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 時間通りに真斗が砂浜を訪れると、湊は既に待っていた。 「夜に出てきて、家族に怒られないか」 「大丈夫」  彼が伸ばす手にビニール袋を渡してやる。中には昨日の花火の残りがまだ十数本残っている。真斗が蝋燭を立てて火を点けるのを、彼は興味深げにじっと眺めていた。  手持ち花火は二人で分けるとあまり残らなかったが、それでも一人で眺めるよりはずっと楽しく感じられた。しゅーっと音を立て、煙と共に色鮮やかな火花が夜闇に向けて放たれる。夜に色を着けているような感覚に、手を軽く振ると明るい光が線を作る。初めて海岸で花火をするという湊は、嬉しそうにはしゃいだ声を上げて見惚れていた。  再会から三十分も経たないうちに、全てが燃え尽きてしまった。線香花火の球がぽたりと砂に埋もれるのを見届ける。すぐに帰るのももったいない気がして、真斗は砂の上に腰を落とした。 「今日も泳いでたのか」  傍らにタオルが置いてあるのを見つけて尋ねると、湊は頷く。よく見ると髪は湿っていて、潮の香りが漂っている。今日もぶかぶかのウインドブレーカーを羽織った彼が、蝋燭を挟んで座り込む。彼の真っ白な足と頬がちらちらと揺れる蝋燭の灯に照らされて、黒い瞳の中にも橙が宿っている。 「なんでこんな時間に泳いでるんだ。夜の海なんて危ないぞ」 「昼間は、泳げないから」 「どうして」  彼は上着の裾を捲り、自分の白くほっそりした手首を見せる。何が言いたいのか分からず首を傾げる真斗に、「陽射しが駄目なんだ」と言う。 「真っ赤になって腫れちゃうんだ」 「日焼けしやすいってことか」 「そんなものじゃないよ。アレルギーなんだって。頭も痛くなって、気持ち悪くなる」  日光へのアレルギーがあることを、真斗は彼に聞かされて初めて知った。そのうえ身体が丈夫でなく、以前は街に住んでいたが中学卒業と共に島の祖母の元にあずけられたのだという。養生だと家族は言ったそうだが、真斗にはどう考えても厄介払いだとしか思えなかった。 「だから、泳ぐには夜しかないんだ」 「それでも夜は危ないだろ、溺れても誰も見つけてくれないんだから」 「いいよ」  ぎょっとすると共に、嫌な予感が真斗を襲う。まさかこの子には自殺願望、もしくはそれに近い思いがあるのではないだろうか。  だが、希死念慮とは遠く見える笑顔で、彼は言った。 「海に溶けたいんだ」 「海に溶ける?」 「泳いでたら、そのうち海に溶ける気がするんだ」  彼はウインドブレーカーのポケットに手を差し入れた。開かれた手のひらには、青いガラス玉が一つ載っている。 「この中にね、海が閉じ込められてるんだ」  何のおとぎ話を始めるつもりだろう。からかってやろうかと考えたが、彼の全くふざけた様子のない口ぶりに、真斗は黙ってガラス玉を見つめる。 「お兄さんには特別だよ。よく見て」  差し出された薄い手のひらから受け取ったそれを、親指と人差し指で挟んだ。月と星灯りにかざすと、ガラス玉の中で青いグラデーションがゆっくりと揺蕩い巡っているように見える。  どういう仕組みだろうと首をひねる真斗に、湊は誇らしげに笑った。 「見えるでしょ。海の動きが」 「光の具合だろ」 「違うよ」彼は満足そうに微笑んでいる。「この中には、海が入ってるんだ」  変なことを言う子だ。曖昧に鼻を鳴らしてガラス玉を返してやると、湊はそれを大事そうに手に載せてじっと眺める。見惚れているという方が近いのかもしれない。蝋燭の炎が、白い頬にちらちらと揺れている。 「海岸で見つけたんだ」 「これと、海に溶けるっていうのが関係あるのか」 「この中を見てると、無性に海に入りたくなるんだ。そして泳いでたら、段々海に溶けていく気がする。僕も海の一部になっていくみたい」  彼は恐らく想像力の豊かな感受性の強い子どもなのだ。真斗はそう決着をつけた。まるで五歳児の妄想のようなことを平気で口にし、実際に夜の海で泳いでいる。奇行とも呼べる行為だ。だが、少なくとも希死念慮からそんな行動に出ているわけでないことを知り、少しだけほっとした。 「でも、夜の海なんて危ないと思うんだけどなあ」  それでも、いつか本当に海の藻屑となってしまいかねない。彼の夢を壊さないよう気を付けた忠告に、湊はそっと握ったガラス玉をポケットにしまって頷いた。 「だから、波が穏やかな夜だけだよ」 「万が一足がつっても、誰も気付いてくれないだろ」 「……準備運動、してるから」  湊は長い睫毛を伏せて言い淀む。危険なことをしている自覚はあるらしい。 「そんなら、俺が見ててやるよ。少しは泳げるから、溺れたら助けに行ってやる」  ばつの悪そうな顔が心苦しく、ついそんな台詞を口にしていた。湊は僅かに曇らせた表情をぱっと輝かせ、「いいの」と聞いた。  島の生活に飽き始めていた真斗は、いいよと答えた。
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