14 戦争

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14 戦争

 毎日が過ぎていく。  自分でも気づかないうちに彼の姿を探して窓の外を見つめていた。  もう来ない彼を毎日待っていた。  彼がこないことを望んだのは自分のはずなのに、どうしてこんなにも切なくなるのだろう。彼が恋しくて泣きたくなるのだろう。私はどうしたかったのか。どうしたらよかったのか。  全てを話してランドルフと3人で暮らせると期待してしまったのだろうか。  だからこんなにも心に彼が残っている。    でもこれでいいんだ。そう自分に思い込ませようとした。  もう彼を忘れて前に進みたい。    私はケビンの寝室へと足を踏み入れた。 「ケビン、抱きしめてほしいの」  暗くなった寝室のベッドで小さなライトをたよりにケビンが新聞を読んでいる。見出しにはでかでかと「開戦」の文字が印字されていた。最近情勢があやしく、近々戦争が起こるのだ。 「抱きしめてって……どうしたんだジュリア?」  うろたえながらもケビンがベッドの端によって私の入るスペースを作ってくれた。   「なにかあったのか?」  心配そうに、彼は隣に座った私の顔を覗き込む。彼の温かな手が頬に触れる。じんわりと温かくて、ぽかぽかとあたたまってくるようだ。  こんな優しい手を、私は利用しようとしている。 「お願い、抱いて」  彼に自分から抱きついた。強く抱き返して欲しいのに、彼は私をなにか力を入れたら壊れてしまう花のように優しく両腕で包み込んだ。 「本当にいいのかい?」  彼のいつもとは違う熱の入った声色で、私の耳元で囁いた。 「ええ」 「後悔しない?」 「しないわ」  強く抱きついているから互いの表情を確認することはできない。  彼が私の腕を解きほぐして、顔を近づけてきた。ぎゅっと目を瞑ってその時を待った。  けれとなかなか彼の唇は来ない。  なぜ? ケビンたらどうしちゃったの、と私がやっと目を開けると、ぎゅっと鼻をつままれて変な声が出た。 「んぐっ!」 「強がるからこんなことになるんだ」 「つ、強がってなんかないわよ!」  つままれた鼻を手で庇いながら鼻声で答えた。さっきまでのあやしい雰囲気は完全に消し飛んでしまった。 「僕の前では無理をしないでくれ」 「……してない」 「約束して。もうこんなことはしないって」 「無理なんてしてないのに」 「ジュリア」  生徒と先生だった頃のように、聞き分けのない子に言い聞かせるみたいな口調だ。  ため息を吐いて観念した。   「わかったわ」 「よし、いい子だ」 「子ども扱いしないでよ」  まだ私のことを生徒だと思っているのかしら。不機嫌さを曝け出して顔を背けた。 「子どもだなんて思ってたらこんなことしないよ」 「え?」  柔らかな唇が私の唇に触れた。ちゅ、とリップ音が薄暗い部屋に響く。 「さぁ、良い子は寝る時間だ」 「やっぱり子ども扱いしてるじゃない」  腕枕をしてくれて、2人で横になって彼の体に抱きついた。  ポンポンと背中をたたいて寝かしつけされている。 「私はセーラじゃないわよ」 「もう黙って」  また彼の唇が降ってきた。  うるさくしてキスしてくれるなら、いくらでも騒いでやるわ、なんて思ったのに、瞼がだんだんと重たくなっていって、私はそのまま眠ってしまった。      ◇  次の日もいつも通り研究室で仕事だ。ケビンの大学での講義スケジュールの管理や、論文の進捗状況の管理、教授会、研究発表の日程の調整なと、やることは山積みだ。  ケビンは朝いちからの講義にいってしまったので今研究室には私1人だ。    ケビンのデスクの上には飲みかけのコーヒーマグと、置きっぱなしにした新聞が広がっている。それを片付けようと手を伸ばすと、また戦争の文字があった。  戦争が始まるというのに私たち一般市民の生活は変わらない。なので戦争が始まったという実感は全くなかった。  むしろ、なぜ戦争が起きているのかもわからないままだ。突然戦争が、どこか違う世界で巻き起こったという印象しかなく、当事者的意識はなかった。  新聞を折り曲げて横に置いて、昨夜のことを思い出す。  ケビンが抱いてくれなかったのは、やはり私がランドルフのことをまだ想っているからなのか。  どうしたら彼のことを忘れられるのか、乗り越えてケビンに受け入れてもらえるのか方法がわからない。  忙しい合間のふとした瞬間に考え込んでしまい、手を止める。  すると、研究室の窓の外の遠くの方に軍服をきっちりと着こなした男性が見えた。なぜこんなところに軍人がいるのだろう、疑問に思って窓を開けてよくよくみてみると、それはランドルフその人だった。  もう諦めたと、二度と現れないと言っていたランドルフが軍服姿で現れた。  幻かと思って目を擦るが、それでも彼はそこに立っていた。  私は急いで外に出た。 「ランドルフ、あなた……」  息を切らしてランドルフの前に立つ。 「前線へ行くことが決まったんだ」  戦場へ行くのだ。しかも前線なんて!  戦争が現実味を帯びて目の前に立っていた。    ランドルフは離縁状を私に手渡した。 「これで君は自由だ。ずっと縛り付けていたけど、やっと解放するよ」  こんなものいらない。だから行かないで――そう言えたらどんなにいいか。   「行ってしまうのね……」 「もう会えないかもしれない、だから最後に君を目に焼き付けておきたかった」  ランドルフの父親も、戦場で亡くなった。貴族であっても、戦場へ行って帰って来れる保証はどこにもないのだ。 「幸せにしてやれなくてすまない。随分としつこくして、君を苦しめた」  ――ランドルフ、お願い……いかないで。  喉まででかかった願望を抑え込んだ。 「今日は天使はいないのか。最後に一目会いたかったな」  残念そうに眉根を下げた。 「君たちの平和をこれからも守っていくから。安心して過ごせるように」 「無事に、生きて帰ってきて……」  ランドルフはただ笑った。  戦争は半年ほどで終わりを告げた。  私たちの国は勝利をおさめたが、味方の多くの命が戦争によって奪われたと知った。    私はランドルフと離縁はまだできていない。訃報の知らせが来るのは家族だけ。私は戦場に行ってしまったランドルフと離縁することはできなかった。  兵士たちはぞくぞくと帰還し始めていたが、ランドルフが戻ったという連絡はまだなかった。
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