狼に戻るのさ

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狼に戻るのさ

 近衛兵の一人が腕を失った。  大ごとになるかと思いきや、それは大きな秘密ごとになった。  それは、ジョサイヤの動きが早かった、からであろう。  ジョサイヤは自分に切りかかって来た男が右腕を破裂させたと知るや、あっさりとその男が叫び声をあげる前に首にさくっと彼の細い剣を突き刺した。  一瞬で殺してしまった、のだ。  もう一人の薄黄緑色の髪は、仲間が受けた惨劇に声を上げるどころか、水色の髪と同時に、ジョサイヤの部下の一人によって後ろから刺し貫かれて絶命していた。  俺はもう、脅えながら床にへばり付いているしか出来ない。  どうしよう!  これは全部俺のせいだよね!  俺があの腕を爆発させてしまったんだよね?  脅える俺は床に貼り付いているしか出来なかったが、すると、俺の脇の下に誰かが手を入れてきて、俺は猫みたいにしてその両手の持ち主によって彼の前にぶら下げられていた。 「この子をいつまで汚い床に転がしておく気だ?」 「すいません、隊長。ですが丁度良かった。死体の始末をお願いします」  俺を持ち上げている男は、彼に仕事を与えた男に俺を放り投げる。  猫か何かのように、ポイ、だ。  放り投げられジョサイヤにキャッチされた俺は、ジョサイヤの腕の中に納まり、そして、彼の腕の中で抗議も何もしなくて良かったと思った。  ヴィクが両手を閃かせて呪文を唱えるや、まとめられた二体の死体の下に真っ黒な円ができ、その落とし穴のような円に死体がすとんと落ちてしまったのだ。  ひゅん。  円は直ぐに閉じ、あとは血の跡があるだけの床に戻った。 「さすが隊長。異界流しなど出来るのはあなただけです」 「単なるゴミ捨て担当にされているがね」 「そんなことはないですって!」  え?  色んな魔法が使えるらしい器用貧乏どころか、こんな魔法までも使えるって、実は勇者よりも凄くないか? 「ああ、床が汚れているな。ヒューとバランを呼んで彼らに掃除をさせろ。で、俺は勇者様を部屋に戻す。ほら、返せ」  従者の喋り方を止めろと言ったのは俺だけどさ、なんか扱い方が壊れ物から壊れないぬいぐるみに変わっていないか?  ジョサイヤから俺を受け取った人は、俺を俵みたいにして肩に担いでしまったのである。  彼は二つ折りになった俺を肩にプラプラさせながら、軍人らしい大股でザクザクと歩きだした。  そのうちに人気のない廊下となったので、俺はようやくヴィクに話しかけた。 「えと、歩けますから」 「気にするな。俺がアキを担ぎたいだけだ」 「いえ、あの、この体勢は辛いですって」 「あ、ああ、そうか。すまない」  俺は彼の肩から剥がされて別の抱き方をされたが、それはお姫様抱っこでしか無くて、これはヴィクによる嫌がらせなのかと思う程だ。  余計な仕事を増やしやがって、的な。 「あの?」 「気にするな。俺がしたいだけだ」  嫌がらせでは無く、本心から俺を抱きたいようである。  それでは、と俺はヴィクにしがみ付いて彼の肩に頭を乗せた。  すぐさま俺の頭に、ヴィクの頬が当たった。 「うん? 怖かったか?」  従者の喋り方ではなくなっていたが、ヴィクの声はいつもの従者の時と同じく優しいだけの低い声で、俺はその声によって完全に無防備にされた。  ちがう、子供みたいに甘えたのだ。  ヴィクの肩に自分の顔を擦りつけた。 「怖かった。俺にあんなことができるなんて知らなかった」 「そうだな。それでもその力があったからこそ、俺の大事なジョサイヤは命拾いが出来たんだ。俺はアキには感謝ばかりだよ?」 「嘘つき」 「嘘じゃないですよ。」  彼はハハハと笑い声をあげると、再び歩き出した。  俺は彼が歩くその振動も心地よいと思いながらも、ヴィクに言い返していた。 「嘘ですよ。だって、普通にジョサイヤは強い人ですもの。あんな人達に剣技で負けるなんて絶対ない」 「反抗してはならないと調教された犬は、絶対に飼い主を噛めないものなんだよ。それが自分や自分の家族が殺される場面だとしてもね」  俺はヴィクの肩から顔を上げた。  ヴィクは今まで俺に聞かせていた声と違い、表情が暗く感じる翳りのある瞳で俺を見つめていた。 「ヴィク?」  彼はふっと微笑んでその陰りを瞳から消すと、アキのお陰だ、ともう一度言った。 「どうして?」 「君の可愛らしさに君を守ろうとあいつは一歩踏み出した。自分は飼い犬では無くて狼だったとね、ちゃあんと思い出したのさ。君のお陰で親友は自分を取り戻した」  俺からふふっと笑い声が漏れたが、それは笑い声どころか体の震えから来る声でしかなかった。 「アキは自分が仔猫だって思い出したのかな」 「ふ、ふ。俺は犬でさえないのですか?」 「うーん。俺の猫になって欲しいからかな」  え?  俺はどさんと下に無造作に降ろされた。  いつの間にか俺の幽閉部屋についており、俺はヴィクによってベッドに転がされてしまったのである。  ヴィクは、ええと、俺に覆いかぶさった。  先程まで抱きしめられていたけれど、ベッドに仰向けにされて上に圧し掛かられている、という体勢は、先程とは違う緊張感を俺にもたらしている! 「ヴィク?」  彼は瞼を閉じると、俺の顔へと顔を下げた。  ちゅっ。  彼がキスしたのは、俺の額、だった。  唇では無かったと、そっちの方に驚く俺をヴィクは楽しそうに笑いあげると、軽やかな足遣いで俺の部屋を出て行った。
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