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登校
校門へあと数歩のところ、俺は校庭の塀に車を寄せ注視しながら扉を開けた。
「お嬢様、いってらっしゃいませ」
里梨様はN国立大学付属の小学校に、幼稚舎から続けて通っている。綾鷹院長は一人娘にここの医学部を卒業させ、将来は病院を継がせるつもりだ。
降車際に彼女は顔半分を覆う白いマスクを着用し、軽やかに登校児童の波に混ざっていった。その後ろ姿、とりわけ後ろ足がしなやかに伸び、まるで水辺を滑る華奢な鶴のようで、いつ密猟者に狙われやしないかと一時、俺の気もそぞろになる。
……いや、ここは大人たちの目の届く公共の場、それに、あの時代とは違うんだ。
「さて、迎えに上がる時間までのスケジュールは……」
彼女の姿が見えなくなったら運転席に戻り、本日の雑事をさらった。
**
「おはよう」とあちこちで生徒らは声を掛け合う。小学部とはいえやんごとない家格の子女の多く通う学び舎であり、品の良い挨拶が交わされる。
しかし、里梨様が声を掛けられる機会はそれほどない。里梨様は一部の生徒らから忌避されている存在なのだ。
たわいのない噂のせいだ。
幼稚舎の頃、里梨様の級友が遊びのさなかに体調不良を訴えた…、綾鷹家の使用人も数名同様に…、そんな騒動の噂が保護者の間で囁かれるようになってしまった。
当事者である里梨様が、“親しくしてくれる者があれば、それでいい。いなければ、それもいい”と考え、交友関係で思い煩うこともないのだから、我々使用人が干渉することではない。
小学生であまりに達観していると訝られても、哀しいかな、そういったことは超越した方である。
まぁ、教室に着けば障りはない。里梨様の名を呼ぶ甲高い声に出会えるだろう。
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