お泊り会とは違う

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お泊り会とは違う

「お邪魔します」  返事など無い。  息子のように俺を可愛がってくれた穂高の両親は、今や俺という洗脳者によって息子が壊れてしまった、という風に俺を見做していた。  つまり、俺は彼らの敵だ。  部屋に入って来た俺に笑顔を向けるどころか、視界に入れなければ俺という存在を無視できるという風に、彼らはふいと顔を背けた。 「おい!」 「穂高、いいって」  親にでも殴りかかりそうな穂高の腕を抑えた。  彼らが俺を受けいれたのは、単に暴力的になった息子を宥めるためだけだろう。  玄関から入ってすぐに、居間となる部屋の壁に大人の頭ぐらいの大穴が開いていれば、何が起きたか想像するまでも無いと言う事だ。  母親は海外展開をしている大手建設会社の設計士、父親は米英文学の教授、という方々では、壁を殴って穴をあける息子を抑える術など無いであろう。 「だって、君にこんな風に!」 「いいって。それよりも穂高、こんな大穴をあけて。君は怪我はしていない?」  一瞬で穂高は癇癪を収め、それだけでなく、子供みたいなわあっという無邪気な感じで俺に抱きついてきた。 「昴輝だ! やっぱり俺が一番だった昴輝だ!」  胸がズキンと痛んだ。  俺の帰還をこんなにも喜んでいる穂高であるのに、俺は始終ヴィクとの事ばかりを思い出している。裏切りだ。  あっちの世界に滞在していた時には、俺は穂高と過ごした日々が失われた事を散々に儚んでいたというのに。  俺の体に穂高の腕はさらに巻き付き、彼の腕はあの日の思い出よりも細く筋張って感じた。  そこで俺のもの思いは冷め、穂高の右の手首を掴んでいた。 「拳には何の怪我も無いよ?」 「そうじゃない。本気でお前はガリガリになっているじゃないか! お前は!」  彼は俺にあの日と同じような優しい笑みを向けると、俺から腕を外してから、キッチンカウンターにいつも置いてあるクッキージャーからクッキーを二枚取り出して一枚を俺に咥えさせた。  そして、自分も齧ると、ニヤッと悪戯そうな笑みを作った。 「これからはちゃんと食べる。昴輝が俺の元に戻って来たんだ」 「穂高」 「さあ、行こう! 俺の部屋で積もる話をしようよ! こんな不愛想な人達は放っておいてね!」 「穂高!」  穂高は俺の腕に彼の腕を絡めると、俺を彼の部屋へと引っ張りはじめた。  俺は穂高の両親に申し訳なさでいたたまれなくなって、居間を出る瞬間に彼らに振り向いた。見るんじゃ無かった。穂高の母は嗚咽を押さるようにして口元に手をやっており、父親の方はそんな彼女を抱き寄せていた。  もしかしたら、俺は家族のきずなを壊す呪いの使者なのかな。  俺はメモが挟んであるベルトを手で押さえる。  少年課の叶刑事はこの世界では息子がおらず、俺に息子だと名乗られて目を丸くするだけであったが、彼は俺に何かあれば連絡しろとメモを渡した。  それはどこぞの施設にこれから収容されるであろう子供への、彼なりの情けなのだろう。 「子供がいないって事は独身ですか?」 「学生時代からの付き合いのある女房がいるよ」  俺がいなければ離婚などしなかった夫婦らしい。 「昴輝、どうした?」 「何でもない」  俺は穂高に渡されたクッキーを齧って答える事を誤魔化した。  クッキーは甘いはずなのに、砂みたいな味しかしなかった。  それは俺の心が荒んでいるからなのかと思いながら、俺は穂高がドアを開けてくれた彼の部屋に、以前の自分のようなふりをしながら入った。  何度も遊びに来て、何度も泊った事のある、懐かしき親友の部屋は俺が最後に目にした時と全く変わりが無かった。  悲しいくらいに生活感も無かった。  変わってしまった穂高を嘆きながら、穂高の母が毎日掃除をしていたのだろう。  そのためか、大き目のクローゼットがある八畳ぐらいの彼の部屋が、大好きだった彼の部屋が、今やモデルルームの子供部屋のようにしか俺には見えないのだ。 「さあ、いつものように寛いで! お腹は空いていないかな?」 「大丈夫だよ。穂高こそお腹が空いていないの?」 「昴輝がいるからお腹が一杯だよ!」  穂高は俺を後ろから抱き締めて、そのままフザケたようにして抱きしめた俺を道連れに自分のベッドに飛び込んだ。  ぼふっとベッドは大きく軋み、俺はどうした事かと動いたが、俺の背中で静かな嗚咽が聞こえたことで俺はそのままでいる事にした。 「君は、ずっと、ずっと、ここにいてくれるよね」 「無戸籍の子供になっちゃったけれどね」 「安心して。ずっといていい。ここに居辛いなら、一緒に出ていく。二人だったら何とかなるでしょ」 「未成年は何にもできないよ。ついでに言えば、戸籍も消えた俺みたいなのは、まともな所は雇ってくれないって刑事さんが」 「あのろくでなしの言う事は全部忘れて」 「うん、気にしてないから、平気。それよりもさ、父さんが…違うか。あのさ、刑事さんがね、十五歳までだったら何とかなるかもなって呟いてた。十五歳までだったら、国が保護できるんだって。身元不明の子は捨て子ってふうにして、戸籍を作ってくれるみたい。もう本当は十六だけどさ、十五ってことにして、施設にご厄介になろうかなって思うんだ。そういう風に手配してくれるならさ」 「嫌だよ! 俺の傍にいてよ!」  穂高は俺を強く抱きしめた。  自分を抱く穂高の腕に、俺は自分の両手を添えた。 「何とかするから。俺が何とかするから!」 「穂高」 「だから、昴輝、俺を受け入れて」 「え?」  俺を抱く穂高の腕が動き、気が付けば、穂高は俺の横で体を起こしており、そして俺をしっかりと見下ろしていた。  見下ろしているだけでない。  彼は自分の腕を俺の柵になるようにしてベッドに手をつき、俺を彼という檻の中に閉じ込めてしまった。  穂高は俺をせつないくらいにじっと見つめ、横寝姿の俺がゆっくりと仰向けになると、彼は嬉しそうに微笑んだ。  微笑んで、俺の唇に自分の唇を重ねようとした。
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