戦闘中につき

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戦闘中につき

 戦闘中にヴィクトルの視界が閉じられ、瞼を閉じてもいないのに真っ暗となった。彼はその一瞬に怯む。しかし、すぐに晴れた視界の中で、戦闘中だった敵が突き出した槍をかわすぐらいの余裕はあった。  けれども彼の心臓は、恐怖で大きく鼓動していた。たった今の躱した槍への恐怖では無い。彼が急に脅え始めたのは、彼を襲った闇が彼がアキにかけていた魔法が発動して消滅した知らせであるからである。  ヴィクトルは、アキがイスラーフェルの力を使おうとした時に、その力の放出を止めるために制限の魔法をかけていた。  人の殺意や悪意を燃やし尽くせるその力は、不用意に使えば大事な人間さえも丸焦げにしてしまいかねない恐ろしいものだ。  だからこそヴィクトルは、アキに力が出やすい状況を作るまいと、魔法の呪文を教えず、魔法書も魔法陣も見せず、一切の危険が襲ってこないはずの塔の一室にアキを閉じ込めたのである。  だが、アキが思わず力を発動したのならば、それはアキの命を守るためのものである可能性の方が高い。  それならば力が開放されねばアキこそ危険になる。  そこでヴィクトルは、たった一度だけ意識をクリアにさせるという魔法をアキにかけたのである。  アキが不用意に力を使う場面だったのであれば、クリアになった事でアキは冷静に戻り日常を壊すことなど無いであろう。  反対に命の危険の場所であるならば、すぐに再始動出来るぐらいの制限で無ければ、アキこそが命を失ってしまう。  よって、魔法の発動の知らせを受けたヴィクトルが脅えているのは、アキの身の上に何らかの危険が迫っていると彼が思うからである。  槍を構えた兵士の群れに対し、ヴィクトルは右腕を大きく払った。  その腕の動きで炎の風が大きく起こり、まるで薙ぎ払われたようにして次々と兵士達は大きく後ろへと後退していった。 「もっと早くその技を使って欲しいですね」 「俺は炎系じゃないんでね。まやかし程度の火力だと知られれば、敵の士気が上がるばかりだろうが」 「ハハハハ確かに。では、大穴を作って落とし込むのは?」 「ジョサイヤ! お前は俺にできないことばかり言ってくるな」 「ええ、出来ないのであれば、大将であるあなたはもう少し下がって下さい。我が軍はあなたを失ったそこでお終いです」  ヴィクトルはしぶしぶと馬を宥め、ジョサイヤの言う通りに後方へと戻ろうとした。  しかし、彼はそこで馬の足を止めた。  数メートル先に小さな円がぐるっと描かれ、その円は二重となり、古代語が書き込まれていくのである。 「誰が召喚術を?」 「勇者でも呼ぼうというのでしょうか?」 「そうだな。生贄になる死体は腐るほどある場所だからな」 「千年円、回る、永遠に、回る。生命環は千年円と成り代わり、回り、ふるいにかけられし魂を導き、ここに――」  ヴィクトルはパシッと自分の右耳を右手で押さえた。  数か月間彼が聞きたいと望んだ声が、自分をこの地に召喚させる魔法を唱えているのである。  彼が耳を押さえたのは、アキの声を聞きたくないどころか、その声を逃がすまいという無意識の行動であった。 「まさか。先程の魔法の発動も、これか? 君は俺の元に帰りたいのか?」  ヴィクトルは茫然としながらも胸の内は鳥達が羽ばたくようであり、自分達に迫る多勢に無勢のカール軍の兵隊の波に対し、絶望感など消え去ってもいた。 「ジョサイヤ、少し俺の盾になっていてくれ。アキがここに戻ってこようとするのを俺は説得しなければならない」 「辛い選択ですね。いいですよ」 「ああ、後二刻は来るなと言わねばな」 「来るなでは無いのですね。ああ、しょうがないお方だ」  ジョサイヤは馬を操りヴィクトルの前に出ると、その大きな背中をヴィクトルに見せつけた。  ガツンと両の拳を打ち付けた音が響いた。 「二刻後にアキに介抱されるのは俺って事でいいですね。あなたが二刻後にアキに会いたいならば我慢してください」 「ああ、頼む。気兼ねなく地面を割ってくれ。ちゃんと力尽きた君を背負って砦に戻ると約束しよう」  ヴィクトルの目の前で地面は裂け、持ちあがり、その術に嵌ったカール軍の兵隊達は、小さな人形のように空に向かって散り散りに飛ばされた。  水色の空には、レースのような雲がたなびいていた。
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