10 休息日

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10 休息日

 猛烈な腹痛に襲われ、その夜私は何度もトイレに立った。いつの間にか気を失い、部屋へ運んでもらっていたようだ。アイリスが同室なのだけど、今夜の私はひとりだった。毒を摂った女とミリーの後継を同室にしておくこともできなかったのだろう。  真っ暗な中、手探りでトイレを探した私は粗相をしてもおかしくなかったのだろうけど、それは何とか免れた。ほとんどトイレで夜を明かしたと言っても良いくらい中にいた。  ひとりなのを良いことに私はうんうん唸る。呻き、苦しみ、こっそり泣いた。ひとりだし泣くくらいしても良いと思う。胃腸炎になった時より苦しかった。毒が何故毒なのか身を持って体験したけれど、これを何度も何度もひとりで耐えた推しを思うとまた違う涙が出た。それも幼いうちから。どれだけ辛かっただろう。どれだけ苦しかっただろう。どれだけ、恨んだだろう。  このイドラグンドという国は裏切りと陰謀が渦巻く場所だ。推しの生きるこのペインフォードも同様で、フォーブズの一族も例外ではない。家族の中で謀り、兄弟で騙し討ち、叔父甥で裏切った。母は我が身可愛さから我が子に犠牲を強要した。選択肢のない中、それでも生き抜くことを選んだ推しは自らが毒となることを受け入れた。  何も支えてくれるものがない中でひとり立ち続けた推しが救われることを私は強く願う。毒で邪魔者を排除してきたこともあるだろうから褒められた人生ではないかもしれない。でも、この世界で綺麗に生きることができる人は限られるだろう。無常に処刑されて当然だなんて、私には思えない。彼だけが責められるなんて、そんなのはおかしい。  お腹の痛みを耐えながら私は胸の内に闘志を燃やした。ショックで目覚めると思っていたけどどうやら夢は続くようだし、パソコンのキーボードは叩けないけどこの夢の中で自分の理想とする世界線に変えてやれば良いのだと思う。もしかしたらそれは文字で綴るよりもより直接的に私の心をオタク友達曰く、救う、のかもしれないから。 「……エマ、調子はどうですか?」  扉の向こうから控えめなノックがされて私は思考を現実に戻す。ミリーの声だ。トイレに籠る私を心配して来てくれたのだろう。そういえば朝を迎えたのだから仕事に出ないとならないはずだ。私は慌ててすみませんと謝った。 「仕事っ」 「今日は良いです。お休みなさい。メイド長たる私の判断ですが昨夜のあれの後に働けなどと言うつもりもありません。部屋に水差しを持って来ましたから、水はお飲みなさいね。昼頃にまた来ますから、何か食べられそうであれば料理長に作ってもらいましょう」 「すみません……半日もあれば解毒できるはずです……」 「無理は禁物です。一日お休みなさい」  強い声で言われて私は素直にはいと頷いた。特殊設定を信用はしているし実際に死んでもいないから、こうして体の外に出してさえしまえばきっとまた動けるようになるはずだ。  ミリーは昼に、と言い残すといなくなった。私はそれから少ししてトイレから出るとよろよろと部屋に戻る。水差しからグラスに水を注いでこくりと飲んだ。清涼感が喉を通り過ぎていって、少し気分が楽になった気がした。  ベッドに寝転んで天井を眺める。体は解毒を頑張っていて、私は自分の分身に課した過去を振り返る。自然が多いペインフォードの奥地、名前もないような小さな村から中心地へとやってきたこの分身は、出身の村では毒を一手に引き受けていた。初めて見る木の実、初めて獲れた魚、間違いやすいキノコ。主に人の食を、生を支える部分に毒がないかをその身をもって証明する、いわば毒見役だ。  場所が場所ならきっと重宝されただろう。それこそ女王の、それに準ずる貴族の口に入る前に毒の有無を調べることができる上に毒では死なない。毒が効かない体質なのではないから症状は出る。ただ必ず半日ほどで解毒してしまう、そういう体質を贈り物とした。銀の食器もカバーできないような毒を検知することができる。それでもそうではなかったのは、村から出る必要がなく、村の中でもその役割を求められたからだ。  この分身は望まれて毒がないか探る盾となった。村を守るために。だが村は、食ではなく寒さに瓦解した。貧しい土地に蓄えは少ない。寒波は高齢の者が多い村を襲い、容易く命を奪っていった。皆が空咳を繰り返し、体調不良を抱え、けれど滋養のある食べ物はなく続く寒波に震えながら命を落とした。残った数少ない村人はひとり、ふたりと村を離れた。  分身の家族は分身のような体質を持たなかった。それどころか体は弱く、伏せっていることの方が多かった。分身は看病し最期を看取った。此処に残らなくて良い。行きなさい。大きな街へ。生きたいように生きなさい。  分身が村を出ると知ると、誰もが同じように村を出た。残る者はいなかった。