5 メイド長に仕事を教わった日

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5 メイド長に仕事を教わった日

 エドワードはエリオットの命令に忠実だ。けれど盲目的に(かしず)いているわけではない。エリオットのためになることが何かを判断できる人だ。私のことを益になると思わせられれば本人がどう言おうと庇おうとしてくれるだろう。でももし害と見做されれば是も非もなく放り出されるに違いない。  そんなエドワードでさえ彼の死を、止められなかった。  エドワードにできなかったのに自分にできるのかと思わなくもないのだけど、そこはそれ、私の理想の世界線にする予定なのでどうにかなるはず、なのである。そのための贈り物でもあるし、この時代から始めているというのはある。  凄い力で推しを一気に幸せにしないのは、きっとあらすじだけでめでたしめでたしを言われても私が納得できないからだ。推しの抱える想いを受け止める誰かがいて、推しが救われるところを見たいと私が思っているから。  ならその誰かは誰が良いのか、ということになってくる。綺麗に収まるのはヒロインだろう。推しも想いを寄せるヒロインと二人が結ばれればきっと、私の推しは救われる。そのアシストをするのがこの世界に送り込んだ私の分身だ。まぁ今は夢を見て実際に体験してみるという状態になっているけれど。  でももし、ヒロインと上手くいかなかった場合。即ち原作準拠になってしまった場合、次に推しを止められるとするならエドワードだと私は思う。だからエドワードとは仲良くなっておかなくてはならない。いや、エドワードだけではない。この屋敷で私は上手く立ち回り、良い関係を築いておいた方が良い。何処でだって、自分の要求をある程度通すために円滑な関係を築くのは必須だ。  心の中でそういう打算的なことを考えながら私はエドワードの後をついていく。彼は何も言わず、私をとある部屋の前に連れてきた。  ノックをすると、すぐに扉が開いた。赤毛をきちっと結い上げた女性が出てくる。歳の頃は三十代くらいに見えるその女性はエドワードを見ると丁寧にお辞儀をして、それから不思議そうに緑の目で私を見やった。 「ミリー、今日付でこの屋敷に置くことになったエマだ。屋敷の案内と、エリオット様のいつもの戯れに対処する布と処理を頼む。それから部屋の用意も。監督も兼ねて信頼の置ける者と同室が良いだろう」 「エマと言います。よろしくお願いします」  とりあえず私の世話を頼まれているらしいことを察して私は頭を下げる。何も尋ねずミリーと呼ばれた女性は分かりましたと了解の意を返した。エドワードは踵を返すと何処かへと去っていく。きっと彼には彼の仕事があり、新米の私につきっきりになる暇はないのだろう。 「私はミリー。この屋敷のメイド長をしています。あなた、役職は?」  ミリーと名乗った女性は私を緑の目でじっと見た。メイド長なら屋敷のメイドたちを統括する立場のはずで、採用についてもそれなりに意見を尊重される立場なのではないだろうかと私は思う。彼女を通さずにいきなり採用してもらった、と言って良いのか分からないけど置いてもらえることになった私は寝耳に水の存在だろう。出だしから失敗していないか、これ。 「役職は全然分かりません。けど、私、毒に耐性があるのでエリオット様のお役に立てると思ってやってきました。今は特に何もすることがないと言われたので、もし私でもできることがあるならお仕事をください。でもその前にエリオット様のお部屋のドアノブ、強い毒が塗ってあるようなのでそれを拭けたらと思ってます」  毒に耐性、とミリーは少なからず驚いたように表情を動かした。けれどメイド長の判断は速い。ひとまず私を一瞥するとついてくるように言い、何処かへ向かって歩き出す。私は屋敷内の何処を歩いているのか最早分からないので彼女の背中を追った。  ミリーは使用人たちの忙しなく働く方へ進み、ランドリーのところから端切れ布を手に取った。端切れとは言ってもやはり主人の部屋に使うためのものだからか、それなりに綺麗ではある。パッチワークにだって使えそうな布だ。まぁ私はあまり手先が器用ではないから靴下の穴を繕うくらいは不恰好ながら何とかできても、可愛いパッチワークなんて作れないし思い立ったことさえないのだけど。 「毒に耐性があるとは言っても手袋をひと組、持っていた方が良いでしょう。それからバケツと、消毒液を……」  ミリーは私に備品棚と思わしきところから手袋を取ってくれる。お礼を言って受け取り、私はミリーの後ろを金魚のフンみたいにただくっついて歩いた。水を入れたバケツを持とうとしたけど百戦錬磨のメイド長の筋肉の方が圧倒的で速かった。 「エリオット様のお部屋の前では無言で。私たちはエリオット様が快適に過ごせるように働く影なのですから」 「はい」  私は頷いた。