13 可愛い天使

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13 可愛い天使

 今日もいつものようにケビンのお母さんにセーラを預けて面倒を見てもらっていたのだが、そのケビンのお母さんがセーラを連れてやってきてしまった。   「ジュリア、ごめんなさいね。私ったら用事があったことをすっかり忘れていて、今日はセーラを預かれないのよ」 「いえ、いつも面倒見てくださって助かっています。ありがとうございます」  なんでこうもタイミングが悪いのかしら。   「大学まで連れてきちゃったけど大丈夫かしら?」 「大丈夫ですわ」  内心はランドルフにバレてしまわないか焦りまくっていたけれど、平気な顔をしてセーラを抱っこする。 「ごめんなさいね。私もう行かなくちゃ。セーラちゃん、ママといい子にしてるんでちゅよー?」 「あぶー!」  可愛く返事をするセーラはご機嫌だ。生後1か月とは思えないほど感情表現が豊かで、出会った人みんなを魅力する魔力がこの子にはある。  急ぎ足でケビンの母はいなくなった。 「ジュリア、その子は君の子どもなのか?」 「ええ、そうよ」  意を決してセーラをランドルフに見せた。ランドルフは私の腕の中にいるセーラを覗き込む。   「なんて……」  ああ、子どものことがバレてしまうかもしれない。緊張した面持ちで彼の次の言葉を待った。 「なんて可愛らしい天使なんだ……」  恐々とセーラのぷっくりとした白い頬に触れた。 「……そうでしょう? 本当に可愛くて可愛くて仕方ないの」 「あの、ケビンとかいう教授と君の子どもか? 君にそっくりで憎らしいほどに愛らしいな」  その言葉に何も返せなかった。このままケビンとの子どもだと誤解させたままにするのが都合がいいかもしれない。色々と考え込んでしまい、言葉が詰まってしまった。 「この天使はいくつだ? 1歳にもなっていないんじゃないか?」 「まだ1か月よ」 「1か月! まだ1か月しか経っていない体で仕事をして大丈夫なのか? 君の体調はどうなんだ?」  子どもが可哀想とかではなく、私の体を心配してくれたことが嬉しかった。 「私は大丈夫。なんとかやっているわ」 「君は放っておくと無理をすることがあるからな」  私のことが心配だ、と顔に書いてあった。その優しさが育児で疲れた体に染み渡る。 「無理するくらいじゃないと、子育てなんてできないのよ?」  そう強がって言ってみた。昔の私たちのように会話できていることが不思議だった。まるであの幸せな時に戻ったようだ。引き戻されそうになる。   「だが、この子は俺と別れてからすぐできたのか? 他の男に乗り換えるのが随分と早いな」 「なんですって?」  そんことをわざわざ言わなくてもいいのに!  彼へと引き戻された気持ちはすぐに元に戻った。むしろ後退した。    ――この子はあなたの子どもなのよ。    私は尻軽女なんかじゃない。全てを彼の目の前に曝け出してしまいたい衝動に駆られる。だがセーラが彼の子どもだなんて真実を話すことはできない。そんなことをしたらセーラを奪われてしまうかもしれない。 「悪い。君を責めているわけじゃないんだ。ただ、……なんだ、その……」 「なによ」  上手い言い訳が見つからずに困っていた。私は助け舟なんか出さずに聞いてやった。ちょっと睨みつけてやったことで彼はさらに焦っていた。 「いや、……俺たちの子が生まれていたら、こんなにも可愛かったのかと思ったら思わず……すまない。言葉が悪かった」  まだムッとしていたが、素直に謝る彼を睨みつけるのをやめた。そして、彼は目を細めてまた同じことを聞いてきた。 「あの教授との子どもなのか?」  切ないブルーの瞳が泣きそうなほど揺れている。彼はすぐに目を逸らした。 「いや、やっぱり言わなくてもいいよ」    彼の子どもだとはバレていないみたいだ。ケビンとの子どもだと誤解してくれたのかしら? 「他の男と暮らして、子どもまでいる君のことを嫌いになれない俺はなんて愚かなんだろう」  私だってあなたを嫌いになりたい。だけど、どうしても嫌うことができないからせめて忘れようとしたのに、なぜまた現れたの。   「いっそのこと嫌いになってしまえたらどんなに楽か。どうしようもないくらいに君に惚れている」 「私たちはもう終わっているわ」 「終わらせたくないんだ」  とこまでも平行線で、交わることがない意見。   