達者で暮らせ、と近隣の村や町へ向かった人々とは反対に中心地へ向かった分身はそしてあの日、親切なおじさんに拾ってもらってこの黒伯爵邸へとやってきたのだ。  我ながら重たい歴史を背負わせたものだ、と私は思って小さく笑った。特殊設定は話を進める上に必要だったし、あまりに自分とかけ離れた内容をつけざるを得なかったから自分を納得させるために捏造した過去だった。どんな人物にも人生がある。それは分身とはいえ同じことで、それを知らずに私は物語を動かせない。まぁ、多分に前職の影響はあるのだろうけど。  私は、分身ではなく私は、他人の目が気になって仕方ない子どもだった。自分のことばかりで自意識過剰だった。自分の弱さや臆病さに目を向ければ、自分の内に、心に興味を持つのは自然なことだった。学び、実践し、想像しろと口酸っぱく言われた。努力もしたし証明書も手に入れた。こうして物事や人の背景を考えるようになったのも指導の賜物だ。でも結局は、自分のことばかりで自己中心的なまま育った。それは今、推しを救いたいと願いながら最終的には私自身が救われることを願っていることが何よりの証拠だ。  体を壊して転職してからはそういった心をすり減らすような仕事は選ばなかった。毎日の仕事に自分自身を持ち込まなくて良い仕事を選んだ。人に興味がないくせに誰かに興味があるかのように振る舞わなくて良くなったのは楽だった。それなのにクイーンズエッグという漫画作品は、私に推しへ並々ならぬ関心を寄せさせたのだ。推しの死に動揺し仕事を早退させるほどの。まさか唆されて二次創作をさせるようになるほどの。  昼になってミリーが約束通り訪ねて来た頃、私の体はすっかり良くなっていた。とうに半日を過ぎて解毒を終えた私の体はいつも通りだ。顔色の戻った私を見てミリーも安心したのかあからさまにホッとした表情を浮かべている。 「心配かけてごめんなさい。でももうすっかり良いの。お腹も空きました」  私がそう言うとミリーは厨房へ連れて行ってくれた。料理長も心配してくれたようで、私はぺこぺこと頭を下げる。嘔吐した後には軽いものの方が良いと野菜が多いスープを料理長は出してくれた。鶏がらスープと野菜から出た旨味が凝縮された美味しいスープだった。 「エマ、お前、今後もあんなこと続けるのか?」  美味しいとスープを味わう私の顔をいつも通りだと安心して見ていた料理長が心配するような目で私を見つめて言った。私はスープを飲んでいた手を止めて微笑む。 「エリオット様が求めるなら。どのくらいの量を摂取したらどういう症状が現れるかっていうのはきっと、お役に立てることだと思うんです。エリオット様なら毒だけじゃなくて薬の効果も見つけてくれるって信じてますし。それで誰かがエリオット様のことを褒めてくれたり感謝したりしてくれたら、私、嬉しいです」  そうして推しも認められている感覚を持ってもらえれば。誰かが近づいても邪険にはしないかもしれないし、あの日が来ないように止める言葉も聞き入れてくれるかもしれない。それにあんな苦しい思い、私が代われるならそれに越したことはないだろう。 「お前……まぁお前が良いなら良いけどよ」 「良くありません。あなたは見ていないからそんなことが言えるんです。可哀想で見ていられませんでした」  ミリーがぴしゃりと料理長を叱る。ぇえ、と料理長も私も驚いて声をあげた。 「私、可哀想でしたか」 「可哀想でしたよ。あんなに苦しそうで」 「でもそれ、エリオット様も同じなんですよね? あんな無茶はしないとは思いますけど、あの人も毒を摂るって」  私が思わず口に出したことにミリーはぐっと言葉を詰まらせた。困らせるつもりはなかったのだけど、ミリーにも思うところはあるのだと私はその反応で知る。 「……話したのか、ミリー」  料理長が静かに尋ねる。責めるのでもない、何処か労うような声音だ。いいえ、とミリーは首を振る。風の噂で聞いたんです、と私は料理長に説明した。何か口にしてはいけないタブーだったのかもしれない。 「エマ、今度飲みに行くか。お気に入りのパブ、教えてやるよ」 「え、ホントですか!」 「あぁ、だから早く良くなれよ」 「もう元気ですよー! でも私は今日お仕事のお休みを頂いた身、またの機会に楽しみにしてますね!」  ミリーを気遣ったのだろう料理長の言葉に私は軽いノリで返す。私はスープを飲み干すとお礼を言って自分の部屋へ戻ることにした。ミリーと料理長は二人で話すことがあるかもしれないと感づいたからだ。ミリーは私を部屋まで送ると言ったけれど、もう足取りのしっかりとしている私は大丈夫ですとその申し出を辞退した。 「また明日、お仕事に復帰しますからよろしくお願いしますね」  そう言い置いて私は厨房を後にする。休ませてもらっていた部屋を綺麗にしてアイリスと同室に戻れば、仕事から戻ったアイリスにもみくちゃにされる勢いでおかえりと歓迎されたのだった。
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