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世界を元通りに
叶刑事が俺を連れて行ったのは彼の自宅だったが、そこは俺の家だった。
母と一緒に住んでいた家で、母がローンを払っていたという2LDKの我が家だ。
「その顔じゃ、お前はここに住んでいたんだ? 高校男児を持つ三人家族にこの間取りはきついよな」
「父と母は離婚して、父は別に住んでいました」
「ハハハハ。俺は自分がローンを払っている家から追い出されるのか」
笑いながら叶は部屋のドアを開け、俺は懐かしさとそこが自分の家では無いという悲しみに襲われながら中に入った。
部屋は遮光カーテンのせいで薄暗く、叶が電灯をつけたことで、部屋の内部が明るく照らし出された。
明るくなろうが明るさを取り戻せない、何もない部屋。
穂高の部屋に入った時と同じ違和感。
人が住んではいないという、モデルルームでしかない寒々とした雰囲気が、家族の憩いの場所であるはずのリビングダイニングに広がっているのである。
「かた、片付いていますね。かあ、母さんと二人暮らしの時は、母さんがハードワーカーだったから、部屋は母さんが適当に放る鞄やスカーフとかですぐに乱雑になっちゃって」
「で、お前が片すってやつか。目に見えるようだよ。俺がその当番だからね。いや、そうだったと言うべきか。あいつはもう部屋を汚しやしない」
叶はそこから数歩歩き、部屋のドアに手をかけた。
玄関を入ってすぐにリビングダイニングだが、右手の壁にはトイレとバスルームの扉があり、左手には二つの部屋のドアが並ぶ。
リビングにある扉は、ベランダがある主寝室のドアで母の部屋となり、ダイニングの扉は窓はあるがベランダが無い俺の部屋だ。
叶が開けたのは俺の部屋だった。
「まさか!」
俺は開かれた部屋を見て息を飲んだ。
俺の使っていたベッドに勉強机と、俺の部屋がそこにあるのだ。
そして、自分の母親が、小学生の子供サイズのぬいぐるみを抱いて、俺のベッドに腰かけているのである。
肩甲骨まである髪は、櫛を入れた事などないぐらいにぼさぼさで艶も無く、白髪ばかりなのか灰色に見える。
顔付は飲み会の翌日のむくんだ顔みたいで、それが違うのは、生気が全く感じられないぼんやりとした眼つきをしているからであろう。
「どうして! 手術室付きの優秀な看護師でしょう? 母さんは!」
「こいつは徐々に壊れていった。三年前からはこんな感じだよ。何の反応もしなくなった。日中はデイサービスに通っている。そうだよな。自分の腹の中で死んだはずの子供の夢を見るんだ。あの子の小学校の準備が必要だと言ってランドセルを買うが、子供なんていやしない。あの子がぶり大根を作ってくれたって、キッチンに行けば適当に放られた汚れた皿がシンクにあるだけの昨夜と同じ情景だ。そんな繰り返しを毎日毎日していれば、壊れるよな? 壊れてしまうよな?」
俺は叶刑事に何も言えなくなっていた。
その代わりのように、叶刑事は俺に怒鳴った。
「お前には世界を取り戻せるはずだろう! 世界を戻してくれ! お前がその異世界とやらに連れていかれた日に戻してくれ。ろくでもない俺と、俺に見切りをつけた女房がいて、そんなろくでもない夫婦の息子をやってくれているお前がいる世界に戻してくれ!」
「そんな、そんな事を俺には」
「できるはずだ! あの穂高はタイムリープ? なんか出来るんだろ? お前を連れ去た奴を殺せ! お前を連れ去る前に殺せ! そうすりゃ、俺達の世界は元通りになるはずなんだよ!」
目の前の男は俺の知っている父では無かった。
そして、この今の会話を穂高に知られたら、穂高は喜び勇んで俺を召喚しようとしたその場へと乗り込んでいくだろうと想像できた。
俺は召喚されず、この世界は幸せなまま進んでいく。
しかし、俺はその行為を認められない。
俺はヴィクとのあの一か月を失いたくないのだ!
「できないよ!」
俺は叫ぶと、我が家だったはずの家を飛び出した。
飛び出した俺は、無意識に叶と話した公園に向かっていた。
だって、俺にはどこにも行くところが無い。
俺はヴィクの所に戻りたい、のだ。
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