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 オレンジジュースと氷の入ったグラスを運んできた湊は、座布団を勧めてくれた。居間には座卓とテレビと扇風機しかなかったが、縁側から入る風は心地よく、汗がすっと引いていくのを感じた。  からからと氷の音を鳴らしてジュースを飲み、座卓にグラスを置いた湊が真斗を見上げる。そして右手の細い指でカーディガンの裾をつまみ、そっと捲った。  現れた左腕を見て、真斗は絶句した。  彼の腕は青色に染まっていた。それは青白いという意味ではない、彼の肘から手首にかけて、まるで青い水が腕の形をとっていた。腕の中はゆらゆらと揺らめき、彼の一部が海に変わってしまったように見える。縁側から差し込む光を反射し、細い腕は煌めいてもいる。 「僕、もうすぐ溶けるんだ」  真斗は了解を得て彼の腕に触れてみたが、そこには確かに骨と皮と僅かな肉の感触があった。普段の彼の腕と触り心地は変わらない。だが、透けた皮膚の中は深く碧い海の姿なのだ。 「痛くないのか」  変なことを訊いている実感はあるが、実際に起きているのが変なことなのだから仕方ない。湊は一つ頷いた。 「痛くもなんともない。気付いたら腕の一部が青くなってて、それが段々広がっていって……」 「だから来られなかったんだな」 「会いたかったよ、お兄さんには。だけど、びっくりさせちゃう気がして」 「他に知ってる人は」 「隠してるから」  湊は一人で悩んでいたのだ。こんな異常を他人に見せてよいものか、不安だったのだ。共に暮らしている身内にすら言えないのだから、どれだけ心細かっただろう。 「会いに来てくれてありがとう。困ってるうちに気分も悪くなっちゃって、今朝まで寝込んでたんだ」 「どうして、こんなことに」  真斗ははっと息を呑んだ。 「そうだ、あれの仕業だ、湊が拾ったって言ってたガラス玉」  湊は一度上目遣いに真斗を見上げ、ズボンのポケットから以前見せたガラス玉を取り出して座卓に置いた。その中には相変わらず揺らぐ海がある。湊はこれを見ている内に海に入りたくなり、溶けてしまう気持ちに襲われたのだ。そして実際、その身体は海に溶けようとしている。 「これは俺が捨てる」  真斗がガラス玉を握りしめると、湊は息を呑んで身を乗り出した。 「捨てないで」  黒く濡れた様な瞳で見つめ、彼は必死な声で訴えた。 「僕は溶けてもいいんだ。このまま溶けてしまえたらって思うんだ。最後にお兄さんと話せたら、もう満足なんだ」 「いいわけないだろ、このままじゃ……」  死んでしまうという言葉を辛うじて飲み込むが、続く台詞を悟った湊は僅かに目を細め、震える唇の端を少しだけ上げる。 「これは最初で最後の、僕の希望なんだ」  小さな少年の言葉に、真斗は奥歯を噛み締める。いいわけない、そんなこと、あっていいはずがない。  真斗は卓上のグラスを倒す勢いで立ち上がり、部屋を飛び出した。湊が呼ぶ大きな声を背に、玄関で靴を引っかけ外へ出る。途端にシャワーのように蝉の鳴き声が降り注ぐ。鼓膜をわんわんとつんざくような大合唱をくぐり抜け、坂道を駆け下りた。激しい日光が未舗装の道を眩く照らしている。  まだ助かる。湊を助けることはできる。そう自分に言い聞かせ、ガラス玉を握ったまま駆け続けた。
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