19 狼の子が来訪した日

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19 狼の子が来訪した日

 雪が降りそうなくらい寒い日、伯爵邸では沢山の搬入物を運び込んでいた。屋敷中の男手が、執事のエドワードでさえ駆り出され、声をかけながら荷物を奥へ運んでいく。朝一番に沢山の馬車が到着し賑やかな声が響いて私は目を覚ました。  決して寝坊助なわけではないし、推しからの毒に関係する仕事がない限りメイドの仕事に遅れたこともない。いつもより早い時間に始められたそれに私は驚いて飛び起き、アイリスを慌てて起こした。準備を整えて部屋の外へ慌ただしく出れば、ミリーも部屋から出てきたところだった。落ち着いてはいるけれど、いつもきちっと決まっている纏め髪が乱れている。ミリーにとっても寝耳に水の展開らしいと私は察した。 「あー、ごめんな。朝から騒がしくして。結構な荷物もあるし早めに行こうと思っただけなんだけど……早く着きすぎちまったな!」  搬入物を何だなんだと眺めていた私の後ろから軽快な声がかけられて思わず振り向いた。この声はアニメで聞いた。あまりにもやんちゃな少年みたいな声を出す、そして見た目にもやんちゃな少年にしか見えない、クイーンズエッグのお婿さん候補のひとりだ。  髪は雪でも降りそうな空の雲と同じ色をしていた。太陽に愛されたような健康的な肌が髪色と相まって人目を引く。黒い目は黒曜石のように艶があり、エキゾチックな魅力に溢れていた。けれど白い歯を見せて笑う様子は人好きがして警戒心を抱かせない力がある。その後ろに控えている従者は同じような風貌だけど推しと同じくらいに愛想も悪く、金に見える目はそれだけで人を殺せそうな鋭さに満ちていた。 「ダニエル様。いらっしゃる時は早めのご連絡をといつもお願いしているはずでは」  ミリーが苦言を呈す。はは、と明るい声と表情で笑って彼は悪びれずに笑った。 「いっつも早めに行動しようとして失敗するんだよな。ごめんごめん」 「事前に手紙はお出ししています。それでもこんな早朝からは大変失礼致しました」  従者が口を出す。いいえ、とミリーは息を吐いた。思うところはあれど結局は主人が許可を出したからこうして搬入が始まっているのだ。 「お前、初めて見る顔だな。新人か?」 「は、はい、エマと申します」  じっと見られていた私は急に声をかけられて弾かれたようにお辞儀をした。うん、とやんちゃそうに笑った少年は頷く。 「オレはダニエル。ダニエル・ロペス。よろしくな」 「男爵です、ダニエル様。お名乗りの際にはお忘れになりませんよう」  従者が後ろから口を出す。あー、とダニエルは気まずそうな声を出してこほんとひとつ咳払いをした。それから改めて名乗り直す。 「ダニエル・ロペス男爵だ。まぁ気楽に話してくれよ。オレ、旅行するのが趣味なんだ。知らない場所に行くのも、知らない人と会うのも好きだ。お前、新人なら此処へ来る前は何処にいたのか教えてくれないか。きっとオレの知らないところから来たんだろ?」  太陽そのものみたいな眩しい笑顔は原作その通りだけど間近で見ると目が潰れるかと思った。私は素で恐縮してしまう。 「そんな、ダニエル様が聞いて楽しい話は何も」 「やだ。聞かせて」 「お前は朝っぱらから騒々しいな」  推しの声が階段の上からして私たちは顔をそちらへ向けた。エリオット、とダニエルが嬉しそうに笑む。対して推しはひどく迷惑そうな表情を隠しもしなかった。 「突然悪いな! でもお前の好きそうな土産物も沢山持ってきたぞ! 今運ばせてるから後でじっくり検分してくれ」 「後でな」 「植物じゃなくて悪いが生き物の毒も手に入れてきた。あの花の種と瓶を送った時にいたところの生き物だからお前も見たことないと思うぞ」  ダニエルの言葉を聞いた推しの表情が変わった。早く言え、と言い捨てるとそんなに速く動けたのかと思うほどの速さで階段を駆け降りて搬入物の確認へ向かう。お客様を放って興味関心があるものへまっしぐらに向かう様は推しらしいけど屋敷の主人としてはどうかと思う。 「エマ、エリオット様について行ってください」 「はい」  ミリーに言われ、私は推しの後を慌てて追った。搬入物の中に罠が仕込まれていないとも限らない。ダニエルとの関係性からそんなことは万にひとつもありはしないが、億にひとつはあの従者が考えるかもしれないとミリーは思っているのだろう。原作を履修している私もそう思った。  毒に興味関心を示す推しならやはり強力な毒を仕込むのが一番自然だろう。テンションが上がりすぎて浮かれた推しがうっかり異国の毒に倒れる。そんなシナリオだって有り得る話だ。 「エリオット様!」  男性たちが行き交う道を進みながら私は推しの後ろ姿に向かって駆けた。声をかけているのに推しは足を止める素振りも見せない。まぁメイドに声をかけられた程度で足を止める主人などそうそういないかもしれないけど。  