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 約束通り一番だなと、羽琉が嬉しそうに言うから、こっちが照れくさくなる。  佳作だった報告を聞かされたのが、實川の後だったことを、羽琉はまだ根に持っている。お陰で、實川がいつ展示会に来るつもりなのか聞いてこいと、何度か言われたけれど、見に来てくれと催促していると思われたら嫌だから聞きたくない。そう、訴えた。  代わりに展示会の初日に行こうと提案した。幸いにも初日は土曜日だったから学校も休みだし──と。  真里也の言葉に脱兎のごとく、バイト先に向かった羽琉は休みをもぎ取り、そして今に至るのだ。 「何度も言うけど、佳作だからな。入選とか入賞の作品と比べないでくれよ」  念を押したけれど、鼻歌を歌いながら、他の展示物には目もくれず、真里也のはどれかなぁと浮かれて、羽琉は人の話など聞いちゃいない。  羽琉と二人で電車を乗り継ぎ、やって来たのは都内には珍しい、自然豊かな風景に囲まれた美術館だった。  常設展を扱っていないこの美術館は、年間を通して様々な展示物を扱っている。  西洋絵画、日本画、書道など多岐にわたる展覧会で多くの人を楽しませる場所に、真里也が挑戦したコンクールの作品が展示されているのだ。 「うー。ドキドキしてきた」 「何でそんなに緊張する——あ、そっか。偉い先生からの批評が書いてあるんだっけ」  そうだ、そうだよ。それが怖いんだ。  激しく訴えたかったけれど、静寂した館内で大声は出せない。  實川から聞いた話によると、それぞれの作品と一緒に、審査員を務めた評論家や、有名どころの彫刻家などの評価が書かれたシートが一緒に飾られているらしい。  他の人の作品や入賞した傑作を見たいのに、自分の作品が酷評だったらどうしようと、そればかりが頭を占めていて、せっかくたくさんの作品を見られる機会がだいなしだった。  活字で『はあ』と、はっきり見えるような溜息を吐いた時、横にいる羽琉の足が止まった。  とうとう、自分の作品が飾られている場所に来たのかと、覚悟を持って顔を上げようとしたら「一番じゃないし……」と、羽琉の気落ちした声が降ってきた。  (かげ)を帯びた視線の先を見ると、實川がこっちを見て手を振っている。 「先生、来てくれたんですねっ」  動こうとしない羽琉をその場に残し、真里也は實川の側に駆け寄ったが、隣にいる見知らぬ顔の存在に気付いて足を止めた。 「よお、射邊。先に見させてもらったぞ」 「……えっ、あ、そうですか。えっと、あの……評価シートって……」 「読んだ、読んだ」  真里也の質問に答えたのは、實川の隣にいた男性だった。  にこにこしてこちらを見てくるから、戸惑いの眼差しで實川を見て訴えた。  この人は誰ですか——と。 「ああ、こいつ? こいつは——」 「俺は桐生(きりゅう)真人(まこと)。實川の悪友だ。君がこいつのお気に入りの生徒だな。確か、アベ(アヴェ)マリア(マリア)ってご立派な名前の」  いきなり禁句を素晴らしい発音で言われた。おまけに、立派な名前だって言う註釈(ちゅうしゃく)付きで。  自称悪友、桐生が悪ぶった様子もなく言うから、カチンときたけれど、悪友──と言うより、悪ガキ風な桐生の後頭部を實川が叩いてくれたのでよしとする。 「桐生、お前は余計なこと言うな。悪い、射邊。こいつは高校からの俺の友達で、あ、ほら前に話したろ。工芸大学で准教授やってるって。あれ、こいつのこと。専攻は彫刻だぞ」  そう言えば、以前、美術部が大学へ見学に行ったとかなんとか言っていたっけ。  この人、大学の先生なんだ……。そっか、彫刻の先生なんだ……。  見た目は悪くない。いや、きっと世間一般的にはイケメンの部類に入ると思う。  短く切り揃えた髪をワックスで固め、剣山のように立たせている。身長も實川より少し高いから、百八十センチはあるだろう。  バランスの取れた全身を纏っているのは、スモークグレーのニットで、首元から白いシャツの襟を覗かせている。アンクル丈のクロップドパンツはフィットタイプで足首がチラッと見えていた。オシャレかもしれないけれど、けっこう寒そうだなと思った。  