1. 千葉巧 ①

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1. 千葉巧 ①

   キュッキュッキュッと、夕日で染まった廊下を鳴らしながら、影が足早に動いていく。  遠くの教室から聞こえるトランペットの音。グラウンドから聞こえる陸上部の掛け声。青春が重なり合い紡がれていくメロディーを指揮するように、足は一定のリズムを刻んだまま歩き続ける。そしてギュッと一際大きな音を立てると、扉の前で立ち止まった。  はぁ、と小さく吐かれる息。引き戸に延ばされる右手。  ガラガラガラ…と扉を開けると同時に前へ動いた左手には、真っ白な封筒が西日を浴びて光っていた。  ― 1. 千葉(ちば) (たくみ) ― 「以上が、6月8日火曜日の連絡事項になります」  スケジュール帳を開き、“朝の職員会議用”と書かれたメモを読み終えた教頭は、教師達の返事を確認すると隣に立っていた校長へ頭を下げた。恵比寿様そっくりの教頭に会釈をし、一歩前に進むヒール。ふくよかな体をベージュのフォーマルスーツで包み、パールのイヤリングを揺らす校長は、真っ赤な唇を開くと凛とした声で話し始めた。 「えー、昨日急遽先生方にお伝えしました通り、本日、高校教師希望の大学生が我が校を見学しにきております」  ばっちりと跳ね上がった睫毛を瞬かせ、ブルーのラメが光る目尻に柔和な皺を刻む。大きな体をスッと横にずらした校長は、 「本人から自己紹介をさせて頂きます。千葉君、よろしくお願いします」  と言うと、背後に隠れていた青年の肩をポンッと叩いた。  小さく頷いた青年は、そろっと前に歩み出る。  プードルのようなふわふわのパーマを揺らし、目にかかった前髪を人差し指で退かす。そして、ビシッと背を正すと、フレームが太い丸眼鏡を中指で押し上げた。 「…おはようございます。千葉巧(ちばたくみ)です。杜都城(もりとしろ)大学の教育学部に通っています。お忙しい中、先生方には急なお願いをしてしまいすみません。こちらの仙ノ宮(せんのみや)女学園は中高一貫の名門校として多くの著名人を輩出していると伺いました。県内…いや国内トップを争う素晴らしい学校の先生方はどのように生徒と向き合っているのかを学ばせていただきたく、今回松井校長に見学のお願いをしました。先生方のご迷惑にならないよう気を付けますので、今日一日よろしくお願いいたします」  そう強張った声で言い切ると、青年――千葉は、勢い良く頭を下げた。  あ、綺麗な旋毛。と教師達が思うも一瞬。勢い良く顔を上げた千葉に驚き、ビクッと肩が跳ね上がる。  何だこの人…と、誰もが不安そうに拍手を送る。が、拍手を貰えて安心したのか、千葉が大きな瞳を細め、嬉しそうにはにかむ。その瞬間、女性達は声にならない声を上げた。 「ねぇねぇ、あの子前髪と眼鏡で顔が隠れてるけど、よく見ると超イケメンじゃない!?」 「ね!昨日いきなり大学生が見学しにくるって聞いた時は『は?急に学生の相手できるほど先生って暇じゃないんですけど』って思ったけど、イケメンなら話は別だよねっ」 「アイドルグループの弟担当って感じ~!」 「うちのクラスに来てほしい~!」  さっきまでの不審な顔から一転。予想外のイケメンの登場に、女性達は目をキラキラと輝かせ、小声ではしゃぎだす。芸能人にでも会ったのかという喜びっぷりに、一人の男性教師がフンッと鼻を鳴らした。 「イケメンだからなんだってんですか。昨日の今日で見学しに来るなんて、超非常識な奴でしょ!教育実習のお願いだって、一年前にはしなきゃいけないのに…見学だけだとしても、せめて一ヵ月前には連絡するもんなんじゃないですか!?」  「信じらんねぇよ!」と呆れたように言いながら、ギョロッとした目を細め、千葉を見る。  千葉巧…恥ずかしそうに視線を彷徨わせる姿は、どこからどう見ても冴えない青年だ。なのに、こんな傲慢なお願いができるなんて、実はめちゃくちゃ面の皮が厚いに違いない。  それに、彼が着ている、スーツ。肩幅も袖の長さも若干ぶかぶかだ。“スーツに着られてる感”をわざと演出して、自分が可愛く見えるように装っているのではないだろうか?まさにそう、あれだ。“あざとい”。“あざとい”を狙ってやっているに違いない!じゃないと、あんなぶかぶかスーツを着るわけがない!  千葉巧…なんて恐ろしい奴なんだ…!  ガルルルル…と野良犬のように唸る男を、同僚は神妙な面持ちで見つめる。 「うーん…身長180cm越えのフツメンなのに、彼女いない歴15年になる、42歳男の僻み…」 「!?ちょっ…や、やだなぁ~!!それは関係ないですよ~~っ!」  ボソッと呟かれた言葉に、ドキーッ!と肩をびくつかせる。  びっくりした。自分の心の声が、漏れたのかと思った。  漏れてないよな?大丈夫だよな?と、心臓をバクバクさせながら、ぎこちない笑顔で後頭部の刈り上げを掻く。すると、目の前に立つジャージ姿の女性教師が、ショートカットを斜めに傾けた。 「でも…尾沢先生の言う通り、普通はあり得ないですよね、こんな事」 「!!佐藤先生もそう思うでしょ!」  天の救いとばかりに佐藤へ顔を寄せると、男――尾沢は腕を組み、片眉を上げた。 「しかも!うちが進学校とはいえ、見学先に女子高を選ぶって…変じゃないですか?“有名な進学校”を見学したいなら、近くの男子校でも良い訳だし」  2駅隣にある男子校は、毎年大学進学率で仙ノ宮女学園とトップの座を争っている、名高い進学校だ。女生徒だらけの学校なんて、居心地も悪いだろうに。 「俺だったら男子校を見学するね!」  と息巻く尾沢に、 「確かに…なんでうちに来たんでしょうね」  と、デスクの向かい側から不思議そうな声が上がる。  尾沢は“待ってました!”と言わんばかりに腕を広げると、名探偵のように顎に手を当て、目を細めた。 「横田先生…」 「はい」 「彼は身近な男子校じゃなく、わざわざ女子校を選んだ…という事は!もしかしたら彼の目的は、現場見学ではない別な何か……そう!例えば……出会い目的…って可能性もあるんじゃないですかね」  と、怪しげな声音で言うと、尾沢はニヤリと片方の口角を上げた。  その瞬間、横田の全身にゾワッと鳥肌が立った。 「やだ!尾沢先生気持ち悪い!」 「キっ…!?いや、あの、横田先生!私は真剣に生徒達の心配をしていましてですねぇ…!」  身震いする自分の体を抱く横田に、尾沢は慌てて手を振る。  な、何で横田先生は顔面蒼白になっているんだ!?ハードボイルドに決めたつもりだったのに…!と、ドン引きする横田に戸惑いつつ、身振り手振りで説明する。  動けば動くほど揺れる、尾沢のソフトモヒカン。頭上の空き地を隠す様に固められたそれは、ハードワックスで固めているにも関わらず、春風にそよぐ雑草のように躍っている。  尾沢と横田が小声論争をしていると、ジャージのチャックを弄りながら考え込んでいた佐藤が、「あっ」と小さな目を見開いた。
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