プロローグ〜一体いつから───幼なじみが正統派ヒロインと錯覚していた?〜

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プロローグ〜一体いつから───幼なじみが正統派ヒロインと錯覚していた?〜

「高校時代に交際を始めたカップルの3分の2は、一年以内に別れちゃうのよ」 と、彼女は言った。  実際、ある統計によれば、学生時代に交際を始めた62パーセント以上のカップルは、一年以内に関係が破綻し、二年以内に破局を迎える割合は8割以上に登るという(出典:マクロミルアンケート)。  さらに、高校生で交際を始めたカップルが結婚にまで至る割合は、1割程度に下がるそうだ。    だから、高校時代に、惚れた腫れたという一時の感情に流されるのは、愚かなことだ。  では、学生時代ではなく、もっと幼い頃から親しい関係を築いている男女だったら――――――?  そう、いまだに、人気キャラクターとして名前が上がる国民的野球マンガのメインヒロインに限らず、かつて、少年マンガやテレビゲームに登場する主人公の恋のお相手といえば、幼なじみという属性がお約束だった。  ・毎年のように劇場公開される小学生探偵が活躍する長寿マンガ  ・霊界探偵が活躍する大ヒット格闘マンガ  ・東京五輪開会式にもテーマ曲が使用された国民的ロールプレイングゲーム  ・発売から30年を迎えた元祖恋愛シミュレーションゲーム  自分が生まれるより遥か以前の平成時代の前半、いまも名作として語り継がれる少年マンガやゲームのメインヒロインと言えば、幼なじみキャラが絶対的ポジションを確立していた。  だが、しかし――――――。  二十一世紀の男性向けアニメやマンガに詳しい知人・友人に、 「やっぱり、ラブコメの王道は、幼なじみキャラとの恋愛だよな?」 と知ったかぶりで言おうものなら、相手に生暖かい目でウンウンとうなずかれながら、時代遅れの遺物か、可哀想な子あつかいを受けるのが関の山である。  一例を挙げよう。  ・椎菜まゆみ(スタインズ:ゲート)  ・若月夕空(俺は友だちが少ない)  ・青羽つぐみ(かみなぎ)  ・春崎千羽(彼の幼なじみと彼女が修羅場すぎる)  ・多村真奈美(僕の妹がこんなにキレイなわけがない)  いずれも、アニメ化され話題を呼んだ作品群であるが、その幼なじみキャラクターは、運命的出会いを果たすヒロインや異界から登場する美少女もしくは妹に、想い相手(主人公)を()(さら)われる人物ばかりだ。  これではまるで、《幼なじみキャラ (イコール) メインヒロインと主人公の当て馬》と、言わんばかりではないか……。     いったい、どうして……いつから、こんなことになってしまったのか?   「せやから一体いつから……幼なじみが負けヒロインの代名詞になったかって訊いてんねん!!」  思わず、自分の地元の言葉で力強く食って掛かりたくなるが、このセリフには、こんな反論が予想される。   「――――――ならばこちらも訊こう」 「一体いつから――――――幼なじみが正統派ヒロインと錯覚していた?」  そう、鏡花水月の圧倒的な能力に震えるように、我々は令和の時代にも強い影響力を持つネーム・バリューのある作品群に惑わされ、かつて一世を風靡した「幼なじみ = メインヒロイン」という図式に疑問を持たなければならない。  先に例として挙げた90年代の作品群は、いずれも、複数のエンディングが選択可能なテレビゲームか、もしくは、恋愛を主眼としては描いていない野球マンガや探偵マンガ、格闘マンガなのだ。  ここで、恋愛を主軸として描くラブコメ作品では、昔から「幼なじみ = メインヒロイン」という図式は成り立っていないのではないかという推論が成立する。  これは、つい最近、アニメがリメイクされた、虎柄ビキニの宇宙人が押しかけ女房としてやってくる、あの「国民的認知度を誇るラブコメマンガ」のセーラー服姿の幼なじみキャラが、あっという間に主人公の相手役としての存在感を失ってしまったことからも証明できるだろう。  また、ラブコメ作品は、「ヒロインレース」と称されることが多いが、主人公との恋の行方をレースに例えた場合、幼馴染という属性は初期設定の段階から主人公と重ねてきた膨大な時間と経験が担保されている。  そう、幼なじみキャラは、第一話開始時点で莫大なアドバンテージを持ったままスタートしているのだ。    これを実際の競馬のレースの中から類似したものを挙げるとするなら、2022年の秋の天皇賞だろうか?  レース名を挙げてもピンと来ないヒトには、ぜひ動画サイトなどで検索してもらいたいのだが、このレースで競馬史に残る大逃げをぶちかました逃げ馬パンサラッサが、ヒロインレースにおける幼なじみキャラであるとすれば、後方から猛然と追い込んで来るのイクイノックスとダノンベルーガが、異星人キャラや同級生キャラと言える。  このレースのように、幼馴染は、後方馬群の馬たちが気付いた頃には、もう最後の直線を走っているのだ。だから、ゴール直前まで結果が予想できない好勝負……すなわち、ヒロインレースの盛り上がりを期待すれば、ウサギとカメ論のように、先行者には、どうしても、のんびりと構えていてもらわなけばならない。    圧倒的優位な立場でありながら、彼氏候補(主人公)を他のキャラクターに寝取られ(?)てしまう幼なじみは、天皇賞で二着に敗れながらも善戦ぶりを称賛されたパンサラッサと同様、必然的に、他のヒロインに負けることでこそ、輝く存在であると言えるかも知れないのだ。  客観的な見地から見れば、おそらく、これが、令和の時代に相応しい幼なじみキャラに対する評価だろう。  だが、しかし――――――。  それでもなお――――――。  高校生カップルから結婚にまで至る割合が、1割程度の確率であろうと、オレには、信じてみたい可能性がある。  ここから語られるのは、「最終話で負けヒロインの横にいるポッと出のモブキャラ」的な立ち位置の男子生徒(つまり、オレのことだ)の物語ではない。  一度は、圧倒的優位な立場にあぐらをかいて負けヒロインの烙印を押された少女が、虎視眈々と復権の機会を狙い、彼との関係を進展させる、そんな物語だ。  ちょっとした偶然から会話を重ねることになったクラスメートのことを考えていると、オレの部屋に遊びに来て、アニメキャラクター総選挙の録画を見ながら、冒頭の言葉を語った親類(29歳・独身・女性)がつぶやいた。   「浅◯南ちゃんって、いつまで、こういうランキングの上位に入るんだろうね?」    ※ 参考文献:ラブコメ史における負けヒロイン概念の変遷について ─幼馴染最強時代とは何だったのか─  https://note.com/hummm09/n/na233032061f3
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