1973年

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 押入れの奥底で見つけた僕の母子手帳には、妊娠超初期から母の字で詳しくメモが記されていた。  それを読めば、僕がいつできたかだいたい判る。その日を潰すのだ。  念のため前後数日間は、両親を引き離したい。  過去に降り立つなり、早速僕は電報を打った。   【ハハキトク シキュウモドレ】  これで母は単身、鹿児島の実家に帰る。  諸島部だから往復に、かなりの時間を要するはずだ。  今度こそミッション・コンプリート、僕は元の玄関に立っていた。 「あらいたの、おかえり」  母がひょっこり顔を出す、何気ない帰宅後の光景。 「ただいま」  反射的に答えると、僕は洗面所へ向かった。  鏡に映る僕を見て、今この場所にハッキリ存在していると解る。  手を洗う、石鹸をよく泡立てる。この行動に既視感を覚えた。  僕は十五年前に戻るためタイムマシンを使ったあの日に、戻ってしまったのか。  それは拙い、この日の僕と鉢合わせてしまう!  さすれば文字通りドッペルゲンガー、出会えば死んでしまうのに。  まさかふたりいっぺんに死ねば、僕はいつ双子になったんだって、発見者を大困惑させることだろう。  慌ててその場で足踏みしたが、洗面台横にある壁掛けカレンダーが、今日がいつだか教えてくれる。  母が毎朝赤マジックで、前日に×印をつけるから。  帰還日を間違えたわけではないと判った。  安心してタオルで手を拭く、そして状況整理する。  僕は一時的にだが、過去で両親を引き離すことに成功している。  ならばもう僕はいないはずで、手なんか洗っているわけがない。  だって授からないのだから!  僕は台所で夕飯の準備をする母に話しかけた、まずは誕生日の確認だ。  別の日に生まれ直したのかもしれない。  ……ところが変化は見られなかった。  母は味噌汁用に包丁で、豆腐や野菜を切っている。 「そういえば電報、来たわね」予定通り届いていた。 「だからパパと帰ったのよ、大変だったんだから。  病院を臨時休業したのは、先にも後にもあの時だけ」  信じられない。根っからの仕事人間である父が、病院を休業させたなんて。  有り得ない。そんな話しがあれば、とっくに僕も耳にしているはず。  父は僕に病院を継がせたく、医学部に強い進学校への受験を繰り返した。  しかし無理なものは無理で、高校受験はもう期待されていない。  父を失望させた事実が重く伸し掛かり、僕は暫らくの間、母が背中を摩ってくれていたと気づかなかった。  母の掌の暖かさが、僕を現実に引き戻す。
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