ヴィクが運ぶ料理が不味い理由

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ヴィクが運ぶ料理が不味い理由

 夕飯はジョサイヤが持ってきた。  盆の上にはいつもの黒パンどころかミートパイが乗っていて、そこにセットされるスープ皿にはクリームシチューっぽいものだった。 「何が起きたの! 俺は明日処刑されるのですか!」  日本の刑務所では、処刑前日の死刑囚の食事には菓子が出ると父が言っていた。  だから、思わずだ。  するとジョサイヤは目を丸くして数秒だけ固まり、その後は豪快に全身を震わせて笑い出した。簡素なテーブルに食事の皿を零さずに置けたのが不思議な程に、ジョサイヤは肩を震わせながらしつこく笑っている。 「そ、そんなに笑わなくても! いっつも不味くて硬い黒パンに、青臭い野菜スープだけなのですもの。それなのに突然これだったら、何かされるかもって思うでしょう?」 「確かに! ああ、確かに!」  俺は馬鹿だからカタコト振る舞いをつい忘れる。  だからとうとうヴィクは呆れたのかと、俺はヴィクの代りに目の前にいるジョサイヤを眺めた。  こんなに気さくそうな気安い男性に、ヴィクじゃなくてがっかりとは言えないだろうと自分を叱りながら、だが、聞くべきであろうと口を開いた。 「ヴィクはどうしたのですか?」 「隊長は普通に食事をしていますよ? あなたが屋台のお菓子が美味しいって泣いた話を聞きましたからね、自分の習慣を押し付けるのを止める事にしたそうですよ? その決断するまでに今夜まで一週間もかかったみたいですけれど」 「どういう、ことですか?」 「あの食事は、奴隷の食事なんですよ。あの方は二十年前を忘れないように、あれしか口にしません」 「ここの食事がまずいだけでは無くて? わざと? あんなに美味しくないものを? あの人は体を大事にしなきゃいけない軍人さんなのに? タンパク質は? お肉を取らないと駄目でしょう?」  そっと頭を撫でられた。  これはジョサイヤからは初めての行為で、俺は驚いて彼を見上げた。 「すいません。あなたは本当にいい子だ。あの方が自分を曲げるぐらいにね。それでも自分の食事はあれと決めている人ですけれど、あなたはあの人との食事を続けますか?」  俺は温かくて美味しそうな食事を見つめ、恐らくも何も、一人であの食事をしてもおいしくは感じないのだと思った。  不味い食事でも、ヴィクと俺は一緒に食事をしてきたのだ。 「今日は美味しそうな食事をありがとうございます。明日からはヴィクと同じものでいいです。それから、市でも買い食いは止めますから、俺のお付きになってくれる人にはそう伝えてください」 「君は! ……いいや、君は意外と策士なのかもな。伝えましょう。今すぐにでも。ああ、すぐに伝えてやらなきゃ。せっかくのシチューが冷めてしまう」  ジョサイヤはニヤリと口角を上げると、俺に椅子を引く事もしないでさっさと踵を返して俺の部屋を出て行った。  俺は椅子に座り、恐らくも何も、絶対にやってくる大男を待った。  臥薪嘗胆のようなことをやっている男。  その行為の先には復讐があるのだと、悲しく思いながら。  果たして、十分もしないでどかどかという足音が廊下で響き、俺の部屋のドアがいささか乱暴に開かれた。  ヴィクの腕には食事の盆が乗っており、それはジョサイヤが持ってきた俺の食事の内容と全く同じものだった。  不機嫌そうな男はドアに鍵を掛けると、いつもは足音を立てないで歩く癖に、煩いくらいに床に足をぶつけるようにして歩きながら俺の待つテーブルにやって来て、ガチャンと乱暴な仕草で盆をテーブルに置いた。  置いただけじゃない。  俺の前にある盆と今自分が持ってきた盆を、取り換えるなんていう心遣いまでしてみせたのである。  不機嫌な顔をしたまま。  そして彼はドカッと、いつもの優美さを投げ捨てて乱暴に椅子に腰を落とした。 「全く! 俺と一緒で、俺がアキと同じものを食べないと食事をしないってどういうことだ?」 「俺はヴィクが幸せだと自分も幸せだと思うからだと思う」  バアン。  テーブルをヴィクは思いっ切り叩き、シチューの皿がほんの少し浮いた。  こんなに俺に暴力的だった彼は一度もなく、俺は彼を見返してしまった。  彼は俺からほんの少しだけ顔を背けて、ただし、頬から耳まで赤みがさしていることが一目でわかったので、俺から恐怖心は一瞬で消えた。 「……言うんじゃない」 「出過ぎた事でした」 「違う!」  彼は怒ったようにして俺を見返し、そこで下唇を噛むと顔を背けた。  そして、大きく溜息を吐きながら右手の手の平を自分の目元に当てたのだ。 「どうしてこんなに可愛いんだ、ちくしょう」
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