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大手広告代理店・シロクマ広告社の美人女性社員、只野パロコ(ただのぱろこ、仮名、二十四歳、巨乳)は自分で自分が許せなかった。同じ社に勤める冴えない窓際サラリーマン、霧濃薫(むのうかおる、年齢不詳、やせ型の高身長、野暮ったい黒縁メガネをかけている)のことが、どういうわけか気になって気になって仕方がないのである。
〈なんであたし、あのパッとしない中年のオッサンのことが、こんなにまで気にかかるのかしら?〉
霧濃薫がイケメンだったら、話は分かる。
しかし霧濃薫はイケオジでも何でもない。風采の上がらない、ただの中年男である。そんなゴミ人間の一挙手一投足から目を離せないとは!
これは恋愛感情ではない、と只野パロコは自分に言い聞かせた。変な生き物を、つい見てしまう。その程度のことだ、と!
それなのに只野パロコは、自分が霧濃薫の視線を求めていることを自覚しているのである。
〈もう! ホントにホントにイライラする……あの人が、あたしに話しかけてくれたら、本当に好きなのかどうか分かるのに!〉
霧濃薫が他の社員と話す機会は、ほぼないに等しい。まして、部署の違う只野パロコと会話することは天文学的確率で低かった。
〈すごく自然に、さりげなく傍へ近づいてみたら……これって、どうかな?〉
美人で巨乳の只野パロコと親しくなろうと、用もないのに話しかけてくる男は多い。霧濃薫も、男だ。男である限り、そういう男たちと同様に、自分に話しかけてくるだろう。
〈帰り際がいいわ。たとえば、あたしが傘を忘れて困っているところに霧濃薫さんが現れて、傘を差し出して「これを使ってください」って話しかけてくるかも〉
他の男性社員が相合傘に誘ってくるかもしれないけれど、それはノーサンキューの方向で! と基本方針が決定したら、幸運にも帰宅時間に急な夕立が!
〈天祐よ! それか、天佑よ! なんにせよ、天は自ら助くる者を助く、なのよ!〉
只野パロコは社の玄関に立ち、霧濃薫が出てくるのを待った。多くの男性社員たちが話しかけてくるが、さりげなくスルーする。
〈まだかな、まだかな、まだかな、まだかな……来たッ、来たぁーッ!〉
玄関に現れた霧濃薫は傘を差さずに通りへ出た。
只野パロコは呆れた。
〈傘がないのかよ! それとも傘を持っていても頑なに差そうとしない小学生男子かよ!〉
只野パロコはハンドバッグに入れていた折りたたみ傘を取り出し、それを開きながら霧濃薫の後を駆け足で追いかけた。しかし、走って追いかけても追いつけない! 向こうは歩いていて、こっちは小走りなのに!
思わず只野パロコは大きな声を出した。
「霧濃薫さん、待って」
呼び止められて立ち止まるかと思いきや、何も聞こえていないようで、スタスタと前に行ってしまう霧濃薫の背中を、只野パロコは必死に追いかける。
〈やんなっちゃう! これじゃ、あたしが霧濃薫さんのこと好きみたいじゃない!〉
霧濃薫が只野パロコから向けられている好意に気が付いていないように、彼女は自分の恋心に気が付いていないのだった。
・冴えない窓際サラリーマンの夜の姿は、超能力を用いて裏稼業を請け負う“なんでも屋”――。
冴えない窓際サラリーマン霧濃薫の夜の姿は、超能力を用いて裏稼業を請け負う“なんでも屋”だ。いや、夜の姿というより本来の姿、と言った方が適切だろう。冴えない窓際サラリーマンという昼の姿は、裏稼業というより本業である超能力を用いての“なんでも屋”を周囲に知られないようにするための、仮の姿なのである。
周辺の人間に正体を知られないことはもちろん、重要だ。しかし、この仮装は、そればかりではない。敵の目をくらませることにもなるのだ。凄腕のトラブルシューターである霧濃薫は、数多くの事件を解決してきた。その過程で、各方面に恨みを買ってしまっているのである。
そういった連中は、憎き霧濃薫をやっつけるためならば、何をしでかすか分からない。潜伏生活は非常に重要なのである。
