20 旅行の話を聞く日

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20 旅行の話を聞く日

「なぁー、エマー、エマってばー」  どうしてこんなことに。  私は困惑しながらも掃除する手は止めずに働く。横でダニエルが暇そうに声をあげている。まるで遊べ構えとやってくる犬のようだ。いや、犬を飼ったことはないからこんな感じなのかは分からないけれど。 「何ですかダニエル様。私、仕事中なんですけど」 「仕事しながらでも話すことはできるだろー。なぁー、聞かせてくれよお前がいたところの話」 「いやいやいや、ダニエル様が聞いて楽しいようなことは何も」 「それはオレが判断することだから。エマは話すだけで良いから」 「ぇえ……」  ダニエルが言っていることは全くもってその通りなのだけど、かといって本当に楽しい話ではない。というか其処までエピソードを用意していない。 「ぎゃ、逆にダニエル様が最近まで旅行されていたところのお話の方が聞きたいなー……なんて」  苦し紛れに矛先を変えてみようと試みた。 「興味あるのか?」  効果てきめんだったらしく、ダニエルの声が弾んだ。少年っぽい声は感情が乗りやすく、嬉しそうなトーンに跳ね上がる。はい、と私は答えて内心でほっと胸を撫で下ろした。何から話そうかなぁと考え始めたダニエルはひとまず私の故郷の話からは意識が逸れたようだ。 「今回はかなり遠出したんだ。南国の小さい島に行って、知らないものを沢山見てきた。あそこは凄いな。近づいただけでこう、息ができなくなるくらい熱い。森が多くて、中は五月蝿いし虫がでかい。見たことない鳥もいたし、聞いたことない声で鳴く動物もいた。地面はぬかるんでるし、割といつでも雨が降ってる。それも凄い雨だ。見たことないくらい一気に、沢山、通り過ぎてく。ありゃ空でバケツをひっくり返したとしか思えないぜ」  ゲリラ豪雨とかスコールとかかな、と思いながら私はへぇと相槌を打つ。 「メニブリンも暖かいし雨は多いけど、あれはもっとだ。世界中の雨があそこに集められてる気さえするな。なんて言ったっけ、シェイマス」  ダニエルは気軽に声をかける。まるで学校の教室で話している最中に別の島にいる友達へ声をかけるような気軽さだ。従者らしくダニエルの後ろに控えていたシェイマスは私を見もしないで雨季です、と答える。そうそう、とダニエルはシェイマスから私へ視線を戻した。 「世界には色んなものがあるんだよなー。何回行っても何回見ても毎回違う。キラキラしていて、とにかくでかい。自分の小ささを感じられて世界に収まってるって感覚がするんだよな。美味いものも沢山あるし、これをオレたちだけが知ってるなんて勿体ないって思うんだ」  太陽みたいな笑顔に私は眩しさから目を細める。だから彼の治めるメニブリンは輸出入が盛んなのだろう。船の出入りも多く、イドラグンドの中では他国の人の出入りも頻繁だ。ダニエルやシェイマスのように髪や肌が少し違っている人も当然増える。新しいものを求め受け入れ歓迎するのは、古いものを抱え込むイドラグンドの性質とはまた違う方向性だ。そしてそれは進化を生む。 「だからエリオット様に沢山お土産を持ってきてくださるんですね」 「ああ! エリオットはイイヤツだからな! ずっとこもっているからたまにはオレが外のものを見せてやらないと」  確かに屋敷にこもって研究ばかりの推しが外を知る機会は少ないだろうと私も思う。ダニエルが私の推しを気に入っている理由は他にあるけれど、ダニエルの行動は結果的に推しの孤立を防いできた。推しが持つ数少ない外との接点でもある。 「あの荷物の中から毒を探し出すの、苦労しました。きっと今頃どんな毒か調べてると思います」 「今回持ってきたのはヘビの毒だ。折角用意してたのに花の種と香りなんか欲しがって連絡してきたから送り損ねちまって持ってきたんだ」  花の種と香り、と聞いて私は催淫剤のことを思い出す。南国から取り寄せたと言っていた小瓶はまだ私の部屋に大切に置いてある。エッセンシャルオイルなら早いところ使った方が良いのだろうけど、推しからもらったものを使い切ってしまうのは何だか勿体ないと思って使いきれていない。 「ヘビ、ですか」  意識をダニエルが持ってきたという毒に移す。そう、とダニエルは裏のない真っ直ぐな笑顔を私に向けた。