生まれた場所に還りましょう

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嫁を迎えるのに小汚い家じゃなくてよかったと思った。 薄給でも絵を描く以外に趣味の無かったので住宅費にそれなりにつぎ込めた。郊外のワンルームマンションでの二人暮らしも悪くないだろう。道すがらそんな生活を想像しては顔を赤らめ、それを見た彼女にからかわれる。すっかり新婚気分に浸っていた。 部屋についてドアを開けると、彼女は明るく声を上げた。 「ただいま!」 と同時に、僕に向かって飛びついてきた。 しかし僕は突然のことに思わず身を引いてしまい、彼女は躓いて玄関に転んでしまった。女性経験が無さすぎてせっかくのチャンスにうまく反応できず、ボロが出た。慌てて彼女の片手を掴む。 「ご、ごめん。こうゆうこと慣れてなくって。」 「いいのいいの!こっちもいきなり過ぎちゃってごめんね。焦っちゃダメよね。」 彼女の足元の方でゴトンと何かが当たる音が聞こえたが、握った片手の温もりと柔らかさに心奪われてそれ以上のことは考えなかった。そのまま靴を抜いて我が家に招き入れる。 「あらためて、その、お帰りなさい。ほら見てよ。君の姿ばかりだよ。」 「わぁ、すごい・・・」 部屋の壁には所せましと彼女の絵が飾られている。コマ送りでとらえたように移りゆく彼女の表情はまるで生きているようだった。否、目の前で本物が存在しているではないか。 僕は気を取り直して彼女の側に寄り添った。彼女はうっとりとしながら一つ一つを眺め、自身のルーツを確かめるように指でなぞっている。 「やっと見つけた・・・私の生まれた場所。」 「気に入ってくれてうれしいな。君の絵を生み出した時の苦労が報われる。」 「ねぇ、子供の頃のものはないの?」 「ははは。そこまでは描こうと思わなかったな。」 「そっか。描いてはいなかったのね。」 「今度描いてみようか?」 「ううん、いいの。今更だし。」 どこか違和感を感じながらも、論理を考える隙間など無く雰囲気に流されるまま話していた。 「君を生み出せたのは確かに運命だと思う。最初は有名人の模写だったんだ。好みのパーツを集めて組わせてね。けれども鉛筆を走らせて、消して、修正していくうちに全然違うものになった。まるで神様が宿って僕に君の姿を見せてくれていたように、ハッキリと君のイメージができあがったんだ。」 「ありがとう。私はあなたから生まれたんだって、心から思えるの。」 「ああ。君の故郷はそこだよ。君は帰ってきたんだよ。」 僕は何度も彼女を描いてきた作業台を指さした。 机に敷かれた白い紙と筆箱に収まった鉛筆。ここから彼女の絵が生まれた。 何を描いても認められぬ日々に別れを告げ、自分が望むままに描いた。紙と鉛筆から紙から生まれた彼女とともにどれだけの夜を過ごしてきたのだろう。彼女の気持ちに同調するように僕も深い郷愁を覚えた。 「え、違うよ。」 彼女と目が合った。彼女は机には目もくれずしっかりと僕を見据えている。 「私が生まれたは、そこ。」 片手には鈍く光るものを握っていた。さきほど僕が差し伸べたのとは違う方の手。玄関で聞いた音の正体はそれのようだ。 金づち。そう認識しても意味を考えるには思考が追い付かず、突っ立ったまま目の前で彼女が振りかぶるのを目で追った。 ゴンッ、と強い衝撃と同時に膝が折れた。続いてボタボタと頭から噴き出た血が床に落ちる。 頭の上で彼女が声が聴こえた。 「ただいま!」
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