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二十歳の夏。大学進学後、初めて地元に帰ってきた。山に囲まれた盆地は熱気を底に沈ませたすり鉢みたいだ。風ひとつ吹いても熱を感じる。
私の故郷は、山間部にある小さな村だった。スーパーやドラッグストアに行くにも不便で、大雨になればすぐに孤立してしまい、若者は利便性のよい都会に出てしまう。そんなところだった。
私自身、都会での大学生活があまりにも楽しくて、地元に帰ろうとは思わなかった。大学でできた友人たちとの付き合いがあるし、帰省するにも交通費と時間がかかる。長期休みは遊ぶお金を稼ぐためにバイトもしたけれど、もちろん学業もそれなりにがんばった。
ただ一方で、両親は一人暮らしをする私が心配らしい。今年の夏は帰ってこいとしつこく電話してきた。
正直、めんどくささもあったけれど、いざ最寄りの駅から父の軽トラでのんびり揺られつつ、私が村を出てからまったく変わっていない村の風景を眺めるうち、懐かしさがこみあげて来た。どうして帰省を渋っていたんだっけと思うほどに居心地がよく、実家から出たくないなあと思うのだった。
そんな調子で障子まで開け放たれた和室の畳で寝転がっていたら、母が顔をのぞかせた。
母もまた、私の帰りを喜んでくれたうちのひとりである。
「そうだ。畑からトマト取ってきい。夕飯で使うから」
「わかったー」
サンダルを履いて外に出た。遮るものもない田んぼの中の道を抜け、山裾の畑へ行く。トマトのヘタを根元でチョッキンと鋏で切っていると、近くの茂みを見て思い出した。
「そうだ。この近くに秘密基地を作ったんだっけ」
昔は、外遊びが好きだった。その一環で近所の男の子と一緒に大きな木のうろに宝物を詰め込んだのだ。当時の私の宝物だから、キャラクターの缶バッチだとか、動物の形をした消しゴムとか、そういうの。
むくむくと冒険心が湧いてきて、記憶を辿って少しだけ山に入ることにした。
秘密基地にしていたのは、白い鳥居をくぐった先のお社の裏の木だ。お社は管理する人がいないのか、ずっと朽ちたまま放っておかれていたから、人が来ることもない。本当に秘密だった場所だ。
さすがに基地の外に置いた基地の看板などは残っていなかったけれど、木のうろはそのまま残っていた。
中を覗き込むと、昔置いた宝物がきれいな状態で出てきた。
「うわぁ、まだあったんだ……」
昔、好きだったものが金属のおかし箱にこれでもかと詰め込まれていた。ねだって買ってもらった魔法少女のコンパクト、キャラクターのシールや、かわいい動物のキーホルダー……。あれも好きだった、これも好きだった。ひとつひとつを手に取るたびにそんな気持ちが蘇ってきて、幸せな気分になる。
そこへ、「あかねちゃん」と声がかかる。
振り返れば、男の子が立っていた。目が、いやに黒い男の子。七歳ほどに見えた。
「あかねちゃん。やっと来てくれたね」
「あ、えと……」
男の子は親しげで、うれしそうだった。まるで心から大好きな人に出会ったみたいな顔。
その顔に、なんとなく見覚えがあるような……。
「あかねちゃん。約束したよね。二十歳になったらお嫁さんになってくれるって。十三年前の今日、ぼくに言ってくれたんだ」
「もしかして…〇〇くん?」
口からぽろりと出てきた名前は、自分で言ったはずなのに、不思議と発音も意味も理解できなかった。
耳の奥で、声が蘇った。秘密基地に来る時、いつも遊んでいた男の子が言ったのだ。
『あかねちゃん、ぼくのお嫁さんになってよ。ひとりでさみしいんだ。あかねちゃんと一緒なら御山の生活もきっと楽しい』
忘れてしまっていたそんなこと。だって、あの子はいつの間にか現れなくなっていたから。
私は……私は、彼になんと返したのだっけ。
『大人になったらね。お母さんは、結婚するなら二十歳からだって言っていたんだよ。だからそれまで待ってて』
『そうなんだ。なら待ってる。二十歳になったらまたここで会おうね。約束だ』
私たちは指切りげんまんを交わした。守れなければ、針千本飲まされる。
ぞくり、と背中に寒気が走る。
私は、二十歳になった。
男の子は血の気のない顔で私へ手を差し伸べた。
――山のモノに魅入られてはならぬ、という教えは、村のだれもが子どものころから教えられていた。言葉を交わしてはならぬ。何かを誓ってもならぬ、と。
けれど幼い私は……何も知らない私は、「約束」をした。
約束をしてしまった!
どうして、こんな大事なことを忘れていたのか。
大人になった私は、もう二度と村に帰ってきてはならなかったのに。
「そうだよ。思い出してくれたんだね。さあ、ぼくと行こう?」
「うん……」
勝手に私の手が動き、氷のような小さな手に触れる。恐怖で身がすくみ、抗えないというのに。
……男の子はにやぁ、と笑った。
……行方不明になったのは、桐坂茜さん、大学生。実家に帰省後、自宅近くの畑に出かけてから消息がわからなくなっています。何か情報をお持ちの方は最寄りの〇〇警察署までご連絡ください。
お父さん、お母さん。
私は神様の花嫁になったようです。夫は私に優しいですが、いなくなれば村へ災いをもたらすそうです。
だから帰りません。帰れません。
いつかあの秘密基地だった木のうろをのぞいてみてください。私の骨は、そこにありますから。
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