46人が本棚に入れています
本棚に追加
涙雨
――― 中間テスト。
2日に分けて行われたテストがやっと終わった。
「どうだった?」
現国のテストの後、リツに聞いた。
「うーん。思ってたよりも駄目だった。赤点免れぐらいかなぁ。そっちは?」
折角皆で勉強したのに…駄目だったと、リツは少し落ち込んでいた。
「1-2問怪しいのがあったけど…どうかなぁ。」
教科書を出して、ふたりで答えを確認していた。
「テスト戻ってこなくてもわかる。あー嫌になっちゃった…見たくない。」
リツは、大きなため息をついた。
「大丈夫だよ!4人であれだけ勉強したんだから。きっといい点取れるよ!」
あたしとリツは兎も角、真啓も夏も、成績は学年で5番以下に落ちたことが無い。
テスト前に、学校に少し残ったりもして、ほぼ毎日一緒に勉強してた。
「一緒に勉強したヤツが、アホだったりして。」
リツに聞こえないように、小さな声であたしにいったけど、思いっきり無視してやった。
…なんでこう憎たらしいことばっかり言えるんだろう?
「約束忘れないでよね。あたしが総合点で勝ったら話しかけないでね。」
空は、あたしをチラリとみて鼻で笑った。今回のテストは、睡眠を削って、好きなテレビも見ないで、必死に頑張った。
…成績が上がっていない筈が無い…多分。
「じゃぁ…あたし寄るところあるから、先に帰ってて。」
いつも一緒に帰るリツだったが、お買い物を頼まれたらしい。
「うん…また明日ねぇ。」
あたしはテストで使い過ぎた、重い頭でふらふらしながら、バスに乗った。
…あ…空だ。
あたしは知らんぷりしていたけど、空が意地悪そうな顔をして寄って来た。
「おい華ったれ顔色悪いな…さては、俺に負けた自覚があるな?」
…もう来なくて良いわよ。
あたしは、ため息をついた。
「違うわよ。ちょっと疲れただけ。」
ここ数週間寝不足で、頭がボーっとしていた。あたしは、降りる停留所でボタンを押した。
バスを降りると、何故か、空も同じ停留所で降りた。
「何よ…ついてこないでよ。」
重い雲が空を覆い、雷が鳴っていた。
…あれ…地震?
「別にお前について来てるわけじゃねーよ。俺の家もこっちだ。バーカ。お前こそ、俺についてくんな。」
あたしは言い返す元気も無かった。生暖かい風が吹き始め、雨がポツポツと振り出した。
…なんかふらふらしてる?
「おい…お前…大丈夫か?」
空が、あたしの後ろから声を掛けて来た。
「うん…なんか体が凄いだるい…の。」
空は、いつの間には私の隣を歩いていた。
「お前 ゆでだこみたいな顔してるじゃん。家どこ?」
「あのマンション。」
あたしは自分が住んでいるこの辺りで、一番大きくて高いマンションを指さした。
「お前ん家って金持ち?あんなとこ住んで。」
あたしは、空に答える気力も無かった。
「お前…ふらふらしてるぞ?」
空が、あたしの腕を掴んだ。
「華…熱あるんじゃね?」
空が、大きな手であたしの腕をしっかりと掴んだ。
「ちょっと…触らない…で…よ…。」
あたしは空の腕を振り払らうと、ふらついて危うく車道へ倒れそうになり、クラクションを鳴らされた。危ないところを空が、しっかりと引き戻されて、抱き止めた。
「あぶねーっ!なぁ…お前んちどこ?何号室?」
振り出した雨が顔に当たって気持ちが良かった。
「ああ…あっち…。」
冷たい雨が、熱い顔に当たると気持ちが良くてボーっとした。
「あっちじゃわかんねーよ。あーっもう面倒くせー。雨降って来ちゃったし。」
空は軽々とあたしを抱きかかえると、早足で歩き出した。その間にもどんどん雨が強くなった。マンションのエントランスに来た時には、ふたりともびしょぬれ…だったと思う。あたしはその時のことを余り覚えておらず、後で聞いた。
「何号室?」
マンションのエントランスまで来た。
「えーっと30階の3010号室…。」
部屋のボタンを押すと、ママの声が聞こえた。すぐにドアが開き、空はあたしを抱きかかえたまま、エレベーターに乗った。
「なんか…寒い。」
