14 寒い日

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14 寒い日

 私は寒くなってきた外で庭の掃き掃除をしていた。いつもの拭き掃除を早く終えられるようになってきた私には人手不足も手伝って庭の掃除も追加されるようになってきたのだ。イチイの葉にはあの日推しが教えてくれたように毒があるというから、触ってすぐどうにかなるものではないのだろうと思うけど私がやるのが適任なんだろう。  木枯らしが吹くようになってきた外は寒い。手もかじかむようになってきた。私は手を時折擦り合わせて息を吹きかける。それとは違う用途なのだけど、支給された手袋をしていれば素手よりも暖かい。それでも冷たい風は手や足の先を冷えさせた。 「うぅ……中に入ったらあったかいお茶をもらおう」  私はひとりごちて掃除を再開する。その時、がらがらと車輪の音をさせて向こう側からスタンリーがやってくるのが見えた。リヤカーを押している手と足を止め、スタンリーもこちらに気づいて大きく手を振る。お姉さーん! とマスク代わりの布をずらしてにこにこ顔が現れる。子犬のような可愛い笑顔だ。 「スタンリー」  こちらへ駆けてくるスタンリーを迎えて私も微笑んだ。尻尾がついていれば振りきれんばかりにブンブンしているのが見えるようなスタンリーの笑顔は、掃き掃除をしているとほとんど毎回見ることができるから癒されていた。 「お姉さん今日も掃除? 寒そう」 「寒いよー。スタンリーはこんなに寒くても元気ね」 「うん! おれ、一杯動いてるから! 冬になるから向こうも落ち葉が凄いんだ。でも葉っぱに毒がないやつは栄養になる。集めて冬を越すためのご飯にしてやるんだ」  腐葉土作りか、と思って私は頷いた。まだ幼い体で一杯に走り回って頑張る姿は健気だ。 「スタンリー、何処まで行った」 「兄ちゃん! ごめんこっち! お姉さんとちょっと話してた」  スタンリーの兄がリヤカーのところまで来て辺りを見回していた。スタンリーが声をあげれば兄も気づいてこちらへやってくる。マスク代わりの布をスタンリーと同じブラウンの頭の後ろで結んで、同じチョコレート色の切れ長の目が私を見た。 「あぁ、あんたがスタンリーの話してる」 「エマです。初めまして」 「オレはジャック。弟が邪魔をしてすまないな」 「いいえ、全然。こちらこそお仕事の邪魔をしていないか心配です。でもスタンリーの笑顔にはいつも癒されてるんですよ」 「ホント?」 「ホントよ」 「えへへ」  スタンリーは嬉しそうに笑い、そうか、とジャックは頬を緩めたように見えた。スタンリーは十二歳くらいに見えるがジャックは二十歳くらいだろう。兄弟しかおらずジャックがスタンリーの面倒を見ているらしい。早く立派になって兄ちゃんを手伝うんだ、とスタンリーは以前話してくれたことがあった。 「庭園のお仕事をしてるんですってね。スタンリーから今、腐葉土を作ってるところだって聞いていて」  あぁ、とジャックは言う。マスクで表情はよく見えないし言葉数も少なそうだが、人付き合いが苦手というわけでもなさそうだ。 「植物が冬を越すために必要な仕事だ。スタンリーがいないと手が回らない」 「兄ちゃん、ホント?」 「あぁ。お前はよくやっている」  やった、とスタンリーはまた顔一杯に笑った。それが可愛くて私は笑みを零してしまう。ジャックも同じようだった。私は妹とはこの二人ほど歳が離れているわけではないけれど生まれた時のことを覚えているから、下の子を可愛く思う気持ちは分かるつもりだ。 「早くおれも兄ちゃんみたいに庭師の仕事ができるようになりたい」 「もう少しそそっかしいのが治ったらな。今のままだと怪我では済まない」 「兄ちゃんみたいな落ち着いたオトナってやつになれば良いんだな!」  正反対を形にしたみたいなスタンリーが言うから私は思わず笑ってしまう。このまま大人になるような気もするけれど、仕事の時に落ち着いていれば良いのだ。兄を此処まで尊敬するスタンリーならきっと、そうなれると私は思う。 「うん、頑張って、スタンリー」 「ありがとうお姉さん! 兄ちゃん早く行こう!」  スタンリーは兄の手を引っ張って仕事へ戻る。ジャックも足を出しながら、私へ小さく会釈をした。私も会釈を返し、スタンリーが手を振るのに返し、掃き掃除を終えて邸内へ戻った。そのすぐ後に。 「エマ」  声をかけられ私は足を止めた。大好きな声。推しの声だ。部屋から出ていたとは知らなくて、私は慌ててお辞儀をする。 「もう体調は良いの?」 「はい。あれは半日で良くなりました」  ふぅん、と推しは言う。何かを考えるような間があって、また頼みたいことがあるんだけど、と続けるから拒否権のない私は頷いた。 「西の客間に、九時に。それまでに湯を張ったバスタブに浸かってきてほしい。メイド長に言って、これを全部入れて。