18 花を飾った日

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18 花を飾った日

 アイリスは私を向いてスカーレットさんが隣にいることに驚いた様子だった。知らない人、とアイリスは判断したようで慌てて私に駆け寄ってくる。 「エマに何か用ですか」  あまり外へ出ない私に知り合いがいるとは思わないだろう。ナンパだと思ったのかもしれない。お金の単位も知らない世間知らずを守らなくてはという使命感に燃えている様子で、アイリスがスカーレットさんを警戒した目で見た。 「用ってほどのことじゃないけど」 「アイリス、私たち知り合いなの。スカーレットさんっていって、前に料理長に連れて行ってもらったパブの人なのよ。たまたま私を見かけて声をかけてくれただけ」 「パブ! アイリスは連れてってもらえなかった!」 「あ、あなたはまだ十代だし……」 「十八歳でお酒は飲める! アイリスも大人!」  ミリーに止められて私だけが料理長に連れられて行ったパブがアイリスは相当に羨ましかったらしい。素直に悔しさを滲ませたアイリスを見てスカーレットさんが笑った。 「そんなに来たがってくれて嬉しいわ。そうね、アナタが落ち着いた大人の女性になったらいらっしゃいな」 「アイリスはまだ落ち着いてない?」 「アナタはまだまだ素敵になれるわ。アタシが保証する。アナタはまだ蕾のアイリス。花開いて美しく咲き誇るようになったらアタシが招待してあげる」 「花開く!」  元気の良いアイリスの返事に、スカーレットさんは微笑んで頷いた。花開くで思い出したのか、アイリスは私を見てアイリスの花を買おうと再度訴えた。花屋のお兄さんがどうするのかとこちらを見ている。私は微苦笑した。 「そうね。どうやってお世話するのか、ちゃんと聞かないと」 「アネモネもオススメよ。アタシの大好きな花なの。あの花屋さんは温室もあるからきちんと店舗まで行けばどの季節の花も手に入りやすいわ」  今日はどっちもありそうね、とスカーレットさんは笑う。私たちは花屋のお兄さんからアイリスとアネモネを買った。もちろん、自分たちのお給金でだ。どちらの花も今は旬の季節ではない。鉢では買えず、切り花を包んでもらう。どちらも根に毒があるから気をつけて、とお兄さんが教えてくれた。はいと頷いて、私たちは同室だから二人で花を楽しめるとお互いに笑う。 「良いわねぇ、女の子たちとお花。アタシも混ざりたくなっちゃうわ」  スカーレットさんの言葉に私は微笑む。遜色ないどころかどの花よりも美しく見えるのではないかと思って言おうと思ったら、アイリスが先を越した。 「混ざりましょう。お花は逃げない!」  ずいっとアイリスの花を差し出すアイリスにスカーレットさんは面食らったようだったけれど、嬉しそうに微笑んだ。 「優しいのね。好きになっちゃいそう」  誰にでもそういうことすぐ言うから恋人泣かせになるんだぞと私は思う。別れる時にも一悶着ありそうな人だ。けれどアイリスは純真に頷いた。 「アイリスもアネモネ、好きになりそう。可愛いお花」 「あら。そう思ってくれてうれしいわ。長く楽しんであげてね」  スカーレットさんの笑顔に、私もアイリスも頷いた。伯爵邸の前まで送ってくれたスカーレットさんに私たちは手を振る。またお話聞かせてね、とスカーレットさんは私に耳打ちをしていって、みっともなく泣いた夜を思い出して少し赤面した。話せるようなことなんて大してないけれど、スカーレットさんに話を聞いてもらうのは気持ちが落ち着きそうだと思う。 「アナタは落ち着いたという話が聞こえてきたら招待してあげるわね」 「はい! 落ち着く!」  アイリスは元気一杯に笑って頷いた。スカーレットさんが見えなくなるまで見送って、私たちは邸内へ戻る。ミリーへ頼まれていた品とお財布を渡した。二人で花を買ったのを見るとミリーは目を細め、華やかで良いですね、と許してくれる。 「早く花瓶に生けてあげましょう。エリオット様のところへは私がお届けしますから」 「ありがとうございます」  私たちは足早に花瓶を取りに向かい、念のため別々の花瓶にアイリスとアネモネを生けた。部屋に飾ると、シンプルな部屋が一気に可愛くなる。やはり部屋に花がある生活というのは良いものだ、と私は思う。推しの部屋には毒草だらけの予感がするが、植物を愛する推しの感覚からすれば毒草も花のようなものかもしれない。 