あたしは、空の腕の中でガタガタと震えていた。
―――― チーン。
エレベーターが30階に止まるとママが待ち構えていた。
「華ちゃん!」
ママは、びっくりした様子だった。
「俺部屋まで運びますから、どこか教えて下さい。」
ママは玄関のドアを開け、あたしを抱える空を招き入れた。空はドサッとあたしの濡れた荷物を玄関に置いた。
――― ザザザザザー。
轟音と共に、バケツをひっくり返したような強い雨が降り出したのが聞こえた。
空は、あたしをベッドに寝かせた。
「あなたは?」
「古水流 空と申します。」
ママは慌てて大きなバスタオルを持ってきて空に渡した。
「あなたもびしょぬれじゃ無い!!そんなんじゃ風邪ひくわ。ちょっと待ってて。乾いてるお洋服持ってくるから着替えなさい。」
ママは再び部屋に戻ると、パパの洋服を取りに行った。
――― パタン。
ママが、玄関に洋服を持って戻って来た時には、空は居なかった。
ママはその間にあたしを着替えさせて、冷えた体を布団でしっかりとくるんだ。
「酷い熱だわ。」
うっすらと目を開けると、ママの心配そうな顔があった。
「あれ?」
あたしは、キョロキョロと周りを見回した。
「空さんって言ったかしら?あなたをここまで運んで来てくれたのよ。」
ママが体温計を持ってきて測ると39度もあった。熱いはずなのに、あたしはブルブルと震えていた。
「この調子じゃまだ少し上がるかも知れないわね。」
ママが、溜息をついた。
「明日は学校お休みね。今日はゆっくりと休みなさい。空さんは大丈夫かしら?こんな大雨の中帰るなんて。」
ママは、あたしの頭にキスをして、氷枕を傍に置いた。
「寒気が取れて熱くなって来たら当てなさいね。あとでまた見に来るわ。」
ママは、部屋の電気を消した。あたしはガタガタと震えながらも、どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
暫くして夏が真啓を連れて、マンションへと帰って来た。
ママはあたしのことが心配で、あたしの部屋のドアを開けっぱなしにしてたので、みんなの声が良く聞こえた。
「あらら…二人ともこんなに濡れちゃって。さっ。真啓さんも早く入って。着替え持って来るから上がりなさい。」
ママは真啓にダディの洋服を貸すと言いつつ、バタバタしていた。窓には叩きつけるように雨と風が当たり、ゴーゴーと音を立てていた。
「こんな雨じゃ帰れないから、夕飯を食べていきなさい。」
ママはキッチンで夕食を作っている途中だったようで、余分に作ってるから大丈夫よと、真啓に言うと、ありがとうございますと真啓は言い、家に電話を掛けていた。
ママは、ちょっと時季外れだけど、体が温まるからと、ホットチョコレートを二人に作ったようで、甘い香りがあたしの部屋まで漂ってきた。
「華は?」
夏が、ママに聞いた。
「熱が出てね…お友達…なんだっけ…空さん?が連れて来てくれたの。意識も朦朧としちゃって、抱えて来てくれたのよ。」
「古水流くんが?」
真啓が、驚いたように言った。
「ええ。39度ちょっとあるから、明日は学校お休みね。」
キッチンからふたりに話しかけた。ふたりは、夕食までの間、夏の部屋へと行ったようで静かになった。
「ただいま帰りました。」「ただいま♪」
パパとダディが仲良く帰って来た。
「あら珍しいわね…二人一緒に帰って来るなんて。雨凄いでしょう?」
パタパタとママはキッチンから、玄関へとやって来た。
パパとダディは、ふたりともびしょぬれにならずに済んだらしい。
「僕たちは大丈夫だったよ。少し濡れただけ。」
ママは、ふたりのコートを預かったり、いつものように甲斐甲斐しく手伝っているようだった。
「華ちゃんが酷い熱でね…お友達に連れて来て貰ったのよ。」
ふたりとも、着替えもせずに、バタバタとあたしの部屋へと来た。
相変わらず心配性ね…と、ママが、最後に部屋へと笑った。
「だい…じょうぶ…。」
あたしの声はかすれていた。
