2.2年B組 ①

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2.2年B組 ①

― 2. 2年B組 ―  欠伸をしながらホームルームを聞いていた女生徒は、隣のクラスから聞こえた爆発したような歓声に、ビクッと肩を揺らした。  その歓声を真正面から浴びた尾沢は、急いで耳を塞ぐと、苦虫を噛み潰したような顔で静まるのを待った。 「やばいやばい!」 「超かっこいい!」 「え~!イケメ~ン!!」 「顔のパーツが天才…」  急なイケメンの登場に、語彙力をなくした才女達は「やばい」をひたすら連呼する。足をバタバタさせて紺色のスカートをはためかせたり、セーターの袖から出た指先で友達の肩を激しく揺さぶったり。  “狂喜乱舞”という言葉がぴったりな騒ぎっぷりに、尾沢は深い溜め息を吐いた。 「はいはいはい。千葉君が困ってるじゃないか。ちょっと静かにして、自己紹介させてやろう!な!」  ざわつく声を手で制し、挨拶を促す。方泉は、小さく返事をすると、黒板に自分の名前を書いた。 「杜都城大学の教育学部から来た、千葉巧です。今日一日皆さんと一緒に授業を見学させていただく事になりました。急なお願いで申し訳ないですが、よろしくお願いします」  ぺこりとお辞儀をし、はにかんだ笑顔を生徒に向ける。その瞬間、キャー!と耳を(つんざ)くような歓声が、再び教室に沸き起こった。 「も~~お前達!!少しは静かにできんのか!」  ここはライブ会場か!と、うんざりとした顔で教卓に手を付く尾沢。  すると、一人の生徒が不満そうに唇を尖らせる。 「だってさー、A組は瀬波先生が担任だから良いけど、うちらがいっつも見てるの、“おざ”だよ?イケメンが来たら、そりゃテンション上がっちゃうよ!ね~」 「んだんだー!」 「おっ…先生をあだ名で呼ぶな!」  シャープペンを振りながら抗議する生徒に、尾沢も人差し指を振って対抗する。 「ふんっ!お前達はいっつもいーっつも、瀬波先生の事ばっかりカッコイイって言うけどなぁ!俺だってよく見りゃ眉も目も凛々しいイケメンなんだよぉ。な!千葉君!」  ピンと伸ばした人差し指で鉄砲を作り、細めた瞳を方泉に向ける。凛々しいとは程遠い、ねっとりとした目つきに、生徒達は一斉に顔を顰めた。 「ちょっとやめなよ、幸司(こうじ)。そんな事言われても、千葉先生が否定できるわけないじゃん」 「幸司パワハラー!」 「こっ…先生を名前で呼ぶな!」  「しかも何で千葉君の事は、ちゃんと“先生”を付けて呼ぶんだ!」と、膨らんだ鼻からフンフン息を出す尾沢。茶化すのを止めない生徒達に文句を言っていると、隣からふふっと笑う声が聞こえてきた。 「尾沢先生、本当に生徒達と仲が良いんですね」  口元に手を当て、楽しそうに微笑んでいる方泉。「仲が良い」と言う言葉に尾沢は喜びかけるが、ハッと自分の状況を理解する。  ま、まずい…。折角、“生徒達から慕われている、痺れるくらいカッコイイ俺”を千葉君に見せようと思ったのに…いつもの調子で大人気ないやりとりをしてしまっているじゃないか…!  ガーンガーンガーン…と頭の中で絶望の音が鳴り響く。  取り返せない栄光に思いを馳せ打ちひしがれていると、目の前に座る二人が身を乗り出して方泉に話しかける。   「尾沢先生は良い先生ですよ!先生っていうか友達みたいだけど」 「ね。距離が近いから話しやすいよね」 「!お前達…」  明るく弾む二人の声が、落ち込んだ尾沢の心をパアァァッと照らしていく。  なんだなんだ、お前達。いつも俺の事を「おざ熱すぎ~」とか「幸司ウザーい」って言うけど、ちゃんと先生として認めてくれてるんじゃないか。  何年教師をやっても、年頃の女の子ってよく分かんねぇな…と思いつつ、にやける顔をごまかす為に、口をすぼめ、頬を撫でる。 「うわっ。なにその顔、ブスじゃん」 「おい」  スパンッと発射された容赦ない言葉に、スンッと音もなく幸せの余韻が消える。  尾沢が無の表情を浮かべていると、もう一人の生徒が「それにさ~」と口を開く。 「おざって生徒と距離縮めるのは上手だけど、恋愛は距離縮めるの下手って言うか…んふっ」 「……おい?」  言わんとしていることを察した尾沢は、真剣な顔で生徒に右の掌を向ける。「ストップ」と口パクで訴えるも、別の生徒が口を開く。 「あ~。この前田原先生をお昼に誘ってるとこ見たけど、うまく躱されてたもんね」 「おい」 「あっ、あたしデートに誘ってるとこ見たよ!」 「おい!」  目を輝かせて手を上げる生徒に、尾沢は急いで左の掌を向ける。 「えっ!何それ!」 「でも秒で断られてた」 「やばい!!」 「ウケる~!田原先生つよっ」  「おざは誘い方が下手すぎるんだよ」「全身から出ちゃってるもんね、緊張が」「片言過ぎてロボットみたいなときあるしね」  あはは!とあちこちで起こる笑い声が、必死に止めようとしていた尾沢の動きをピタリと停止させる。  と同時に、尾沢の中で何かがプツンと音を立てて切れた。    「恋愛は距離を縮めるのが下手」    確かに皆が言う通り、自分は恋愛が下手くそだ。好きな人と目が合うだけで緊張して挙動不審になるし、会話をすると言葉がつっかえてしまう。他の人には簡単な事なのかもしれないが、自分にとっては声をかける事すら超難問級のミッションなのだ。  それなのに。人が一生懸命頑張っている姿を見て笑うなんて、許せない。  苦しみが理解できないからって、それが人を笑って良い理由にはならない…なるわけない! 「……お前ら」  怒りと悲しみに満ちた目が、カッと勢い良く開く。  何かを察知したスズメたちが窓から離れ、方泉がギョッとした瞬間、 「いい加減にしろ―――!!」  楽し気な声が飛び交う教室に、パアァン!と教卓を叩く出席簿の音が鳴り響いた。
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