シェイマスの目が鋭く私を見た気がしてあまり長く触れない方が良い話題かもしれないと思う。話題の毒までは解毒できない。 「エマはヘビを見たことあるか? メニブリンにはあまりいないんだ。初めて見た時は驚いたな。足がないんだぜ。不思議な生き物がいるもんだって、うん、あの時かもな、外に興味を持ったのは」  ダニエルは更に目を輝かせる。その思い出や衝撃は彼の中で未だに色褪せずにあるものなのだろう。世界の大きさと比較して自分の小ささを感じ、世界に収まっている感覚を得ることに喜びを見出すダニエルだ。それまでの自分を取り巻く世界には何処か馴染めていない感覚があったのだろうと私は思う。 「世界というものは本当に広いんですね」 「解ってくれるか! オレたちの知らないものがまだまだ沢山ある! オレたちにとっては不思議で変でも、それがある其処ではそれが普通のことなんだ。最初から其処にある。あるべきところにきっと収まる、そういう風にできてるんだ。生まれる場所とか時代とかを間違えてしまうことも、あるとは思うんだけど」 「生まれる場所とか時代を間違える?」  聞こえた言葉をそのまま繰り返した私に、ダニエルは優しい目を向けた。黒くて、光に当たると綺麗に艶めく目が穏やかな弧を描く。何処までもお日様に愛されたような明るい笑顔だ。でも光が強ければ強いほど、生まれる影は黒く濃くなる。 「お前もそうじゃないのか? だから此処に来たんだろ?」  言われた意味が判らなくて私はきょとんとした。目を丸くしてぱちくりぱちくり瞬く私に、ダニエルは苦笑する。  私は推しを救いに来ただけだ。推しが生きられるように、推しの生きる世界線へ何とかして舵を切られるように。此処は私の生きる場所とは違うし、分身だって別にあの村で生きられなかったわけではない。 「何かそういう匂いがした気がしたんだけど、お前は解ってなさそうだなー」  人の良い笑顔を浮かべてダニエルは言う。 「まぁオレもこの感覚を上手く言葉にできるかというとできないんだから伝わらなくても仕方ないか」  困ったように笑って、上手く言えなくてごめんな、とダニエルは謝る。驚いて恐縮する私を気遣ったのか、他のところを見てくると言ってシェイマスを連れダニエルは行ってしまった。取り残された私はダニエルの言葉の意味を考えながら掃除を再開する。  ダニエルやシェイマスはあの容姿からも異国の血が入っていることは明らかだった。それでもメニブリンの地を治める男爵になることはできる。元より外との行き来が多い地域でもあるメニブリンにはイドラグンド以外の人間が住むことも多く、多種多様な人との交わりが起こるのは当然のことだった。肌の色も髪の色も目の色だって様々で、聞こえる言葉も国ごとにある。その中にいては目立たなくても、年に数度、領主は王都へ赴く必要があるから其処では奇異な目で見られることも多いだろう。  中には心ない言葉を言う者もある。領主という立場もあって表立って言われることは少なくても、態度や表情から伝わるものだってあるはずだ。田舎の方であるペインフォードや王都から離れたメニブリンではそう意識することはないけれど、王都へ行けば階級や上下関係ははっきりしていく。領主といえども見た目に異国の血を感じるとやりづらさを感じることもあるかもしれない。  そんな彼らなら生まれる場所を間違えた、時代を間違えた、と思っても不思議はない。身分でというよりも見た目から、距離を置かれれば否定されているように感じるだろうなと私は思う。此処でなければ馴染めるのなら、旅行客としてなら受け入れられるなら、とよく船旅に出てしまうのも無理はないと思うのだ。此処にいれば目立ってしまう自分の特異さを外の不思議さで掻き消されれば、自分だって普通だと思えるのだろうから。  と、彼らについては思えるものの、そのダニエルが私を同じように感じたというのがよく判らない。確かに私はこの世界に生きてきたわけではないけれど、もしかしてそれを彼は感じ取っているのだろうか。いざ生活しようとすると出てくるボロは今のところ、世間知らず、で誤魔化せているもののいつ誤魔化せなくなるとも限らない。此処へ来て数ヶ月経ったが、未だに慣れないことや知らないことはあるだろう。 「気をつけよ……」  私はぶるりと体を震わせるとぽつりと零し、掃除の速度を上げたのだった。
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