「なんか、とっても素敵な男の子に、抱えて来て貰ったのよ。」
ふたりが帰って来た音を聞いて、夏が部屋から出て来たようだ。
「抱えて?」「男の子?」
パパとダディの声が緊張したのが、分かった。
「大丈夫だよ。華が大嫌いな、古水流 空って同級生。ほら、イギリスからの転校生。」
夏が、ホント2人とも、心配性だな…と、笑う声が聞こえた。
「あら。そうだったの♪背が高くてとっても可愛かったわ。」
「華さん…電話くれたらお迎えに行ったのに。」
パパが、再びあたしのベットに来て、大きな手であたしの額や頬に優しく触れた。
真啓が出てきて、ふたりにお邪魔していますと挨拶をした。
「静さんでもガクさんでも、後で真啓さん送って来て下さいね。」
勿論です…と、パパは嬉しそうに言った。
♬*.:*¸¸
――― 4日ぶりの学校。
週末と週明けを挟んでいたので、2日間学校を休んでしまった。
あたしが席に着く前に、リツが心配そうに声を掛けて来た。
「久しぶり。心配しちゃったよ。お見舞い行ったら、まだ熱があるからってさ、お母さんに挨拶して帰って来ちゃったんだ。」
あたしは、手提げかばんの中から教科書を出した。
「ううん。ノートもプリントも持って来てくれてありがとう。」
空が、欠伸をしながら教室に入って来た。
「おはよう…あの…家まで送ってくれてありがとう。」
素直にお礼を言った。嫌なヤツでも、こういうところは、きっちりして置かないといけないと思ってる。
「ああ…別に…。てか…重かった。」
…失礼な。何でいつも一言余計なことを言わなきゃ気が済まないの?
「テストの結果見た?」
空は、怠そうに机に突っ伏した。
…そうだ!結果。
あたしは、慌てて階段の傍にある掲示板を見にいった。成績上位10位までが、名前と総合点とともに張り出されることになっている。
あたしはドキドキしながら、10位からゆっくりと見て言った。
…あ…夏5位…真啓…3位か流石だな。
2位 今泉 華
1位 古水流 空
…えっ。
それも、たった3点違い。あたしは落ち込んだ。トボトボとクラスに戻った。
「俺の方がちょっと賢かったらしい…ざんねーん。」
空がニヤニヤした。
…あんなに頑張ったのに。
あたしは悔しくて、返す言葉も無かった。
「華…凄いよ?あたしびっくりしちゃったもん。3点差なんてほぼ同じじゃない!」
…負けちゃったんじゃ、意味が無い。
クラスメートがあたしを呼んだので見ると、真啓がにこにこ笑って立っていた。
「あ…伏見君だ。ちょっと行ってくるね。」
ふたりとも付き合っちゃえば良いのに…リツが机に肘をつきながら、廊下にいるあたし達を眺めた。
「華ちゃん…もう具合は大丈夫なの?」
真啓は、何時も辛い時にふっとやってくる。
「うん。そう言えばあの日、家に来てたんでしょう?」
「ご飯まで、ご馳走になっちゃった。」
まだチャイムが鳴るまで暫く時間があった。
「それより学年2位だって凄いね。」
あたしは目を伏せた。
「空を…家に呼ぶ約束しちゃったの…絶対勝てると思ってたのに。」
真啓は、あたしをにこにこしながら見ていた。
「それでも、とっても頑張ったと思う。僕も負けないように頑張らなくっちゃ。」
「そうだ♪伏見君のママのコンサート楽しみにしてる…けど、あんまりクラシック聞かないから、今のうちにお勉強しておかなくちゃ。」
少し前に、真啓に誘われたコンサート。
真啓は優しさがにじみ出ている顔をしている。手が大きくてあたしの顔を包めそうなぐらいだ。それに指が長くてとても綺麗。
「そうだ…うちの母も華ちゃんに会いたがってたから、また家に来る?」
それに、話をしているといつもホッとするし、飾らなくて良いところが楽。逆に、あたしに気を取っても使ってくれているのかも知れない。
「ホント♪じゃぁ夏が行くときに、また一緒に連れてって貰うよ♪」
「華ちゃん…そろそろ伏見君てやめてよ。なんかよそよそしい気がするんだ。」
「じゃぁ…真啓くんとか、まーくんとか?」
真啓は、まーくんなんて何だかちょっと恥ずかしいな…と、笑った。
