渓間の淵にて

2/5
前へ
/6ページ
次へ
 妻と私はもとより種族が違う。妻は人だ。とても、とても長い間、私たち竜と戦火を交えている敵対者であった。  竜と人は双方ともに知能を持ち、文明を築き、そして言葉を繰った。それと同時に、双方にとって、双方が文明の中において消費される存在であった。捉え、食し、使役する対象であった。たとえ言葉が通じたとしても、否、言葉が通じてしまったことこそが不幸だったのであろう。今となってはどちらが戦争を仕掛けたのかは不明だ。各々の固体が強く、生命力に長けた竜は、しかし人の生み出した銃火器と、彼らの用いる人海戦術に苦戦を余儀なくされた。一方で、人の生命力は竜に対しあまりに脆い。戦線は膠着し、やがて消耗戦となった。そうして、やはりどちらからか言い出したのだ。「休戦としよう」と。  国境が定められ、双方不可侵とされた。交易も許されず、もちろん、密漁は厳禁である。見つかった場合は、双方の法律を以て相手の国の了承を待たずに罰して良いものとした。そして、その協定遵守の人質として、双方の王族から相手方へ一人ずつ嫁がせることとなった。竜から人へは私の妹が嫁ぎ、そして人から竜のもとへ嫁いできたのが、妻であるカルロータであった。実質、捕虜である。協定には、彼女たちの扱いについては言及されなかった。定期的な連絡も不要された。唯一、生きていることを示す刻印が協定書に刻まれており、生死だけは一目でわかるようになっている。そして、死が確認された後、七日以内にその連絡と遺体の引渡がなければ、協定破棄と見做すとされた。それさえ守れば、嫁いだその日に体の一部切り取って食おうが、奴隷のようにこき使おうが、協定には一切抵触しない。扱いについては、完全に双方の良心に委ねられる形となったのだ。  私自身、そうして来る妻に何かをするつもりなどなかった。人に対する恨みがないわけではない。同胞を多く殺されたことは、決して忘れはしないだろう。しかし、その犠牲を増やさないための協定である。ならば、嫁いでくる妻にその憎悪をぶつけるのは悪手以外のなにものでもない。人の身は脆弱に過ぎる。  そして、妻を迎えて、彼女の強さに私は惹かれた。一対一で対峙したとき、妻は漠然とした「人」から「カルロータ」という名を持つ一個人に変わった。その瞬間、私は彼女を、人を、単なる食糧とも労働力とも、敵対者とも見ることができなくなった。  もとより言葉は通じた。ゆえに休戦もできた。我々にとって人は労働力であり、食糧であった。けれど、それは必ずしもなければならないものでもなかった。そしてそれは、おそらく人の側でもおなじであろう。双方にとってお互いは「害ある資源」でしかなかった。  月日を重ね、言葉を交わす中で、妻が放った言葉が忘れられない。 「私は思うんです、アーヴィン。私たちがこうして言葉を交わし、互いに害さずにいられるのだから」  竜と人は共存できるのではないでしょうか。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加