7

1/1
前へ
/10ページ
次へ

7

 暗闇の中、山頂への道を出発する。  向かう先の黒い山肌には幾条もの光の列が並んでいて、魅惑的だが同時に恐ろしくもある。まるで冥界に向かう灯の波にも見える。  昼間の空気とまるで変わっていた。しんとした高地の空気は冷ややかで重たく、誰もが皆まるで押しつぶされないようにとばかりに無言で修験者のごとく歩を進めている。  途中、道端でへたりこんでいる登山者が何人かいた。昼間であれば声をかけ励まし合って過ぎるものを、今は誰も声すらかけない。闇夜の岩場のルートは足元がおぼつかない。山は自己責任。自らの命が最優先という緊迫感があった。菜実を連れて来なくて良かったとほっとする。  2時間ほどでようやく頂上が近づいた頃、いくらか活気が出てきた。 「あの鳥居の先が頂上ですよ」  殿(しんがり)を守る旦那の声で隊列の老人方が明るい声を上げる。東の空が徐々に明るくなっている。その澄み切った青みがかった風のはるか上に、白い鳥居が見えている。富士山頂浅間大社奥宮である久須志神社の鳥居である。  よじ登るようにして鳥居をくぐり、山頂に到着する。  火照った顔の汗を拭う。とうとう来たと感慨にふける。こんな感動は久しぶりである。隣では早速柿崎夫婦が「お(ふだ)を買わなきゃ」「ご来光見なきゃ」とてんやわんやしていた。  日の出はあと30分ほどの午前4時26分だと山本が言っていた。午前5時に、下山をするのでこの場に集合するよう伝えられて解散となる。  山頂には山頂小屋があって、売店や食堂になっている。神社に行った柿崎夫婦と別れてひとり小屋へ行く。  中は登山客でごった返していた。どこで情報を得たのか、菜実は名物の「ご来光ラーメン」を食べたいと言っていた。大勢の客が腰かけてラーメンをすすっている。忙しそうな店員にテイクアウトできるかと一応聞いてみたが、当然のように笑われてしまったので、仕方なくひとりでそそくさと食す。ワカメと生卵が入っている。山と日の出を模しているのだろう。写真を撮ってあとで菜実に送ってやろう。それにしても山頂で食べる温かいラーメンは格別だった。  腹を満たして小屋を出てから、先ほどの柿崎夫婦の言葉を思い出す。そうだご来光だ。  東の方面を望む小高い岩場があり、そこではすでにざっと百名以上はいようかという登山客が思い思いに座っている。明るくなり始めた東方の景色には地平まで続くような青い雲海と、白く澄み切った天空。格好のご来光日和となりそうな気配である。 「おーい、ミナガワさん」  と呼ばれる方を見ると、すでに一眼レフカメラを携えた柿崎の旦那が手を振っている。ピンクの派手なウインドブレーカーをまとったマダムも振り返った。 「今日はラッキーですよ」  旦那は興奮していた。こんな絶好の天候はめったにないですよ、と子供のようにはしゃいでいる。ご来光は必ず見れるものじゃないんですから。  そうした興奮がすでに周辺の登山客全体に広がっているようで、まるでフェスの開演を迎える観客のような熱気である。  時刻は4時20分を回っていた。あと数分である。  東の空、青い山なみの向こうがかなり明るい。いよいよだ、とまるでカウントダウンをするかのように前に並ぶ登山客たちが歓声を上げる。  とその時だった。  前方に開けた岩場の先頭付近の方から、悲鳴にも近い声が上がる。急に気温が下がった感覚があった。最初何が起こったのか分からなかった。  はるか前方の切り立った崖の下から、急に雲が湧きおこったのである。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加