「まひろで良いよ。それから…これ…僕の携帯とメアド。渡しておくね。」
あたしにそっとメモをくれた。
「わざわざありがとう。またお昼休みね♪」
「うん。」
真啓は昼休み、音楽室か図書室でいつも過ごしている。あたしは真啓のピアノが好きだ。心地が良くってついつい眠たくなっちゃうんだけど、優しい音がしてとても好きだった。
――― 昼休み。
音楽室へ行くと、真啓が練習をしていた。
真啓は、ピアニストか医者になりたいといつも言っていた。
「ふし…み…じゃなかった…真啓くん。また1番が聞きたい♪」
あたしは、真啓の弾く、ショパンのエチュード第一番ハ長調が大好きだ。
右手の流れる動きと、繰り返されるアルペジオ。大きな真啓の手が繊細に優しく鍵盤の上で滑るように動く。
大抵、真啓がピアノを弾きはじめると、音楽室の前に人が集まる。生徒も見に来るが音楽の先生も時々顔を覗かせる。
「華ちゃんは、そればっかりだね。」
真啓はいつも笑うけど、10度も取れちゃう大きな手の人はなかなか居ない。
あたしと真啓は、同じピアノの教授のもとに通っていた。
ピアノの下に潜り込んで、出てこないあたしを困った先生が、色んな曲を弾いた。
お腹に響く音が面白くて、結局練習しないで、潜り込んでばかりいた。
真啓は、偶然あたしの次にレッスンが入っていたことがあって、グランドピアノの下に隠れて音を聞いているあたしに声を掛けたのが始まりだった。
(そこ…煩く無い?)
同じ年の真啓くんだよと先生が紹介してくれた。
(ううん。お腹に響いて気持ちが良いの。)
…とあたしは言ったらしいが、幼稚園の頃だったので、全く覚えていない。
パパはとても残念がったが、あたしはその後ピアノを辞めてしまった。
それから、長い間真啓の事を忘れていたけれど、偶然高校が一緒だった。今でもチャンスがあったら潜り込んで聞きたいぐらい。
「じゃぁ…別れの曲。それか…なんだっけなぁ。」
あたしが鼻歌を歌うとすぐにその曲名を教えてくれる。
「リストのハンガリー狂詩曲だね。」
Valentin● Lisits●という女性ピアニストが好きで、あたしはその人が弾いた曲だったらわかるけど、名前が覚えられない。
「うん。中盤でピアノの上で、手が爆ぜるのを見てるのが好きなの。」
あたしがそういうと真啓は決まって笑う。
音楽室の奥から空が出て来た。
…うわ…嫌な奴にあっちゃった。
「古水流くんってギター弾くの?」
真啓が声を掛けた。
「うん…ちょっとね。それよりお前、楽譜みたらすぐ弾けるの?」
空は珍しく真面目をしていた。
「曲にもよるけど…ジャズとかは苦手かな。リズムとか難しいから。」
「今度持って来るから弾いて欲しいんだ。」
「うん。良いよ。」
真啓が優しく空に笑った。
「あ…お前の名前聞いて無いや…。」
空がぶっきらぼうに言った。
「僕は 伏見真啓。真啓で良いよ。」
「判った…じゃあな。真啓。」
空は音楽室を出て行った。
「ねぇ…もしかして、真啓くんのピアノ聞いてたんじゃ無いの?」
あたしは空が出て行くのを見届けてから、真啓に言った。何故かそんな気がした。
「そうだったの?彼はいつも居るけど、ギターの手入れをしているんだと思ってた。そうだとしたら、ちょっと恥ずかしいな。」
真啓は、恥ずかしそうな顔をしながらも爽やかな笑顔を見せた。
「そうだ。真啓くんのお母さんのコンサートの後、もし良かったら一緒に外でご飯食べない?」
あたしは、楽しみで仕方が無かった。
「ホント?!うん。」
真啓が嬉しそうに笑ったので、あたしも嬉しくなった。
「これ 番号とメアド。夏に聞けば判ると思ったけど、あたしのも一応渡しておくね。」
あたしはメモに書いたアドレスを渡した。
「ありがとう。後でメールで送るよ。」
真啓は、胸の内ポケットの中に大切そうにしまった。
…あれ…でも真啓から貰ったメアドにあたしが送れば良かったんだ。まっいっか。
あたしは昼休みが終わるまでじっと、真啓のピアノを聞いていた。
最初のコメントを投稿しよう!