きみが入った後のバスタブは消毒するように」  推し手ずから本当に小さな瓶を渡されて私は両手で受け取った。なるほどこれも毒か、と思いつつ中身を見るが茶色の瓶の中身は液体が入っていることしか分からない。前回が経口摂取だったことを考えると今度は皮膚吸収なのだろう。蔦の毒ではかぶれなかったけれど、全身で浸かるとなるとこれはどうなるだろうか。 「分かりました」  けれど私に拒否権はないから、イエスの返事だけを口にして私は推しが遠ざかるまでその場を動かなかった。推しが見えなくなると私はすぐにミリーのところへ向かう。事情を説明するとミリーは眉根を寄せたけれど、今度は吐いたりしないと思うと私は話した。かぶれるか、斑点でも出るか。いずれにしても私の体なら贈り物によって半日あれば解毒してくれるはずだ。 「まぁエリオット様のご意向ですから従いますが」  私は反対ですよ、とミリーは言う。早々に上がらせてもらって私は食事を軽く済ませるとバスルームのバスタブに言われた通りに湯を張って小瓶の中身を全部注ぐ。透明なそれは香料だったようで、ふんわりと花の良い匂いが広がった。少し南国の雰囲気を感じる香りだ。もしかしたらエッセンシャルオイルで嗅いだこともあるかもしれない。毒ではなさそう、と思いつつ私はお風呂を楽しんだ。  お風呂の掃除を他のメイドたちに任せるのは忍びないが、ミリーにまた準備を整えられて私は夜の九時に言われた通り西の客間を訪れていた。お客様なんてこの屋敷に訪れたことはないけれど、この部屋もメイドたちが毎日綺麗にしている。ノックをすれば中から推しの声がした。 「入れ」 「失礼します」  推しは相変わらず黒い服で佇んでいた。ランプの灯り、暖められた部屋。湯に浸かって私も体はぽかぽかしているけれど、寒い部屋だと湯冷めしてしまうだろう。でもこれは私にではなく、推しへの配慮だ。推しが使う部屋をエドワードが寒いままにしておくはずがない。 「湯はどうだった?」  問われて私は良い匂いでした、と素直に答える。そう、と推しは笑った。悪い顔で。 「体に何か変化は?」 「えっと、ぽかぽかしてます。良い匂いだったのでリラックスできましたし、何となく肌が潤ったような……?」  かぶれたり斑点が出たりするどころか保湿されているような気さえする。ふぅん、と推しはそれを聞いて目を細める。綺麗な宝石みたいな紫の瞳。じっと見つめられて私はもじもじそわそわ落ち着かなくなった。 「まぁ、座って」  推しは私にベッドを指し示す。沈むベッドに腰掛けると、推しはデスクの椅子を引いて自分はその椅子に腰を落とした。長いすらりとした脚を組んでその膝に組んだ両手を置いて。静かに私を観察するように見る。しばらくは見られることを受け入れていた私だけど、無言の時間が長く感じて、あの、と口を開いた。 「なに」 「今日は一体、何を……?」 「……あれから体に何か変化は?」 「え、何も、ないです、けど」 「うん、嘘は言っていなさそうだな。温まっただけか。あれは噂に聞くほど効果がないな。なら次は」  推しは口の中で何か呟いてデスクに広げた紙に羽ペンを走らせる。カリカリ、と紙とペン先が擦れる音がした後に推しが立ち上がった。部屋の扉を開けて何処かへ行ってしまう。  ぇえ……置き去りにされたんですけど……。  追いかけるべきか留まるべきか悩んで私は少し腰を浮かせたままどうしようかと逡巡した。けれど程なくして推しが水差しとグラスを持って戻ってくる。喉でも乾いたのだろうか。 「後から効果が出るようなものでもないだろ。次はこれを試したい」  推しはデスクに戻ると小さく薬包で包んだ粉薬を取り出した。緑色のそれは植物の葉を細かくすりつぶしたもののようだ。首を伸ばしてランプの灯りにそれを眺める私を推しはじっと見ていた。 「ちなみにこれがどんなものか訊いても良いですか?」  イラクサだ、と答えてから、あぁ、と推しは興味がなさそうに私から目を逸らした。植物が何かではなくどんな効果が出ると思って試すものかを訊かれていると思い直したようだ。何かを思い出すようにそのまま少し黙り、依頼だ、と答える。 「とある貴婦人のための。初夜に痛がってから毎晩泣いているらしい。そんな奥方が泣きよがるような薬を依頼された」  私は目を見開く。つまりそれって。 「女性の体のことはよく分からない。自分で試せないからね。それなりのところからの依頼だから断ったら面倒だし、下手なものは渡せない。きみで効果が出ること、害がないことを確認できれば良い」  催淫剤ってやつではないか、と思って流石の私も躊躇した。でも推しの綺麗な顔が目の前にあって、やってくれるね、と大好きな声で言われて、元々拒否権もないし私は頷くことしかできなかった。
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