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十人目
大学の短い夏休みも後半に差し掛かったある灼熱の日に、私が向かった場所は東京の高級住宅街だった。駅がある小高い上町には庭付きの屋敷や天を突く勢いでそびえるビルディングが並び、アスファルトも機嫌よく艶々と光っていた。
高級住宅街とだけ言うと巨万の富が飛び交う楽園のように聞こえるかもしれないが、実態は持つ者の栄光と持たざる者の悲劇の縮図だ。低地の下町に下りれば、そこには小さな賃貸住宅の群れやシャッター通りばかりがあるばかりである。
寂れた哀れな建物たちは、坂の上で誇らしく佇む豪邸や高層ビルを恨みがましく見上げている。そんなうらぶれた裏通りのビルとビルの小さな隙間に、私の目当てのものはあった。
それは七歳の少女だった。その子供は俯きながら、灰色のアスファルトの上で体育座りをしていた。
少女、といっても両親に買ってもらった美しい御洋服で健康的な体を着飾る、幸せ者の子供ではない。寧ろそれはまるでマッチ売りの少女を彷彿とさせる、非常に汚らわしいボロボロの古着を身に纏った、哀れな被虐待児である。
私が近づくと、少女は緩慢に顔を上げた。黒髪はふけだらけ、肌は蝋人形のように蒼白であったが、瓜実顔の輪郭がとても美しく、顔立ちは非常に整っており、顔のパーツ一つ一つが小さく愛らしかった。
中でも私が目を惹かれたのは、少女の瞳だった。彼女の丸く大きな瞳は火のように赤く、黒い瞳孔に向かって薄紫の光彩が走っているという、あまりに不可思議な色をしていた。
しかもこの少女は家族とその愛人達から暴力を受けているという凄惨な境遇にあるにも関わらず、その目は聖女のように澄んでいた。そこに長く黒い睫毛の群れの影が落ちているのだから、まるで罪人の魂を吸い尽くす天使の如く壮麗としか言いようがあるまい。
「蘭巴ちゃんだね?」
私が声をかけると、少女――巴は、「どうして私のなまえを知っているの」と当然の疑問を口にした。その声はか細いハープの音色のようで、子供らしい愛くるしさと物憂げな艶やかさを秘めていた。
「分かるよ。お兄ちゃんは魔法使いだから」
いつ見ても心躍らされる少女の美貌に些か酔っていた私は、思わず「魔法使い」などという言葉で誤魔化してしまった。
「まほーつかい?まほうつかい……そう」
巴は私の顔を凝視し、何度も何度も「まほうつかい」という言葉をもごもごと呟いた。
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