更に、伝説のトラブルシューター霧濃薫を名乗ることで、自分の名を売ろうとするチンピラまでいるから本当に面倒臭い。
傘を差さず周囲の様子を窺いながら進む霧濃薫は、自分を尾行している女が、恨みを抱いている復讐者か、それとも売名行為で自分の命を狙う――物騒にもほどがある――愚か者か、分からなかった。
〈どちらなのか、分からないなあ。さて、どうする? こちらから仕掛けるか?〉
人影のない路地裏に入った霧濃薫は、尾行者も路地裏に足を踏み入れた気配を感じ、満足した。超能力を発動させる好機が訪れたのだ。
霧濃薫は表通りと路地裏を精神&サイコキネシス障壁で封鎖した。これで、自分を尾行している者がエクトプラズマのみで構成された精神生命体であれ肉体を持つ存在であれ、路地裏から表通りへ後戻りすることはできない。続いて路地裏そのものを異空間の閉鎖環境へ転送させる。さらに量子暗号で再転送をロックし、二重防壁をかける。これで、その内部にいる尾行者は、霧濃薫を始末する以外に逃げる方法はなくなった。
〈準備完了っと。さあ、始めるか!〉
振り向く。
「さっきから俺の後をつけているようだが、俺に何の用だい?」
尾行者は言った。
「雨が降っているのに傘も差さずに歩いているので、心配になって、後を追いかけてきました」
その言葉を聞いて、霧濃薫は大いに驚いた。
「えっと……雨が降っていて、そして、傘?」
「はい」
傘を差した美しい女が闇の中から現れた。
「駅まで、一緒に行きましょう」
そう言ってくれた女を、霧濃薫はまじまじと見つめた。
「あ、ああ、どうもありがとう……ところで、どちら様です?」
見覚えのない女性だったので、霧濃薫はそう尋ねたのだが、その女の表情にとても傷ついた色が浮かんだため、不用意な質問を激しく後悔した。
〈なんて馬鹿なんだ、俺は! 質問する前に、テレパシーで相手の心を読めな良かったんだ! むううん、どうも、いつもとはペースが違うな。この娘、誰なんだ?〉
霧濃薫がサイキック・リーディングで女性の思念を読み取る前に、その女が答えた。
「わたし、只野パロコと申します。シロクマ広告社の社員で、霧濃さんの同僚です。部署は――」
月の半分は早退・遅刻・欠勤という、クビにならないのが不思議なレベルの――『美味しんぼ』に登場する東西新聞社文化部のグータラ社員、山岡士郎より酷い――霧濃薫は会社勤めにほとんどと言っていいくらい興味を持たず、同僚の社員に対する知識も皆無だったが、サイキック・リーディングで他人の頭をスキャンすることで、どうにか最低限の会社員生活を送っていた。今回も、その能力を駆使して女性の頭の中をチェックして得た知識と彼女の発言を照らし合わせ、噓を言っていないことを確認した。
〈ふううん、この子の話は、どうやら本当のようだが……敵でないのなら、元の空間へ移動しても、大丈夫かな?〉
只野パロコが自分をじっと見つめているので、霧濃薫は笑顔を浮かべて見せた。
「本当に、どうもありがとう、只野パロコさん」
自分の名を呼ばれた只野パロコがうっとりとした表情を浮かべた、直後だった。その美しい顔が憎悪で歪んだ。獣のような咆哮を発し、傘を投げ捨て霧濃薫に襲い掛かる。
霧濃薫は左腕に封印している魔獣を瞬時に開放させて対応した。
「地獄の魔獣ゲルア・クドバニアン、霊的カウンター攻撃で只野パロコさんに憑依した邪悪なるものを追い払え。彼女を絶対に傷つけるなよ」
霧濃薫の左前腕の骨に住み着いた地獄の魔獣ゲルア・クドバニアンは、宿主の命令に従い、霊的カウンター攻撃で只野パロコさんに憑依した邪悪なるものを追い払った。もちろん、只野パロコの肉体を傷つけることなしに。
「ご苦労」
左前腕骨へ戻った地獄の魔獣ゲルア・クドバニアンへ労りの言葉をかけながら、霧濃薫は倒れ掛かる只野パロコの体を受け止めた。彼女の体にある水分をサイコメトリーする。そして只野パロコに憑依し、自分を襲った者の正体をつかんだ。
・異世界転生した詐欺師は心を入れ替え、“悪徳貴族専門”の詐欺師を目指すことに!?
