親父

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親父

 三か月も経てば人間は環境に慣れるもので、穂高家ではぎこちない人間関係が続いてもいたが、それでも穂高が人生を取り戻すようにして家族の団欒も取り戻されていくようだった。  大学教授の父親と文学について語らい、設計士の母親に高等数学の難問に付いて尋ねるという、過去に何度も目にした穂高と穂高の両親の邂逅だ。  穂高が勉強熱心なのは、俺に学校の勉強を教えるためでもある。  俺は穂高のその行為に喜んでもいるが、学校に行けない自分の身の上を思い知らされてもいた。  俺から奪われた俺の人生。  もし、俺が穂高を愛し直せても、あの頃に語り合ったように、俺達は二人仲良く海外を放浪することも、就活で慰め叱咤し合いながら黒いリクルートスーツ姿で居酒屋で飲み合うって事も出来ないのだ。  せっかくカップルになれたとしても、一緒に住んだとしても、俺は穂高に依存し続けなければいけない身の上だ。 「世の中には戸籍のない子供がいっぱいいると聞いていたけれど、その子達はどうやって人生を手に入れているのかな」  俺はジーンズのポケットの後ろを探った。  叶刑事のメモが入っており、俺は彼に連絡することも無いと思いながらもこのメモを捨てられずにいた。  父親の文字が書いてある紙だ。  ぽたっと、シンクに水滴が落ちた。  俺は腕で自分の涙を拭うと、夕飯用の買い出しに出掛ける事に決めた。  うじうじする時は外に出るのが一番だ。  しかし、俺はマンションのエントランスで職質を受ける事になった。 「任意の強制だ。公園にでも行こうか?」  俺は叶刑事の言う通りに、彼の後ろをついていくしか出来なかった。  しかし、俺はホッとしていた。  この人にどこかの施設に送られるにしても、俺は人生を取り戻せる何かを手に入れられる気がしたのだ。  俺だって学校に行きたいし、正々堂々と外に出て声を上げたい。 「寒くないか? 悪いな、公園で。この季節のこの時間には公園はがら空きになるからな。人に聞かれたくない話だったら、そこ、だろう?」  振り向いて軽薄そうに笑うのは、俺の父だった記憶そのままで、俺は体中が締め付けられる気がした。  だからか、叶刑事がしめしたベンチに素直に座り、叶刑事から温かい缶のドリンクを受け取っていた。 「何ですか。甘酒って」 「息子と酒を酌み交わすって、親父の夢だろ?」  俺はかなり驚いた顔つきをしていたと思う。  恐らく。  だって、叶刑事は俺の顔を見るや吹き出したのだ。  そして、俺の髪をクシュッと撫でた。 「ラブホで俺とゲームをしている子供はお前だよな。どうしてそんなシチェーションなのかわからないが。お前は知っているか?」 「キャンプ場が虫だらけでアウトドアが俺達には合わないって気が付いたから。どうして?」 「ハハハ、ろくでもねえ親父だったって事か。俺は!」  カシュンと甘酒の缶を開けた叶刑事は、甘酒を熱燗の酒を飲むようにぐびっと飲むと、俺の隣にドカッという風に腰を下ろして来た。  何が起きたのだ?  俺は彼を横見したが、彼は両手で缶を握って前だけを見つめていた。  それで俺も彼と同じように前を向いた。 「俺はね、時々変な夢を見るんだ。女房が死産した子供が成長した夢をさ」  俺は再び叶刑事を見返した。  彼はニヤリと笑うと前方を指さした。  前を向いていろと言う事だ。  彼は大事な話をする時は、必ず俺の横に座り、こんな風に互いを見つめ合わない状況で話をしてきたと思い出した。 「父さんね、母さんと離婚することになった」  本当にろくでもない父親だな、と思い返しながら、父親に尋ね返していた。 「夢?」 「ああ。俺達が離婚しないのは、おぎゃあとも泣けずに死んだ子供の為だよ。俺達が別れて前向きに生きたらさ、そいつの存在が消えてしまうだろ」 「あ、あなた方の離婚って、前向きな人生なんだ?」 「ああ。何度も別れる別れないを繰り返してね、別れるところで妊娠だ。それでもうひと踏ん張りするかと子供の誕生を期待したらな、子供は胎児のまま死んでしまったとそう言う事だ。俺の記憶ではね」 「あなたの記憶?」 「いや、書類上の記録と言った方がいいかな。俺の記憶にはね、運動会で転んで息子に罵られたり、街中でばったり出会った息子を揶揄って嫌がられたりって、そんなデータが詰まっているのさ」 「まさか」 「女房もそうだ。互いに失った子供を想い過ぎて、そんな嘘話を頭の中に作っていると思っていたよ。自分の記憶なのに、当の息子の顔がぼんやりでわからないんだから尚更だろ。だから、そうだって自分に思い込ませていた。お前に会うまではね」  俺は隣の父親が何を言い出したのかと、必死に考えていた。  この世界で俺の存在は消されていたけれど、彼の記憶の中には俺という存在がちゃんと刻み込まれている?  穂高だって俺の存在を忘れていなかった。  そういうこと? 「それでもね、俺はお前の言葉が信じられなかった。逆にムカついたね。俺の酔った時の妄言をどこかで聞いて、お前が俺を騙しに来たんだとね」 「そ、そんなこと、しませんよ」 「だろうな。俺がお前を信じたのはさ、お前が消えたからだよ。あの穂高司君と一緒に警察署からぱっと消えちまっただろ。そんなのを見せられりゃ、俺も腹をくくって信じるしかねえ。息子が言っていることを信じるしかねえ」  俺は再び横に座る叶刑事を見返した。  彼は俺を見返して、鬼気迫る雰囲気で、来い、と俺に言った。 「え?」 「我が家に来い。見せたいものがある」  叶刑事はさっと立ち上がり、そのまますたすたと歩いて行き、俺も慌てて立ち上がると彼の後を追いかけた。  父親に自分を認められたと喜ぶよりも、どうしてこんなに世界の終りのような恐怖を彼から感じるのだろうと思いながら。
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