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第1章〜どうぞ幸せになってほしいなんて しおらしい女じゃないわ〜②
(『彼の幼なじみと彼女が修羅場すぎる』……そんな感じのラノベのタイトルがなかったっけ?)
なんてことを考えながら、コーヒーによってもたらされた尿意にしたがい、用を足す。
それにしても、ガチの修羅場を――――――さらに言えば、クラスメートの色恋沙汰に関するクライマックスをこの目で目撃するとは思わなかった。
しかも、日頃から周囲の恋バナ(笑)に関するウワサに敏感なクラスの中心人物ならいざ知らず、自分は、自他ともに認める学内&クラス内ヒエラルキーでは、アウト・オブ・カーストのぼっち的存在だ。そんなオレが、クラスメートの色恋沙汰に関わるなんてことは、御免こうむりたい。
『やはり僕の思春期ラブコメは間違っている』や『オレには友だちが少ない』など、平成の終盤ころまでは、こんな自分のようなぼっちにもラノベの主人公的立ち位置が用意されていたのだが――――――。
今や時代は令和である。
『千棘くんはサイダー瓶の中』や『完全な僕の思春期ラブコメ』に代表されるように、現在のラノベ主人公の潮流は、間違いなく、クラス・カーストのトップに君臨するヒーロー的立ち位置のイケメン・キャラにある。この2020年代において、自分のような、ぼっちで、ゲーム・ラノベ・漫画・アニメの世界に耽溺し、二次元を至上のモノと考えるような男子高校生に、主人公の立ち位置など用意されていない。
どの作品のあとがきで読んだのかはもう忘れてしまったが、完全無欠のラブコメ主人公を描く作家さんが、完璧な主人公を描写する理由として、「思春期にありがちな痛い人物を描きたくなかった」という趣旨のことを書いていた。ただでさえ、痛くなりがちな思春期の恋愛において、共感性羞恥をもたらすイタイ主人公は、読者にも作家の側にも求められていないのだろう。
今の時代、ぼっちが主人公になりたければ、性別を女子高生に転換したうえで音楽に目覚め、バンド活動を始めるしかないのだ(言うまでもなく、『ぼっち・で・ろっく』や『ギャルズ・バンド・クライ』を思い出してほしい)。
そんなことを考えつつ、手洗いを済ませ、再び気配を消して、クラスメートの視界に入らない動線を選んで自分の席に戻ろう、と考えトイレのドアを開けた瞬間――――――。
「うわ〜〜〜〜〜〜〜ん‼‼‼‼ どぼしてよ、たいせ〜い」
という慟哭(大声をあげて泣くこと。号泣。『広辞典』より)が聞こえてきた。
その声は、ヨネダ珈琲・武甲之荘店の店内に朗々と響き渡り、店員も周囲の客もあきらかに困惑している。
そんな状況でも、心の中で正常性バイアス(注:日常のさまざまな出来事や判断、「心理的ストレス」に反応しないことで、正常な範囲に納まっていると認識し、「心の平穏を守る」ための機能)を発動させたオレは、
(気にしない、気にしない……他人のこと、他人のこと)
と、昭和時代のアニメのトンチ坊主のように、無関心を装って、『ナマガミ』のヒロインたちが待つ自席に戻ろうとしたのだが……。
「あなた、市浜高校の生徒ですよね?」
と、黒エプロンの制服を身にまとったヨネダ珈琲の女性店員が、オレに声を掛けてきた。
「いや……たしかに、自分も市浜の生徒ですけど――――――あくまで、他人ですし……」
横目で、号泣する同級生女子を視界に捕らえながらも、どうせ、相手にはわからないだろうと、クラスメートであることを伏せて、無関係を装う。
しかし、話しかけてきた店員さんは、なかなかに目ざとく、オレの制服を確認して、なにかに気づいたかと思うと、
「あなた、あの娘と同じ学年章の色でしょ? これ以上、他のお客様に迷惑が掛かるなら、市浜高校の生徒を出入り禁止にしますよ?」
などと、脅し文句を放ってきた。
そう言えば、下校時に学生や生徒が集まりやすい飲食店などでは、あまりに品行の悪さが目立つ学校の生徒をまとめて出禁にするというニュースを聞いたことがある。
正直なところ、クラスメートとは言え、ほとんど交流のない女子生徒の失恋後のアフター・ケアなど、全力で拒否したいところではあるのだが、放課後にゲーム&ラノベタイムを楽しむことができる貴重なサード・プレイス(意識の高い人々は、職場&学校や自宅以外でプレイベートな時間を過ごせる喫茶店などの場所をこう呼ぶらしい)を奪われてはたまらない。
この場所で、叔母であるワカ姉から定期的に支給されるコーヒーチケットを頼りに、フカフカのソファに腰掛けながら、ゲームやラノベの世界に浸ることこそが、オレの至福の時間なのだ。
もちろん、制服姿ではなく私服で入店すれば、印象の薄い自分などが市浜高校の生徒であることは店員も覚えていないだろうが……。
学校帰りに、駅を降りてすぐの場所にあるこの店舗に入店できるメリットは、限りなく大きい。
そのメリットを手放したくない、という気持ちが、面倒事に巻き込まれるデメリットを上回り、オレは渋々ながら、女性店員の言葉に従うことにした。
号泣していた声のボリュームが少し落ち着いてきたのを待って、我がクラスの委員長である上坂部葉月が突っ伏しているテーブルに近づき、声を掛ける。
「あの……上坂部さんだよね? 大丈夫?」
こんな場面の女子相手に、どんな風に声を掛ければ良いのか、皆目検討のつかないオレが、なるべく、声のトーンを下げながら、恐る恐るたずねると、テーブルに突っ伏しながら、さっきよりは、かなりボリュームが落ちた声ながらも、グズグズと小さな嗚咽を漏らしていた上坂部葉月は、顔を上げてたずねる。
「えっ? 誰? ウチのクラスのタチバマ君だっけ?」
「タチバマじゃない、タチバナな?」
訂正と言う名のツッコミを入れつつ、クラス委員にすら正確な苗字を覚えられていないことに、教室内の空気的存在であることを再認識したオレは、テーブル席に腰を下ろし、店内出禁の原因を作りかけた彼女と対峙することにした。
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