ファルカス王子の陥落

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ファルカス王子の陥落

 ジョサイヤの地面割りという大魔法によって戦闘は小休止となり、ひとまずカール軍は営巣地へと後退した。  カール軍を追い払って砦に戻ったヴィクトル達は、次の襲撃までにはある数時間を休息や怪我人の処置や介抱に向けた。  戦術会議などもはや不要である。  襲い掛かって来た敵を押し戻す、今はそれしか出来ないのだ。  戦略的にはファルカス自治区の旗を立てた時点で、多勢に無勢という、完全なる負け戦であるとヴィクトルは理解している。  しかしながら、カール軍の戦闘意欲を削いで王都に退散させることが出来れば、ダンドール国とのしばしの休戦を勝ち取ることができ、また、大軍を退けた勇名によってそうそうに他国の侵略を受ける事も無くなる。  ここで踏ん張れば、旗を立てただけの地が自治区としての体を成せるほどに成長させる時間を得る事が出来るのだ。  ヴィクトルは辿り着いた大広間にて、力尽きて横たわる兵士や、疲れ切って座り込んでいる兵士を見回し、ねぎらいの声を上げた。 「君達を誇りに思う。猶予は五時間ぐらいだろうが休んでくれ。日の落ちた五時間後には、俺達が砦の外に出られなくなったことを利用しての砦落としが――」 「あ、隊長。俺達は大丈夫ですので、お早くアキを呼び戻してください」 「そうそう。隊長こそ、ちゃんと五時間は休憩を取って下さいね。アキに色々したいのはわかりますけど、体力の温存はお願いします。」 「できないって。隊長の部屋でジョサイヤさんが寝ているじゃない?」 「ああ、それでジョサイヤさんは俺達に隊長の部屋に自分を運ばせたのか! アキが来るって教えてくれたけど、あの人はそんな意地悪もしていたんだ」  ヴィクトルは右手で目元を覆った。  ジョサイヤめ、と。  しかし彼は生意気な部下を叱るどころか、お陰で心置きなくアキを迎えられると思い直し、手を自分の顔から剥がすとふいっと踵を貸して歩き出した。  自分専用の休憩室に戻り、ドアを閉めると閂までかけた。  ヴィクトルの部屋の長椅子に横にさせていたジョサイヤが、ヴィクトルが閂を降ろした音に目を覚まし、左の眉毛だけを上げてヴィクトルを見返すと、鼻で嗤ってそのまま目を瞑り直した。 「何か言う事は無いのか!」 「静かに待っていればいいでしょうに」 「二刻と言ったのに、何の音沙汰も無いんだ! 心配するなって方が無理だろう!」  ヴィクトルが今まで休憩どころか砦中を歩き回っているのは、二刻などとうに過ぎてもアキから何の交信も無いという事態に苛立ってもいるからだ。 「全く。いや、時間の流れはあっちとこっちは違っていたな。俺が知らぬ間にアキはこっちに現れて、もしかしたらカールに囚われていたか!」  不安から思いついて勝手に口から出た言葉であったが、口から飛び出した途端にヴィクトルにはそれが真実のように思えて来た。  がばっとジョサイヤまでも起き出して、ヴィクトルと同じような不安顔を見せたのだから尚更にヴィクトルを恐慌に陥らせた。 「畜生、どうしたら!」 「千年円、回る、――」  愛しの彼の声が脳裏に響き、ヴィクトルは一瞬で心が穏やかになったばかりか笑い声をあげていた。 「ようやくか! 遅いぞ」  すると、懐かしく愛らしい声が再びヴィクトルに応え、しかし、いくつか会話をするうちにヴィクトルの中でアキへの怯えが急に頭を持ち上げた。 「諍いが無くて、安全なその世界に二度と戻れないんだぞ?」 「でもさ、ヴィクがいない」  間髪入れずに返ってきた言葉に、ヴィクトルは頭を大きな木づちで殴られたように感じていた。  頭の中が真っ白になって、何も考えられない、そんな状況だ。  彼はアキに何も答えられなくなり、その場に立ち尽くしていた。  そんな彼を助けてくれたのは彼の親友であったが、アキが銀色の召喚魔法の円陣から出現したそこで、ヴィクトルは自分が再び壊される事になるとは思っていなかった。  アキは大荷物を携えて戻って来た。  三か月ぶりの彼は髪が伸びており、また、自分のところにいた時よりも成長しているからか丸かった顎は綺麗な三角になっており、しかし、真っ黒い大きな瞳は以前の通りに純粋で、あどけない目線を彼に向けているのだ。  アキはヴィクトルが茫然と見つめるその前で、自分の荷物に付いて色々と説明をし始めた。 「さつまいもはどこでも育ってね、甘くて美味しいから、食べる用と種用で沢山買って来た。あとね、薬もみんなに必要かなって。それで、これ、これ見て! 凄いの! 俺は有精かどうか卵を見分けられる目を持っていた。でね、有精卵が多い奴を買って来た。ねえ! ヴィクだったら出来るよね! ウズラを孵化できるよね!」  透明な容器にまだら模様の小さな卵を十個入った容器をアキは掲げると、信じ切っているという目でヴィクトルを見上げて来たのである。 「ウズラは小さいけどお肉は美味しいし、いいスープのダシになると思うんだ。ヴィクには少しでも、俺、美味しいものを食べて欲しいからさ、あの」  ヴィクトルはアキを抱き締めていた。  言葉を失っていたから、自分の気持ちが彼に伝わるぐらいに、ヴィクトルはアキをぎゅうと抱きしめたのである。  人は幸せになると復讐を忘れる。  王子であった自分が民の土地を取り戻すために戦い続けねばならないと、どんな汚れた事だってするつもりでヴィクトルは生きて来た。  自分から食事という楽しみを奪ったのは、目的を完遂する為の戒めである。  それなのに、今のヴィクトルは、誰よりもの幸せを噛みしめてしまっていた。
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