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押入れの奥底で見つけた僕の母子手帳には、妊娠超初期から母の字で詳しくメモが記されていた。
それを読めば、僕がいつできたかだいたい判る。その日を潰すのだ。
念のため前後数日間は、両親を引き離したい。
過去に降り立つなり、早速僕は電報を打った。
【ハハキトク シキュウモドレ】
これで母は単身、鹿児島の実家に帰る。
諸島部だから往復に、かなりの時間を要するはずだ。
今度こそミッション・コンプリート、僕は元の玄関に立っていた。
「あらいたの、おかえり」
母がひょっこり顔を出す、何気ない帰宅後の光景。
「ただいま」
反射的に答えると、僕は洗面所へ向かった。
鏡に映る僕を見て、今この場所にハッキリ存在していると解る。
手を洗う、石鹸をよく泡立てる。この行動に既視感を覚えた。
僕は十五年前に戻るためタイムマシンを使ったあの日に、戻ってしまったのか。
それは拙い、この日の僕と鉢合わせてしまう!
さすれば文字通りドッペルゲンガー、出会えば死んでしまうのに。
まさかふたりいっぺんに死ねば、僕はいつ双子になったんだって、発見者を大困惑させることだろう。
慌ててその場で足踏みしたが、洗面台横にある壁掛けカレンダーが、今日がいつだか教えてくれる。
母が毎朝赤マジックで、前日に×印をつけるから。
帰還日を間違えたわけではないと判った。
安心してタオルで手を拭く、そして状況整理する。
僕は一時的にだが、過去で両親を引き離すことに成功している。
ならばもう僕はいないはずで、手なんか洗っているわけがない。
だって授からないのだから!
僕は台所で夕飯の準備をする母に話しかけた、まずは誕生日の確認だ。
別の日に生まれ直したのかもしれない。
……ところが変化は見られなかった。
母は味噌汁用に包丁で、豆腐や野菜を切っている。
「そういえば電報、来たわね」予定通り届いていた。
「だからパパと帰ったのよ、大変だったんだから。
病院を臨時休業したのは、先にも後にもあの時だけ」
信じられない。根っからの仕事人間である父が、病院を休業させたなんて。
有り得ない。そんな話しがあれば、とっくに僕も耳にしているはず。
父は僕に病院を継がせたく、医学部に強い進学校への受験を繰り返した。
しかし無理なものは無理で、高校受験はもう期待されていない。
父を失望させた事実が重く伸し掛かり、僕は暫らくの間、母が背中を摩ってくれていたと気づかなかった。
母の掌の暖かさが、僕を現実に引き戻す。
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