どこまでもヒーロー要件を満たす男

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どこまでもヒーロー要件を満たす男

 小屋の内部に茫然とする俺は、少々乱暴にヴィクによって背中を押されて小屋の中に入らせられ、俺を押し込んだ当人はさっさとドアを閉めて鍵までかけた。 「すいませんね。ここは内緒なんです」 「いえ、あの。どうしてこういう仕様なんですか?」 「意味が分からない人間には、壊れかけた噴水の整備にしか見えないでしょう? それでも城の貴族連中に入って来て欲しくはないですからね、こんな風な外観という仕掛ですが、あなたを脅えさせちゃいましたね」  思った通り!!  小汚い掘っ立て小屋の外観は、ここを秘密にしておくためのものだった。  彼らが仕える城の貴族達には知らせたくはないという、ここは秘密の大事な場所なのか?  だけど、どうして知られたくは無いのだろうか。  噴水を勝手に私物化しているから? 「いいえ。いえ、そうですね。確かに、外見が汚くて中に入るのが怖かったです」 「ハハハ。あなたは本当に素直だ」 「あの、でもどうして? 体を洗うことはいい事でしょう?」 「そうですね。ですが、水で体を洗うことは蛮族の風習だと蔑まれています。かといって、風呂は綺麗な水と薪を大量に使いますからね、庶民には許されない贅沢なんですよ。この城でも、王族は週に一回、貴族でさえ一か月に二度入れれば良いぐらいです。ただし、俺達はもともとはファルカス人なんです。二十年前にダンドールに侵略されてダンドール人になったけれども、子供時代に覚えた習慣は捨てられない。小川や湖で体を洗い、冬になればサウナを作っていたファルカス人ですからね、綺麗な水で体を洗うのは大好きで、止められないんですよ」  国を滅ぼされた?  笑顔で語るヴィクに悲壮感は見えなかったが、彼は俺に怒った顔のような悪感情を呼び出すような表情を見せたことがあっただろうか。  あの小太りの王にだって、笑顔のままだった。  使い物にならない俺の世話など小物に任せてしまえばいいでしょうと、宰相らしき男が王に聞こえよがしに囁いていた時も、彼は笑顔を崩さなかった。 「ヴィク、あの?」  俺の頬は彼の温かい手の平を感じた。  って、顔近い顔近い! 「こんなに顔を曇らせて。あなたは本当に優しい」 「いや、あの」  言葉に詰まった俺は、あたふたとするしかなかったが、そこで、ヴィクが俺を呼びかける言葉が、君かあなた、しかないことに気が付いた。  俺を勇者ホダカに仕立てた張本人が、俺を穂高と呼ばないのだ。 「あの、あなたはどうして俺をホダカと呼ばないの?」 「それはあなたの名前ではないからです。二人の時はあなたにはあなたでいて欲しい。俺はね、あなたの身体だけでなく、心こそ守りたいのですよ?」  何てことだ!  完全に言葉を失った俺は、アハハハと乾いた笑い声をあげていた。  母が読んでいたヒストリカルとかいう恋愛小説の、まさしくヒーロー像ですね、あなたは、と。  ところが、俺のその素振りは思いっきり失礼だったようだ。  ヴィクは俺から体を放すと、俺など放置して真っ直ぐに壊れた噴水の方へと歩いて行ってしまったのだ。  彼は噴水の前で屈むと、そこで鍵束を再び取り出し、噴水にあったらしい鍵穴にそれの一つを差し込んだ。  カチリ。  水が噴き出し、小さな噴水の中に水が溜まり始めた。  これがお湯だったらと、俺はありがたく思うはずなのに思ってしまった。  でも、水で体を洗うのはファルカス人の大事な習慣なのだから、水は嫌だと彼に言えないだろう。  俺は彼の習慣を大事に、……いいや、彼こそ大事にしてくれているじゃないか。  俺を彼が穂高と呼ばないのは、俺の心の為で、毎朝のあの温かいタオルは、それこそ俺が水で体を洗わないと知っているからに違いない。 「あの! 昴輝(あき)って呼んでください! 俺達の世界では、あなたがヴィクトル・アラニエと二つ名前が並ぶように、本物の穂高には(つかさ)って名前があるし、俺には(かのう)昴輝(あき)って名前があります。だから、俺が穂高昴輝って事で、俺を――」  それ以上何も言う必要はなかった。  噴水の前で屈んでいた男は、体を直すと俺に振り向き、俺に噴水の水をすくって見せたのだ。  彼の手の中にある水は、湯気が立っていた。  いいや、彼の後ろでは白い湯気で世界が温まっているではないか。 「お湯が! これは俺の為に?」 「ここは寒い地域なのにサウナがないですからね。冬場はこのように魔法で温めて使用しています。ですから、冬は一週間に一回がせいぜい。城に詰める俺の兵の中には、炎属性の魔法使いが十五人しかいませんからね、彼らの負担が大変なんですよ、アキ」  彼が唱えた自分の名前、それはほんの少しだけ抑揚が付いたものだったからか、俺はなんだかどきんと胸が高鳴った。 「あ、あなたも炎属性の魔法使いだったのですか? それで、朝のタオルがずっと温かで、それで、俺はそのタオルが幸せだって、それで」  いやだ。  いつの間にか涙が出ていた。  そしてその涙が伝う頬は、当り前のようにしてヴィクの両手に包まれた。 「アキ。誓いましょう。こんな世界に呼ばれたあなたを、俺はこの命かけても守りましょう、と」 「命をかけるのは止めて。こんな世界であなたに取り残されたら、俺は辛すぎる。誓うんなら、絶対に俺を置いて死なない、で」 「一番重い誓いだな」 「え?」  ヴィクは喉を震わせる温かい笑い声を立てると、俺の頭に彼の額をこつんと付けた。  それだけでなく、彼は俺に、申し訳ない、そう言った気がした。 「ヴィク?」 「……アキ。湯が冷める前に体を洗ってしまいましょう。さあ脱いで下さい。朝のように俺が脱がしてあげましょうか?」 「うわ、ちょっと待って。心の準備が!」 「俺も脱ぎますから恥ずかしくはないですよ!」  いやいやいや、それこそ!
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