ミリーと一緒にエリオットの部屋の前まで戻り、そっと水の入ったバケツを置いた。私は端切れを一枚取ると端っこを使ってドアノブを丁寧に乾拭きした。表面を拭ってみるけれど毒を取り除けているのかイマイチよく分からない。思い返してみれば触ってみても特にぬめっとしたりべちゃっとしたりといった感覚がなかった。手汗をかいていて分からなかった、とかいうオチでなければきっと触感としては分かりにくいものなのだろう。  自分の顔が映るくらい綺麗なドアノブは、普段からこうやってミリーを始めとするメイドたちがそれこそ推しが快適に生活できるよう、影のように働いているからに違いない。毒に触れてもある程度は大丈夫なように白い手袋をして、変色すればすぐに脱いで手を洗うようにしているのだと思う。そうまでして仕えるのは生きていくためだけか、それとも。  私が毒を拭い取ったドアノブをミリーがバケツの水で濡らした端切れで更に拭く。それを何度も何度も繰り返して、最後にミリーは乾いた端切れに消毒液を吹きかけてドアノブを拭う。揮発性が高いのか少し水分の跡を残しはするもののドアノブの表面はすぐに乾き、ピカピカに曇りなく綺麗になった。  目配せを受けて私は頷くとそっと立ち上がる。部屋の中から音はしない。いるのかいないのかも分からないけれど、そっと足音を忍ばせて私たちは部屋の前から去った。 「掃除の後は必ず手を洗うこと。毒に耐性があるとはいっても、清潔であることは第一です。そしてエリオット様の近辺を掃除した布は全て、燃やします」 「燃や……?」  聞こえてきた物騒な単語に私は驚いた。そんな描写、原作にあっただろうか。でも推しの背負っているものを考えるとそれが妥当だと私も思い直す。毒を拭った布を何に再利用できると言うのか。普通に捨てるにしてもきっと支障が出るのだろう。だから燃やしてしまう。燃やす煙にも毒が含まれるかもしれないから近づきすぎないこと、と私は言い含められる。  裏庭に出て私は冷たい風に体を震わせた。目立たず影響が少なそうな隅っこへ向かう。其処には火を使うための金属の箱が置かれていて、中は黒く煤けている。きっと何度もこの箱の中で毒のついた布を燃やしたのだろうことが窺えた。私たちは使った端切れを放り込む。ミリーがマッチを取り出して、シュッとひとつ箱の側面で擦った。ぽっと灯った炎は箱の中に落ちていき、端切れを含んでよく燃える。少し距離を取って立ち昇る煙を見ている私にミリーがバケツの水を準備しながら言った。 「エマ、と言いましたね。エリオット様のお世話は故あって私と、私の後継が担当しています。あなたがもし抵抗がないと言うのであれば、まずは近辺のお掃除から、一緒に手伝ってもらいたいのですけれど」 「も、勿論です! 私にできることなら何だって!」  首が取れるのではと自分でも思うほどブンブンと頷いて私はミリーを見上げた。背の高いミリーは緑の目を細めて笑う。きちっとした印象から少しとっつきにくいかと思っていたけれど、そうやって笑うととても優しい人なのだと思った。メイド長でありながら自らも主人のためにと動ける人だ。 「これは危険な仕事です。エリオット様の体質を知っていてそう言ってくれていますか? あの方は、ご自身で毒を摂取するためか、あの方自身も毒そのものとなっているんですよ」 「……風の噂程度にですけど、聞いたことがあります。それでも、です。いえ、だからこそ、でしょうか。私も毒には耐性がありますし、他の方よりはきっとそんなに危なくないんじゃないかと思ってます」  本当は原作で描かれたから全部知っているけれど、そう言うことはできなくて私はそれらしいことを言いながら頷く。結局本当に推しが毒そのものなのかは言及がなかったけれど、彼自身はそう思って過ごしているし、周りへ被害を出さないための手袋でもあるはずだ。 「あなたも、毒を摂るの?」  意を決したようにミリーが尋ねる。けれどそれは天気の話をするように何でもないことのような口調だから、私は一瞬何を訊かれているのか分からなかった。何度も頭の中で言葉を繰り返してやっと理解してから、いいえ、と私はどんな表情をして良いか分からないまま答えた。 「私のそれは、贈り物、なんです。エリオット様とはきっと随分と違うと思います。私は毒を体内で時間はかかっても解毒することができるだけで、私自身には何も。でも心配だと思うので私には近づかなくて大丈夫です」 「そういうことではありません。でも、ええ、気にする者はいるでしょうから、私からもそれとなく伝えましょう。この屋敷は慢性的な人手不足ですから、仕事は沢山あります」 「わぁ、頑張って覚えますね」  私がそう言うとミリーは少し驚いた表情を浮かべて、それから小さく声をあげて笑った。
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