最大公約数

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 信乃が目を覚ますと、ちょうど夜が明ける時間であった。  布団から出て障子戸を開けば、暗闇に呑まれていた庭が鮮やかな色を取り戻していた。見上げれば、暗く沈んでいた夜空が、東の水平線から差す眩い光によって開かれている。昨晩、夜更けまで降り続いていた雨は庭に泥濘を残していったものの、その気配はもうどこにもない。朝日に照らされた雲は少なく、今日の予報は晴れであったことを信乃は思い出した。  立ち上がって縁側に出る。肌寒さを覚える気温は、間違いなく冬が近づいていることを示している。無論、昨日の雨のせいもあろう。こうまで寒かったろうかと身震いする信乃は、自分が抜けて空になった布団を見て小さく笑う。昨年も、一昨年も、その前も、こうしてたったひとりで冬に近づく朝を迎えた日などなかったのを思い出して笑う。朝に強かった母が、起きてすぐに離れていくのに寒さを訴えた日々を覚えている。逆に、朝に弱かった彼は、信乃がいい加減に朝の身支度をしようと布団を出ようとすると、「寒い」と言って信乃を抱きしめたものだった。  今はもうそのどちらもいない。母は昨年死んだ。彼はひと月半前に死んだ。信乃はひとりだ。  空っぽの布団を畳む。掛布団と枕を退けて敷布団を三つ折りにし、その上に四つ折りにした掛布団を、そしてそのさらに上に枕を重ねて、信乃はそれらを部屋の隅に移した。  孤独が怖いわけではない。いずれは孤独に生きる日が来ることを、信乃は母にさんざん教え込まれてきた。いつまでも母のもとを離れようとしない信乃に呆れつつも、けれどいずれは別れが来ることをずっと言い聞かせてきた母は、しかし当の本人にとっても想定外の別れ方――死別という形で、信乃を置いていってしまった。母の死に泣き、憤る信乃の傍にいてくれた彼は、信乃とは別の時間を生きていた。  布団を片付けて、少しだけ物思いにふけっていた信乃は、しかしいつまでも落ち込んではいられないと両頬をぺちんと叩いた。それから、再び縁側に出る。  朝の日の動きは、日中の緩やかさが嘘のようにほんの数分で位置を変える。先まで地平線の向こうにいたはずの太陽は、もう既に顔を覗かせている。庭の草木を、泥濘を、信乃の立つ縁側を、そして信乃自身を照らしていく。桜柄の寝間着と、そこから伸びる白い手足。琥珀色の瞳と、透き通るような白い髪。その髪が太陽の光を浴びて赤銅色に煌いた。その隙間から天に向かって伸びる、人のものではない耳が、朝陽の眩しさに慄くように、忙しなく動いていた。
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