13 お迎えの日

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13 お迎えの日

「落ち着いた?」 「はい……えへへ、ありがとうございます」  鼻をすすって私は答える。スカーレットさんは私の肩から手を離した。大きくて温かい手は人を慈しむことのできる手だ。きっとこのお店でスカーレットさんに話を聞いてもらいたいと思う人は、こういうところに惹かれるのだろう。 「それにしてもアナタ、とんでもない恋をしてるわねぇ。本当にいつでもいらっしゃいな。エマちゃんの話ならアタシ何だって聞いてあげる」 「ありがとうございます。でもあの、料理長のお話も聞いてあげてください」 「うふふ、良いのよ、ジョージは。ちょっと勇気が足りないだけなんだから。手なんか出したら野暮だわ」 「?」  スカーレットさんは料理長の持っていたグラスを掴んでカウンターの奥に戻ると片付けた。代わりに水の入ったグラスを置いて、カウンターの向こうから長い腕を伸ばして料理長を揺する。 「ジョージ、そろそろ水くらい飲んでちょうだい。帰るわよ」 「うぅ……」  料理長はふらふらと起き上がり、素直に水を飲むとまたテーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。仕様がないわねぇ、とスカーレットさんは腰に手を当てて息を吐く。 「エマちゃん、悪いんだけど少し片付けさせてね。今日はもう店じまい。この元上司を伯爵邸まで送り届けないと」 「え、あ、でも」 「良いのよ。いつものこと。それにそろそろ、お迎えも来るから」  お迎え、と私が首を傾げた時、ドアベルの音が鳴った。時計は見ていないけどもう良い時間だろう。振り向いた私は其処にミリーが立っているのを見て驚いた。 「ミリー! こんな時間に!」  ひとりで来たのかと思って私は慌てて駆け寄る。アネモネの花の間を縫って行けば、ミリーは私を認め、奥で突っ伏す料理長を認め、はぁと息を吐いた。 「遅くにごめんなさい。迎えに来ました」 「良いのよ、ミリーちゃん。待っててね、片付けたら一緒に行くから」  ミリーとスカーレットのやり取りを聞いて私は二人を交互に見やった。慣れた様子のそれはこれが初めてではないことを示している。混乱する私にミリーは説明してくれた。 「この人は此処で飲むといつも酔い潰れるまで飲むんです。他のところならそんなことはないのに、此処だと。  やっぱりあなたと昔話に花を咲かせるのが楽しいのかしら」 「そんなことないわよぉ。可愛がったアタシを今でも可愛がってくれてるだけ。アタシが伯爵邸まで担いで送り届けてるものだから甘えてるだけ。アナタが毎回来てくれるのを知ったらこんな飲み方はしなくなると思うわよ」  どうやら料理長は毎回このお店で酔い潰れ、毎回ミリーが迎えに来ているらしいことが窺われた。そして毎回スカーレットさんが料理長を担いで伯爵邸まで送っているらしいことも。 「いえ、私はこの人の代わりにお屋敷であなたに料金とチップを払っていると思われていた方が都合が良いので」 「そう? まぁ、アナタが良いなら良いけど。都合が悪くなったらいつでも言ってちょうだいね。応援してるわ」  私は帰り支度をするように言われて料理長の荷物を持った。コートと帽子とマフラー。ミリーが手を差し出してくるからついそのまま渡してしまうと、ミリーはテキパキと料理長にそれを身につけさせる。その手際の良さに私は慣れを感じた。 「仕方のない人ですね。帰りますよ、ジョージ」 「ん〜? スカーレット、わりぃな……」  酔った料理長はミリーに声をかけられたのにスカーレットさんだと思っているらしい。いつも負ぶってもらっているのを知っているのか両腕を伸ばしてくる。そのままミリーに抱きつきそうになったところを洗い物を終えたスカーレットさんが俊敏に間に割って入った。忍者かと思った。 「アタシの名前を呼びながら別の人に抱きつこうとするんじゃないわよ、ジョージ」  ドレス姿でスカーレットさんは料理長を担ぎ上げた。料理長を一旦椅子に座り直させる。ふん、と気合を入れて負ぶられると料理長はスカーレットさんの広い背中に全体重を預け、其処でまたぐうぐう寝息を立て始めた。 「ミリーちゃん大丈夫? エマちゃんも、さ、行きましょ」  スカーレットさんに声をかけられ私は扉へ向かった。私はミリーが顔を真っ赤にしているところを見てしまったけれど、この店で見聞きしたことは秘密にすると約束したことを思い出し何も言わなかった。  スカーレットさんは戸締りをすると伯爵邸へと向けて歩き出す。料理長は路地裏を近道だからと選んで通ってぐねぐね曲がっては何処をどう歩いたか私には分からなくなっていたのだけど、大きな通りを行けば伯爵邸とはほど近い場所にスカーレットさんが店を出しているのが判った。というか伯爵邸は大きいからお店から伯爵邸へ戻るのはあまり困らなさそうだった。  お店を出ればスカーレットさんは静かだった。秘密が守られない外では話さないようにしているのかもしれない。ミリーも何も言わないし、私も何も言わないから料理長が立てる寝息と三人分の靴音だけが夜道に響いた。  伯爵邸の裏口に着く。部外者になるスカーレットさんは此処までで後は私とミリーとで料理長を運ぶことになった。料理長を下ろす前にミリーが今日の料金と送ってくれたことに対するチップを払う。スカーレットさんはそれを受け取って、確かに、と笑うとよっこいせと料理長を下ろした。ミリーと私とで料理長を支えながらそれじゃ、とスカーレットさんと別れた。 「またどうぞいらしてね」  スカーレットさんはそう言い残すと背を向けて夜に帰っていく。私たちは裏口の戸締りをしてから料理長を部屋まで何とか運んだ。 「料理長〜頑張って歩いてください〜」  私は眠って脱力しようとする料理長を何とか支えながら部屋まで辿り着いた。水の入ったバケツを軽々と持つミリーでさえ、やはり成人男性の体重を支えるには難しいようで顔をしかめていた。料理長がベッドに横たわってまたぐうぐう寝始めるのを確認してから私たちは料理長の部屋を出る。 「はぁ、はぁ……料理長が飲みに行く度こんな思いしながら運んでるんですか? 頑張りすぎでは?」  息が上がった私がミリーに尋ねるとミリーも息を上げながらそうねと同意した。 「でも毎日皆の食事を作って支えてくれているでしょう。ひとりひとりの好みも把握して、エリオット様の体にも良いものを作って。料理長にも息抜きが必要なんですよ」 「だからって夜の道をひとりで来るのは危ないです」 「え。あぁ、まぁ、私はメイド長ですから」 「?」  理由になってない、と私は思うけどそれ以上はミリーの顔を見たら反論できなかった。真っ赤になった顔は恋する乙女のそれで、ははぁ、と私は内心でしたり顔をする。ミリーはどうやら料理長が好きらしい。でも料理長には想い人がいる。それがミリーだったら良いのにと思うけど、料理長の好きな人が誰なのかは結局分からないままだった。 「さぁ、私たちも寝ましょう。明日もお仕事ですよ、エマ」 「はい」  私はそれ以上を詮索せず、素直に頷いた。誰かを好きになったり恋をしたり、以前はそういう話を職場で聞くと面倒だなと思うことが多かった。けれどミリーも料理長も恋をしているとするなら応援したくなった。私は二人ともが大好きだから、二人とも幸せになってほしいと思う。これもエゴかもしれない。けれど大好きな人の幸せを願うのは、至極普通のことのような気がした。
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