉よりずっと大人っぽく見え、別人のような気がした。  綺麗な女の人は羽琉より少し年上なのか、高校の時より男らしくなっていた羽琉とお似合いだったと思う。  二人共が美男美女で、彼らの間には誰も割り込めない雰囲気だった。  小さな女の子は三歳くらいだろうか、羽琉と同じように毛先だけがクルンと丸まって、癖っ毛が可愛らしかった。  動揺していた割にはよく見てたんだなと、真里也はひとりで苦笑いしてしまった。  掃除機のコンセントを抜くついでに、溜息が出てしまうのも、羽琉が使っていた食器や布団を見て苦しくなるのも、家の中や、真里也の心の中に、羽琉が存在しているからだ。何をしても、気が紛れることはないんだなと思った。  父の部屋の掃除を終え、博の部屋の窓を開けて換気をしていると、インターホンが鳴った。  廊下を歩きながら、以前のように来客に怯えることもなくなったなと、自分も少しは成長してしたのかなと思う。  どちら様ですかと、声をかけると宅配業者だった。  荷物が届く予定がなかったから、真里也は受け取る前に誰から届いたのかを確認した。  以前の真里也なら、何も疑わず受け取っていたけれど、頼れる人が誰もいない独り身は、自分で自分の身を守らなければならない。  わからないことは一旦、疑いの目を持つ。こんなことを言っていたのは桐生だったっけ。  宅配業者が手にしていたのは、A4サイズくらいの箱で、高さは十センチほどある。  結構、大きな。でも最近ネットで何も買ってないし、本当にウチの荷物か?  訝しげに眺めていると、業者のお兄さんが、えーっと、と、送り主を確認してくれる。 「送り主様は、玉垣……羽琉さまですね。お受け取りは大丈夫で——」 「えっ! た、玉垣羽琉、ほ、本当に!」 「は、はい。こちらを……」  あまりにも大きな声で叫んだものだから、お兄さんが後退りしつつ、箱の宛名が見えるように差し出してくれる。  送り状を見ると確かに羽琉の名前が書かれてあった。すぐに視線を差出人の欄に向けたけれど、全く知らない隣県の住所だった。 「……ウチで合ってます、ありがとうございます」 「よかった、ではハンコもらえますか」と、言われ、下駄箱の上にある小物入れからハンコを出して押印すると、箱を押し付けるように渡され、彼はそそくさと帰って行った。  三和土に降りて鍵を閉めると、真里也は箱を抱えたまま居間に駆け込んだ。  羽琉、羽琉……。お前は俺に何を届けてくれたんだ。  箱の蓋には割れもの注意や、下積禁止などの注意喚起のステッカーが貼ってある。  胸の高鳴りに煽られながら、ガムテープを剥がそうとしたけれど、頑丈に貼ってあるからスムーズに取れない。ようやく全てのテープを取り去り、蓋を開けようとしたが、指先が震えて力が入らなかった。  真里也は一旦、箱から手を離し、大きく深呼吸をした。  中を見るのが怖い……。  入っているのが、過去に自分が羽琉に送ったものだったらどうしよう。  サコッシュや抱き枕——は入らないか。でも、漫画の本や、タオルとかあげた記憶がある。自分との関係を断ち切って、あの、綺麗な女の人と未来を歩く。だから、真里也を思い出させるものは邪魔なんだ──と、そんな嫌な妄想ばかりしてしまう。  でも、それならそれで自分も諦めが付く。いや、やっぱり無理だ。忘れるなんてできない。いやでも……。  箱を前にして、いや、でもと、何度も繰り返し、ようやく腹を括ると、深い息を吐いて箱に手をかけた。  恐る恐る蓋を開けると、大量のプチプチが見えた。中から透けて見えるのは、茶色の紙に包まれている物体だった。  嫌な予感はこの時点で立ち消えたけれど、中身が全く想像できない。  真里也は注意喚起に倣って、両手で掬うようにそっと中身を取り出す。すると、ビニール越しに触れた感触に覚えがあった。  もしかして……。  プチプチを取り除き、現れた茶色の紙を丁寧に剥がしていくと、中から現れたのは仏像だった。 「これ……じいちゃんの……」  中から出てきたのは、高三の時に真里也の母が盗み、玉垣の手に渡った博の遺作だった。  自身の作品に自らの名前を彫る仏師もいるが、博は決して名前を彫らない。なぜなら、彫り上げた時点で、もうそれは仏なのだと、博は言っていた。名前を入れてしまうと、ただの木彫りになってしまうと、博はそう思っていたらしい。  代わりに仏像のどこかに、博は蓮の花を彫っている。  盗まれたもの全ての、仏像の足の甲にも蓮の花は刻まれていた、  博が木の中から救い出した、仏像の証拠だ。  五体あった仏像全てを持ち去られ、それらはすぐ古物商に売却されてしまったと聞かされていた。なのに、そのうちの一体が今、真里也の手の中にある。 「……まさか、羽琉はこれを探して買い取ってくれたのか」  大学に入学したばかりの時、准教授である桐生の講義を終えた真里也は、彼に呼び止められ、神妙な顔つきで言われたのだ。  お前の爺さんの仏像は一体、五十万以上はすると。  いきなり何を言い出すんだと、睨んでやると、一番小さいものでも十万はするぞと、反省もなく追加で言われた。  気になったから相場を調べたと桐生は言っていたけれど、手元に戻ってきた仏像は五体の中でも中くらいのサイズで、桐生の話に乗っかれば、三十万ほどだろうか……。  博の遺作はどれも小さめで、母が盗むのにもきっと容易だったはず。  依頼があった作品は、依頼主の希望通りのサイズで作成しており、博の思うままに彫った仏像はどれも小ぶりだった。  それでも五十万はするんだ……。  桐生が金額を言ってきた時には、本当に工芸大学の教授かと、訝しく思ったけれど、今初めて彼の下品な話が役に立った。  羽琉は仏像を探し、お金を貯めて取り返してくれた? 「それを……俺に送ってくれた……んだ」  自分の父親が犯した罪を、羽琉が償おうとしてくれる。正当な方法で。  博の仏像一体を取り戻すのに、どれだけ大変だったか。どんな苦労があったのか。真里也は想像して涙を流した。  羽琉が大切にしていた、カフェを経営する夢。未来で好きな人と一緒になる幸せ。それらを犠牲にしてやしないだろうかと、心配して、申し訳なくも思う。 「はる……羽琉。もう……いいんだよ、お前は自分の幸せを……」  言いかけた言葉を途中で切った。  違う、羽琉を幸せにするのは自分だ。  羽琉の夢を応援するのも、自分しかいない。なのに、子どもの頃から思い描いてきたことは、仲睦まじい三人の後ろ姿で、呆気なく消えてしまった。 「はる……好きだよ。きっと、ずっと好きだったんだ……」  でも、もう遅い。  羽琉は羽琉の人生を、別の人と笑って生きて行くのだ。  羽琉がいないと、俺は……俺のままではいられないのに、好きな気持ちだけじゃ、もうダメなんだ。なのに、羽琉は他の人と生きてゆく。  少しずつズレ始めていた二人の歩幅に、今更気付いても遅い。  先へ行く羽琉にはもう、追いつけないのだから。
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