「真人間になるっ! って、おれぁ心に決めたわけ。おわかり? そこんとこ、ドーユーアンダースタンドかい? ソコントコが重要。まじで。ん、そりゃね、異世界に転生する前は、いっぱいあったよ、いろいろとさあ。そんなの、当たり前でしょ。生きるって、大変だから。もうさあ、まじで大変。どんなに大変だったのかって? たとえば、マジよ。変な魔法使いとか、いた。古代アラビア語で、恐ろしい魔導士を意味する、マジとかね。そんな連中にも詐欺を働いていたんだから、そりゃ命が幾つかあっても足りんね(苦笑い)。死ぬよ、そりゃ。でもさあ、おれぁね、これでよかったと思ってんだ。異世界転生つまり、それって生まれ変わりなわけよ。新しくリボーンするわけよ。リボ~ンとね、新世界に。それって、ステキやん。最高にステキやん。そして、おれ、目覚めたんよ。新しいニューマインドっちゅうやつに。で、思うたわけよ、ワイ。思うたのよ。今度の人生は、人のために生きようと。ンまあね、前の人生だって、完全なるエゴイストだったっちゅーわけやないでホンマに、ホンマにな。ワイかて、えーこともぎょおさんやったつもりや。ただな、それを世間様が、どう思うたか、ちゅうこっちゃな。きっと、ワイのこと、クズや思うとったやろな。現に、そんなやったし。でも、でもでもな、お嬢ちゃん。ワイがだました奴らも、たいがいやったでえ。どいつもこいつも。ンふう、ま、あれや、そういったのの中に、お嬢さんに憑りついた怪物がいたかもわからへんな」
異世界転生したことをきっかけに心を入れ替えたと称する詐欺師ルーグレシアット・フォン・アルフォンソは、大体のところ、そういったことを話した。
黙って聞いていた霧濃薫が言った。
「サイコメトリーで得られた視覚情報には詐欺師ルーグレシアット・フォン・アルフォンソ、君の顔があった。只野パロコさんに憑依した何者かは、君と接触した経験がある。それを頼りに、こうして異世界へ来たのだけれども、これ以上の話は聞けそうにないかな」
詐欺師ルーグレシアット・フォン・アルフォンソが尋ねる。
「その何者かの顔はサイコメトリーで読み取れないんでっか?」
霧濃薫は残念そうに首を振った。
「マスクされている。色々と工夫してみたけど、そのマスクは取れなかった」
「それは難しいことでおしゃんすなあ」
沈黙を守っていた只野パロコが言った。
「でも、そうしないとあたし、あたし、また悪霊みたいなものに憑りつかれてしまうかもしれないんでしょう?」
涙ぐむ美女に男二人は言葉を失った。
路地裏の襲撃を撃退した霧濃薫は考えた末に、意識を取り戻した只野パロコに事情を説明した。何者かが自分を襲うため、君の体に憑依したようだ――そんな電波な説明を、只野パロコは電気抵抗ゼロで受け入れた。そしてサイコメトリーで得た情報から、異世界へ転移していた詐欺師ルーグレシアット・フォン・アルフォンソの臭跡をたどり、ここにたどり着いたのだった。
しかし生前の詐欺師ルーグレシアット・フォン・アルフォンソがだました相手は数が多すぎ、特定困難だったのである。
今後は“悪徳貴族専門”の詐欺師を目指すことにすると将来の夢を語った詐欺師ルーグレシアット・フォン・アルフォンソに別れを告げ、ファンタジー世界の街に二人は出た。
様々な色彩に変化する螺旋の塔、空に浮かぶ丸屋根の寺院、通りを歩く異種族の人々、謎めいた詠唱……そんな異世界情緒あふれる街を歩く只野パロコの心は驚きでいっぱいだ。
なかでも最大の驚きは、冴えない窓際サラリーマン霧濃薫の真の姿は、超能力を用いて裏稼業を請け負う“なんでも屋”だったことだ。
「そのことは、どうかご内密に」
そう言って頭を下げられたので誰かに話すつもりはない――信じる者などいないだろうが――けれど、そんな凄い秘密を自分が知ってしまったことがうれしくてたまらない。
しかし、自分に憑依した存在が再び憑依を試みるかもしれないと聞き、心が凍り付く。
只野パロコの不安を思いやって、霧濃薫は優しい声で言った。
「解決法は他にもある。ただし、君の協力が必要だ」
それはサイコダイブという超能力を用いた催眠療法の一種だった。
「君の深層心理内に、君の体に憑依した霊的存在の残留思念が埋没している。それを読み取るのが今回のサイコダイブだ」
そう言ってから霧濃薫は付け加えた。
「このサイコダイブは、あなたの同意抜きでやるつもりはない。心の中に他人が入ってくることだからね。もちろん、プライバシーには十分注意するよ。でも、こんな中年のオッサンが心の中を覗き込んでくるなんて、それだけでも気持ちが悪くなるだろ? だから、これは」
「それをやって下さい。お願いします」
只野パロコは霧濃薫に、自分の心の中を読み取ってほしかった。
・親友に裏切られ何もかも失った魔女。復讐に人生を捧げた彼女はついに、時を遡る大魔法を完成させる――。
隠れ家に突然姿を現したのは、魔女が復讐しようとしている者の一人だった。
その人物、霧濃薫は言った。
「貴女の記憶をスキャンさせていただいた。親友に裏切られ何もかも失った不幸に、かける言葉が見つからないよ。心から同情する。ただし」
霧濃薫はグスリと笑った。
「私に復讐するのなら、貴女の親友の依頼で、貴女を陥れる陰謀を実行してからにしてくれ。今の時点での私は、貴女に何も悪いことはしていない。それに」
伸びた頬の無精ひげを撫でる。
「今後、貴女に関する陰謀の依頼があったら、断る。絶対に。どうか、それで許してもらえないだろうか」
時を遡る大魔法を完成させる偉大な魔女は、やはり大人物だった。霧濃薫との抗争に終止符を打つことを約束する。そして霧濃薫に対し、自分を裏切る親友の破滅させる依頼を出すのだった。
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