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ある夜の恋のゆくえ
終業間際に、大量の文字入力の仕事が発生した。
複数の顧客に協力して記入されたアンケート回答の手入力と集計作業だ。
二日後の会議で使用するという。
今時Web入力じゃなく手書きでアンケートとるのもどうなんだろうと疑問に思いながらも、今日の北島美和にはありがたい仕事となった。
同じ営業事務の大野依子が、手伝おうか、と気にして声をかけてくれたが、今日できるところまでやるので、残りを明日助けてほしい、と美和は依頼した。
文字の入力に集中していると、他に何も考えないでいられる。
今はそういう仕事がちょうどいい、と思う。
「先に上がります。お疲れ様でーす」
「あ、お疲れ様でした」
無心にキーボードをたたいてるうちに、時間が経っていく。
気付いた時には、フロア内の人の姿がかなり減って、美和を入れてあと3人が残るだけだった。
少し、休憩。
壁の時計は19時半を回っている。
PCモニターから目を離し、机に置いたiPhoneのLINEの画面を開いた。
今日の昼過ぎにもらった、柴田祐太からのメッセージを確認する。
『今日は外で夕食、食べてくるね』
『りょうかい』
『総務の伊東さんが、相談があるんだって』
これ以降のメッセージは途絶えている。
総務の伊東さん、というのは、柴田の1年後輩社員の伊東里紗のことだ。
終業後の時間に、来客の見送りで1階に下りた時、柴田と里紗が一緒にビルを出ていくのを見かけた。
里紗は柴田を見上げてはしゃぐように微笑んでいた。
服も髪もメイクも、準備万端、臨戦態勢。
先日、休憩スペースで美和に発した彼女の言葉が耳によみがえる。
『私、あきらめてませんから』
美和をまっすぐ見る、あの目。
彼女がいても関係ない。好きなものは好きなので。
……という声が聞こえる気がした。
あの目の、したたかさと強さ。
美和はLINEのトーク画面を改めて見て、小さくため息をつく。
相談があるんだって。って、何を呑気な。
後輩からの「相談」という言葉を、言葉のとおり受け取るところが柴田らしさではある。
だけど、それが今は、腹立たしくもある。
相談がある、なんて、誘い文句に決まってるのに。
そういうとこ、鈍感なんだから。
相談されるのを喜んでるなんて、おめでたい。
そして、それをそのまま私に伝えるのも。
さらに、わかっていて何も言わないでいる私も。
美和は苛立ちながら、iPhoneの画面を伏せて、再びPCモニターに向き直った。
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