真里也が観察しているのに気付いたのか、意志の強そうな吊り上がった目で見据えられると、「君の作品ってさぁ」と、意味深な言い方をするから心臓に響く。  工芸大の准教授から、素人の作品など目も当てられない——なんて言われたらどうしよう。立ち直れる自信がない。  桐生の言葉を死刑宣告されるみたいな気分で待っていると、「真里也、行こう」と、羽琉に手首を掴まれた。 「一番に見れなかったんだ、感想は俺が最初だっ」  力強く腕を引っ張られると、實川と桐生の前を通り過ぎ、奥にある展示物までやって来た。 「せ、先生また後で」  羽琉に引っ張られたまま小声でどうにか伝えると、真里也は羽琉と一緒に、他の人の作品を順に見て行った。そしてとうとう、自分の作品の前までやって来た。 「真里也、見るぞ——って、おい。何で後ろ向いてんだ。ちゃんと見ろ」 「い、嫌だ。怖い。羽琉が先に見てくれ」  作品に背中を向けたまま、真里也が固く目を閉じていると、しょうがねーなと、羽琉の声がする。  また羽琉に甘えている。でも、今日はどうしても無理だ。  美術館だけあって周りから雑音は聞こえず、時折作品を見ながら囁く声が聞こえたが、よそ様が何を言っているか内容まではわからない。  悪いことが書かれていても、羽琉ならお世辞も言わず、はっきりと言ってくれるはず。  静寂の中を暫く待っていたが、一向に羽琉の声が聞こえない。  もしかして、あまりの酷評だったから、かわいそうにと思って何も言えないのだろうか。 「は……羽琉。なんて書いてる?」  羽琉の腕を引っ張って尋ねると、「ヤバい」のひと言が先陣を切って聞こえてきた。 「ヤバい? どうヤバいんだ。なあ、ちゃんと言ってくれっ」 「……荒削りだけれど、タイトル通りに表現されている。二つの笑顔から、本当に笑い声が聞こえてきそうだ。作成者の他の作品も見てみたいものだ——だってっ! なあ、真里也。お前ってすげえな、めちゃ褒められてるぞ」  読み上げてくれた羽琉の声を頼りに、真里也は恐る恐る振り返った。  目の前には、夏休みのほとんどをかけて作り上げた自分の作品と、羽琉が読み上げてくれた言葉まんまの文字が羅列したシートが一緒に飾られていた。 「……ほ……んとだ。やった……。やった、羽琉。ありがとうっ! 俺、めっちゃ嬉しい」  羽琉の手を取って踊り出しそうになったけれど、ここは美術館。  静かにしないと怒られる。気を引き締めたと同時に、實川と桐生が側にやって来た。 「だからいい作品だって言っただろ。よかったな、射邊」 「ま、高校生の初心者にしたら、及第点ってとこだ。ギリだけどな」 「また、お前はそんな言い方をする。俺は、射邊をお前の大学に進学はどうかなって思ってるんだぞ。ちゃんとそれなりの目で見てくれよ」  實川の口から突然進路の話が出て驚いたけれど、真里也より早く羽琉が先に反応していた。 「先生、その大学って東京にあるんだよな」 「ああ。もちろん。じゃないと、桐生は東京を離れると病んでしまうからな」  愉快そうに實川が言うから、横にいる桐生があからさまにムッとしている。 「お前な。そんなこと言うと、生徒にお前の黒歴史を話すぞ」  桐生の言葉に、お互い様だろと、實川が反論している。学校を離れた場所で見る教師も、休日で気心知れた友人といると知らない人に見えて新鮮だった。 「じゃ、俺らは他に行くところがあるから。射邊、玉垣、気をつけて帰れよ」  展示物を堪能し、外に出たタイミングで實川に言われた。  笑顔で手を振って去って行く實川に会釈していると、桐生の目と合った。  實川の肩に手を回しながら、真里也のことをジッと見てくる。  慌ててもう一度頭を下げた。今度は深いお辞儀のように。  顔を上げると桐生は背中を向けて、戯れるように實川と駐車場の方へ歩いている。  なんだよ、あの人。  なんとなく、自分に対して風当たりがキツく感じたけれど、そんなこと今はどうでもいい。羽琉が一緒に喜んでくれたし、實川も褒めてくれた。何より、批評してくれた見知らぬ偉い人にも好印象だった。  それだけで十分だと、真里也は桐生の言葉を宇宙の果てに蹴っ飛ばしながら思った。
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