「ジュリア、その子を抱かせてもらってもいいだろうか」 「ええ」  セーラをランドルフの腕の中に渡した。おっかなびっくりセーラを抱き抱える。大きなランドルフの体に抱っこされているセーラは、さらに小さく見えた。 「赤ん坊はこんなにふわふわで柔らかいのか。潰してしまいそうで怖いな」 「落としたりしないでよ」  そんな心配は全くしていなかったけど、何か言わないといけない気がして軽口を叩いた。   「ああ、絶対に落としたりしない」  セーラを愛おしそうに抱きしめている姿を見て、なんだか泣きそうになった。  ◇  セーラと出会った後も変わらず研究室にいる私の元へ毎日訪ねてくる。  もう彼は戻ってきて欲しいと復縁を迫ることはなかった。代わりにセーラの居所を毎回尋ねてくるのだ。 「今日はセーラはいないのか?」 「ケビンのお母さんに預けているわ」 「そうか……」  そうやって寂しそうに呟かれると、なぜか私が悪いことをしている気がしてくる。 「セーラは次いつ来るんだ?」 「ここに連れてくることは滅多にないわよ」 「なぜ?」 「なぜって、ここは大学で仕事場よ? 子どもを連れてくる場所じゃないわ」 「俺がずっと見ているよ」 「あなたに赤ちゃんの扱い方がわかるとは思えないけど」 「教えくれ。覚えるから」 「どうしてそんなに必死なの」 「さあ、なぜだか自分でもわからない。けど、あの天使にもう一度会いたくてたまらないんだ」  毎日交わすこのやりとり。  セーラはここにはいないけれど、もう彼は私ではなくてセーラに会いに来ているようなものだった。  セーラの青い目や金髪、この精悍で美しい顔立ちはあなたそっくりなのに、なんで気づかないの?本当に愚か者だわ。  気づいてほしくないのに、気がついてほしい。  相反する気持ちが溢れて声に出してしまいそうだ。  これ以上彼に会いたくない。セーラに会わせるのもダメだ。  ◇    そう思っていたのに、またケビンのお母さんに用事があって預けられなかった。  研究室でケビンと2人でセーラの面倒をみながら仕事をする。 「ああ、セーラ。それは僕の大事な研究論文だそ。君のおしゃぶりはこっちだ」 「セーラ! だめよそんなことしちゃ」 「目を一瞬でも離すとすぐに思いもよらないところにワープしているな」 「ごめんなさい、ケビン。書き直しになっちゃったわね」  ビリビリに破かれた数枚の論文。端っこはセーラの唾液でべちゃべちゃだ。   「謝る必要はないよ。僕の論文を食べちゃうくらい気に入るなんて、セーラは将来、僕なんかよりも立派な物理学者になるかもしれないな」  にこにこと論文の紙を吐き出しながら、あぶあぶと喜んでいるセーラ。ケビンにお腹をくすぐられて、きゃっきゃっと大きく笑った。 「父親によく懐いているんだな」  開いたドアの廊下からいきなりランドルフの声がしてきた。 「ランドルフ!」  彼は中に入って来ず、じっとケビンとセーラの様子を窺っていた。 「君そっくりだ。きっと将来はものすごい美人になる。男どもを骨抜きにするだろうな。もう俺ですらそうなのだから」  ランドルフの腕の中には花束があった。真っ白な花で統一された花は、何にも汚れていなくて綺麗だった。  一歩ずつゆっくりと私の前に進んで花束を渡してくれた。 「君も小さなレディも、花は楽しめるかと思ったんだが早過ぎたかな。赤ん坊が何を喜ぶかもわからなくて」  ぎこちなくそう言って、ランドルフはケビンに抱かれているセーラに近づいていく。   「触れても?」  ケビンに問いかけた。ケビンはそっと頷く。  セーラの柔らかな金髪の頭を撫でて、そっと頭にキスをした。もう一度だけ頭を撫でると、セーラがランドルフの指を掴んだ。あぶぅ、と喜んだ顔をランドルフにして、彼はそれを嬉しそうに喜んだ。  そしてランドルフはゆっくりとドアに向かって行った。 「ジュリア、君の気持ちはわかっている。潔く諦める。もう二度と現れないよ」  諦めて欲しかったのに、いざその時が来ると物寂しい。彼を心の底から愛していたから。あの時の情熱を思い出してしまった。もうあの頃には戻れないのに。 「幸せになってくれ」  そう言い残して彼は歩いて行ってしまった。
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