生まれた場所に還りましょう

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実際の相手はいない。奥手で家に籠って絵を描くばかりの僕は、成人して数年経っても女性と付き合ったことすらない状態だった。 嫁が存在するのは頭の中だけ。 これまで書いてきたお気に入りの女性有名人たちからパーツを拝借して全体バランスを整え、頭にある漠然とした嫁の姿を現実に可視化する。何枚も試行錯誤を重ねるうちに借り物のパーツがオリジナリティを宿すようになった。あらんかぎりの技術をぶつけた結果、白い紙の中に一人の人間が創られた。自分でも身震いするほど完成度の高さだと誇った。模写ではない。僕が創作したものだ。 作品をさっそくSNSにアップし「僕の嫁」とコメントを添えた。半ばネタのつもりだったが、どこか本気でこのような嫁が欲しいという想いはあった。 僕は嫁を描くことに生きがいを見出した。アングルを変えて、表情を変えて、時には背景を添えて外に出かけたかのように。仮初とはわかっていても、作品ができあがるたびに本当に嫁がいるような気分になれた。 程なくしてSNSへの投稿は嫁の絵の投稿ばかりになった。最初は珍しがってくれたフォロワーたちも段々とおざなりな反応しか示さないようになり、次第に「しつこい」「独りよがり」「イタい」といったコメントも目立つようになった。 だがあまり気にならなかった。金や名誉ではなく自分が描きたいものを描いたという満足感、嫁と一緒にいるという幸福感の方が勝った。このままで良いのかという良識がちらりと頭をよぎることはありながらも、嫁を描く際の鉛筆は数を重ねるほど冴えわたり、表情の種類も増えていく。広めのワンルームマンションの壁はほとんど嫁の絵で埋まった。 そのダイレクトメッセージを受け取ったのは、そんな嫁の絵を眺めて悦に浸っている時だった。 「こんにちは。嫁です!」 一緒に添えられた写真を見て驚愕した。僕の嫁の写真だった。僕が描いてきたのは鉛筆の白黒絵だったが、嫁にそっくりの女性がカラーの写真として写っている。 僕の嫁は創作だ。現実にいるはずはない。 絵の中から生まれた?いよいよ妄想をこじらせてしまったのかと心配になったが、冷静に考えればイタズラの可能性が高いと思い直した。AIを使えばこのような写真なんていくらでも作れるはず。なるべく平静を装って返事を返した。 「うわ、すごいそっくりですね!なにかソフトで作られたのでしょうか。リアルで驚きました。」 頭の整理つかないうちに、すぐ返事がやってきた。いくつか写真が添付されている。 「びっくりさせちゃってごめんなさい。写真は私の実物です!たまたま投稿を見かけたら私の絵がたくさんあって驚いて思わず連絡しちゃいました。こんなことってあるんですね!帰る場所を見つけたかもしれません。」 様々な角度で撮られた自撮りの写真。背景も微妙に異なり、わざわざAIでそこまで作り込むとは考えにくい。何よりその写真に写る彼女の肌、髪、身体の躍動。すべてが自然なもので血の通う本物の人間であることは疑いようもないほど伝わってきた。 こんな偶然があるのだろうか。いや、事実は小説よりも奇なりだ。 僕の絵が、才能が、この偶然を引き寄せたのだ。 興奮するままに彼女とのやり取りを続けた。
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