推しの長い脚が一歩進む間に私は何歩駆けただろう。それでも走った私が追いつくのが速いのは道理で、私は推しの前にぐるりと回り込む。推しは迷惑そうに私を見た。 「なに」 「何じゃないです、運び込まれたものの中に毒があったら大変です」 「毒を運んでるんだから毒があるのは当たり前だろ」 「あああそういうことじゃなくて、暗殺用の毒があったら大変って意味で」 「暗殺用に使える毒なのか?」 「いや分かりませんけど中にはあるかもしれないじゃないですか」 「それもそうだな、検分しよう」 「ああああだからそういうことじゃなくて! エリオット様の安全が保証できないって意味で」 「毒の危険性はよく知っているつもりだけど」  私を押し退けて歩き出す推しにまた回り込むように移動しながら、私は上手く伝えられずに頭を抱えそうになった。毒を運んでいるのは事実なのだけど、それで推しが命を落とすような事態にならないようにしたいと言いたいのにどうやら全然伝わっていない。 「あの、私はエリオット様を心配してるんです! エリオット様にもしものことがあったらって思ってるんですよ!」  推しが足を止めた。紫の目は驚きが浮かんでいるように見える。薬の、毒のエキスパートである推しの手腕を信用していないように受け取られただろうかと思って私は内心で冷や汗をかいた。でも異国からもたらされた毒なんて未知なんだから気をつけるに越したことはない。 「ならきみも来れば良い。きみが触って無事なら私も触る。それで文句ないな?」 「え? え、えーと、はい……?」  一瞬、それなら良いかも? と思った私の言質を取った推しは悪い顔で笑うと足を出す。慌てて私もついて行って搬入物の山に推しと一緒に屈み込んだ。いくつもある木箱の中に所狭しと色々な物が詰められている。どれが毒かよく分からない。 「あいつ、此処に居座るつもりだな」 「え、そうなんですか?」  推しが漏らした言葉に思わず驚いて反応すれば推しは私を見た。何か今日はよく目が合うな、と思うと同時にやっぱり推しは顔が良すぎて息が止まりそうになる。私の方から急いで目を逸らして、すみません、とよく分からないまま謝った。使用人の分際で主人に気楽に反応を返しすぎなのかもしれない。 「……土産物にしては量が多すぎる。珍しい食材や衣服なんかはあいつが此処で堪能しようとして持ってきているだろ」 「はぁ、なるほど。旅行が好きだって仰ってました。珍しいものがお好きなんですね」 「さぁ。どうでも良い。肝心の毒は何処だ」 「この中から探すのは骨が折れます。今日一日、私たちで整理しますからエリ オット様はダニエル様たちのお相手をした方が良いんじゃ」 「待て。私に複数人の相手をしろと言うのか?」 「あ、あー……えっと、ダニエル様の……?」 「嫌だ。面倒臭い。勝手にさせておけば良い。あいつも足を踏み入れて良い場所とそうでない場所くらい弁えている。あれで鼻が効くからな」  心底から嫌そうな表情を浮かべる推しはそれでも顔が良くて、私は苦笑した。推しはエドワードを呼びつけて毒が見つかれば書斎へ持ってくるように言いつけると私のことなど振り返らずに行ってしまう。私は私で内心、うっかり誰も知らないはずのことを口走りかけたことに気づいて青くなっていた。  ダニエル・ロペス。推しと同じようにひとつの領地を治める男爵だ。船の行き来が多く輸出入の商業が盛んなメニブリンと呼ばれる領地を従者のシェイマスと一緒に盛り立てている。やんちゃそうに笑う様からは十六歳くらいの少年に見える風貌だが、実際は二十歳。明るくて人当たりも良いからお婿さん候補の中では一番光り輝いて見えるけれど、あれで中々に闇が深い。  実際に領主としての爵位を持っているのは彼ではなく、従者のシェイマスの方。主従の入れ替わりを堂々と行なっているのだ。それを知っているのは現女王と当の二人のみ。二人の風貌が似ていることから使える手段だった。せいぜい違うのは瞳の色くらいで、噂に聞く程度なら従者のように付き従っている方が影武者だと思うだろう。けれど暗殺の危険性に晒されるのは主人の方だ。つまり、影武者が表に立ち主人のように振る舞って、真の主人が影武者を守る従者の振りをする。  先に暗殺されるとしたらダニエルの方で、けれどダニエルもヒロインのオリヴィアを愛するようになる。その二人が結ばれることは難しい。実際に爵位があるのはダニエルではなくシェイマスで、もし次期女王となるオリヴィアがお婿さんとして迎えるメニブリン領主の男爵はシェイマスになってしまうからだ。ダニエルを推す人も、シェイマスを推す人も、どっちも地獄絵図となるのがメニブリン沼だ。二人は私の推しではないけれど、沼の悲鳴は原作が進む度に聞こえてきていた。  何かを動かしかねない大きな秘密であることを改めて胸に刻み、私は木箱の中の毒探しに取り掛かったのだった。
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