「よーし、残りのお仕事も頑張っちゃうぞー!」  アイリスの声に合わせて私も、おー! と声をあげたのだった。 * * * 「中身は毒。どのくらいで効果が現れたか確認したいから常に時計を意識して。エマ、時計は読める?」  私は推しに呼び出され錠剤を手渡されていた。中身はそれとはっきり分かるように毒だと宣言される。まぁ催淫剤が良いかと聞かれたらそれは嫌だし、他にどのくらいで溶けて症状が現れたか明確に分かるのが毒くらいしかないのだろう。私は半日もあれば解毒できるし、便利に使われているものだなと思うけどそれで役に立つと言うならそれでも良い。そのための特殊設定だ。 「読めます。なるべく時計の近くにいるようにしますね」 「へぇ」 「え、どうかしましたか」  推しの反応に何か下手を踏んだかと私は反射で問いかけた。いや、と推しは私をじっと見る。 「買い物もできないと聞いていたけど、時計は読めるんだなと思って」 「わっ、それ誰から聞いたんですか。教えてもらったんでお買い物くらいもうひとりでできます」  教育水準を疑われてはボロが出かねない。私は慌てて習ったからできるようになったと聞こえるように言い加えた。確かに物々交換で成り立っていたような村で時計が読めるようになるのは不思議だろう。それは数字が読めることと、時を区分する概念や意味を理解していることに他ならないからだ。そんな概念があるのに通貨の単位を知らないというのは疑問に感じて当然だし、通貨の発想が出てこないことを疑問視してもおかしくはない。 「まぁ良い。時計が読めることの方がよほど重要だ。まずはこれ。今から飲んで、どれくらいで効果が出たか教えて。症状の出方も、できれば細かく」 「努力します」  私は頷いた。推しの目の前で錠剤を水で飲む。私が見慣れている整形された薬とはどうしても違うせいか、少し飲みにくかった。粉っぽさが残るし大きい。喉に違和感を残しながらも胃へと重力に従って落ちていく丸薬もとい毒の感触を覚えながら私は飲み込んだ。 「かなり飲みづらいです」 「は? あぁ、体格のせいかな。私はそのサイズでも問題ないんだけど」  推しが私に近づいてくる。推しは中性的な見た目だけれどやはり男の人なんだなと思わせる部分はあった。びっくりして固まってしまった私の顎を推しが掴んで上向かせる。ひく、と喉が動いた。生唾を飲み込んだかと思ったけれど大きな音は鳴らなくて安心した。 「あー」 「……あー?」  推しが口を開けるからつられて私も口を開けた。なんて綺麗な歯並び。赤い舌が口内にあるのが見える。それにしても近くで見ても肌が綺麗。黒い睫毛が長い。紫の目が私を縫い止めて離さない。紫が近づいて。  近づいて? 「ひんっ」 「口を開けて。喉の奥をよく見せて」  自分の喉の大きさと比較するためなんだろう、とパニックになった頭でも私は何とか思考を働かせる。歯医者さんに来た時のように心持ち大きめに口を開いた。顔が近過ぎて恥ずかしいからぎゅっと目を閉じる。推しの綺麗な顔をこんなに近くで見続けたら心臓が爆発しそうだ。 「うん、大体分かった」  ふっと推しの手袋をした手が離れる。離れて私は重大なことに気がつく。推しの手が離れたということは今まで推しの手が触れていたのでは?  顔が真っ赤になっていくのが分かった。もしかしてもう毒が回り始めているのではないか、なんて思いながらもそうではないことを私は知っている。それに歯医者さんへ来た幼い子どものように、あーと口を開けられてつられて口を開けるような姿を見せてしまったことも恥ずかしい。 「男女差も考慮した方が良いな。でもそうなると含有量が変わる……」  口の中で推しはぶつぶつ呟いている。まだ飲んだものの効果も出ていないというのにもう次の改良版の構想があるみたいだ。推しらしい、と思って私は小さく息を零す。仕事に戻って良いですか、と尋ねれば推しは生返事で頷いた。元より私のことに興味はない推しは私がどういう症状をどのくらいで現すかには興味があるだろうけれど、私が何処で何をしていようがどうでも良いはずだ。私は仕事に戻り、夜寝る前に嘔吐を繰り返して翌日の仕事を休む羽目になった。  部屋で寝ながら見上げた窓辺に飾った花は私には見向きもせずに美しく咲いている。それが、何だか推しのように見えた。
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